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外に出る為、リアンが鼻頭で強引に開けていった部屋の窓から入ってきた風が頬を微かに撫でた事で、リビングにあるソファーで眠っていたルスの目が覚めた。彼女の頭の下にはスキアの膝があり、彼女が寝入った時と同じく、枕にしたままの状態になっている。小さな体の上には彼の服が掛布代わりにかかっており、瞼をゆっくり開いてルスは虚な瞳をスキアの方へ向けた。
「…… ごめん、寝てたみたいだね」
寝起きの、ルスの掠れ声がスキアの耳に優しく届く。
「あぁ、ぐっすりとな」
スキアが中抜けしていた事をルスは気が付いていない。時計の方へちらりと視線をやり、既にもう二時間程が経過していたと知って、気不味そうに顔を顰めた。
「うわぁ…… 。こんなん、昼寝の長さじゃないね」
両手で顔を覆い、はぁと大袈裟にため息をつく。ここ最近は連日眠りが浅かったとはいえ、相手は夫みたいな者だとしても、長い時間ヒト様の膝を占有してしまった事でルスが罪悪感を抱いている。『仮初の関係だし、余計に』とかそういう理由は抜きで、何時間もずっと彼を枕代わりにし続けていたのかと思うと、ただただ申し訳無い。
この数日、ルスの体は全然疲れていないのに寝ても怠さが抜けていない。前頭部が妙に重いというか、モヤモヤするというか、ずっと氷魔法でもかけて冷やしておきたいくらいの違和感が付き纏っている。
(たかが夢見の悪さだけで、こんなに引き摺るなんて情けないなぁ)
内容はさっぱり覚えていないが、そうである事をルスは自覚していた。冷や汗をかいて目覚めたり、居心地の悪さを夜中感じてしまうなんて、夢のせいくらいしか思い至らない。そんな自分の体を真っ暗な部屋の中でぎゅっと抱きしめ、再び眠りに落ちるまでずっと、よしよしと撫でてくれるスキアの姿をふと思い出して、ルスの頬が嬉しさからじわりと赤く染まった。
「そ、そういえば、この服はスキアの?」
照れくさい気持ちを隠すみたいに、急に関係の無い話を口にしたルスに対し、スキアが「あぁ」と短く答えた。
「ブランケットじゃなく、服って」
クスクスと笑うルスの様子を見て、スキアも柔らかに顔を崩す。中座する際にただ流れでそうなっただけなのだが、確かにルスが感じた通り変な話だ。
「膝枕してんのに、取りには行けないだろ?でも体を冷やすと大変だしな」
本当は余裕で行けるくせして、テキトウな言葉をスキアが並べる。そして彼はルスの獣耳に顔を近づけると、「女性は特に、な」と無駄に色香を振り撒きながら吐息混じりに囁いた。そのせいでビクッとルスの体が跳ね、全身に力が入る。ブラッシングの時に感じた熱が再浮上しそうな感覚を察し、ルスがギュッと唇を噛み締めた。
ふと気になり、掛かっている服を持ち上げて、じっとルスがそれを見詰め始めた。今度は視線だけをスキアの方へやると、「あれ?その服とこれ、同じ服だね」と感じた疑問を口にする。
「あぁ、簡単な話だ。そっちは本物の服で、今着ているのは体を変化させた物だ。こっちは消すことは出来ても、脱ぐ事までは出来ない」
「そんな事も可能なの⁉︎」
驚き、あげた声が大きくってスキアが「やかましいっ」と言って、ルスの額を軽く指先で弾く。『やっぱり、ちっとも気が付いてもいなかったのか』と思ったが、文句を口にはしなかった。
「初めて会った時だってやってただろう?初めて姿を表した時に、真っ裸じゃなかった時点で察しろ」
「…… そうか、そうだったね!気にしてもいなかったよ」
ははっと誤魔化すみたいに笑うルスに対し、『だろうな』とスキアが納得する。物事を深く考えないのは育ちのせいなんだろうなと考えると、苛立ちよりも、『バカな子程可愛いもんなんだな』という感情が胸の奥から込み上がってきた。
「なぁ、ルス」
「ん?」
何々?とスキアを見上げるルスの瞳が、彼には妙に輝いて見える。年配の体でありながら、意外にも筋肉質な膝枕で寛ぎ、スキアの匂いがまだ残っている服をガッツリ掴んだままになっているルスの姿が『控えめに言ってすごく可愛い』と彼は思った。彼の話を聞き逃すまいと動く獣耳が特に。
「…… 一つ前の生活と、今の生活。そのどちらかを選ばないといけないって状況になったとしたら、ルスならどちらを選ぶ?」
「どうしたの?急に」と言って、ルスが苦笑いを浮かべる。無表情でそう訊かれ、少し不安になったのかもしれない。
「別に深い意味はない。ただ少し、どうなのかなーって思っただけだよ」
表情は笑ってるみたいなのに、感情と読み取りにくい顔をされてルスの体が少し強張った。 問い掛けた当人の心も少し揺れている。レアンとのやり取りの過程で自分の中でどうするか決めたはずなのに、結局は…… 一人では決断し切れずにいた事を痛感している。
肉体という強固な器を持たないせいで他者に取り憑くしかない自分みたいな存在は、彼女の穏やかな将来を願うのなら『離れる』という選択が最も正しい選択だろう。だけど、このまま“夫”として傍に居て、全てから守ってやりたい気持ちを捨てきれない。いつか彼女への気持ちが冷めたり、なんらかの理由で感情の影響力が弱まった時に一番の害悪が自分となる可能性だって充分あるのに、だ。
(他者に選択を委ねるだなんて、自分らしくない)
そうは思うが、気持ちが揺れて自分では決められそうにないならもう、他を頼るしかない。
後者を選んで欲しい気持ちを必死に隠し、スキアはルスに「軽い気持ちで答えていいんだぞ。別に大した質問じゃないんだから」と言って答えを促す。
「んー…… 。ワタシにはもう、スキアの居ない生活なんか考えられないなぁ」
ほとんど悩む事なく、へらっと気の抜けた顔でルスが言う。
「…… 僕が居ないと、また貧相な食生活に戻るからか?」と口にしたスキアの声は冗談めいた感じだったのに、ルスが心配そうな顔で彼を見上げ、「そんな訳な…… ——大丈夫?どうしたの?」と声を掛けた。そんな彼女の頬に、一つ、また一つとスキアの青鈍色をした瞳から熱い涙がぽろぽろと落ちていく。それは彼が、生まれて初めて流した嬉し涙だった。