「──碧っ!」
聞き覚えのある声がした。梨田の足の力が一瞬ゆるんだ。俺は振り返った。麗華さんだった。
「麗華じゃねえか」梨田は少し驚いたようだった。
「知り合いか?」
「ええ。ちょっと」
「ちょっと? そんなに慌ててか?」
「お客さんのことはいろいろ話せないわ」
なるほど。梨田は小さく呟いた。
「コイツはタダでは返せねえ。それなりの謝罪をして貰わねえとな」梨田は愉快そうに言った。麗華さんは少しの間動かなかったけれど、すぐに膝をついた。そして地べたに両手をついた。
「これでいい?」麗華さんがそう言うと梨田はクツクツと笑いながら頷いた。それを合図に麗華さんは地べたに額をつけた。そこまですると梨田は大きな声で笑った。
「あの麗華女王様が土下座かよ! こりゃいい!」
デカい男達も一緒になって笑っていた。すると一人が調子にのってスマホを取り出した。カシャと音が鳴った。写真を撮ったんだろう。それは駄目だ!
俺が動こうとするとすぐに梨田の足で頭を押さえつけられた。それは違う! 麗華さんは関係ないんだ。
梨田はその男を人差し指で呼んだ。男は上機嫌で梨田のもとに寄って行った。梨田はそのスマホを見せるように言った。そして男がスマホを差し出すと、いきなりスマホをテーブルに投げつけた。そして酒をぶちまけた。俺は呆気に取られながらその様を見ていた。
「誰が撮っていいって言った!」梨田は怒鳴った。
そしてアイスペールをその男に投げつけた。男は小さくなって「すんません」と繰り返した。
「クソが! 酒が不味くなったわ!」そう言って俺の顔を蹴り上げた。勢いが強くて俺はそのまま尻餅をついた。口の中に鉄の味が広がった。
「麗華、もういい。このアホを連れて帰れ」
麗華さんは俺の腕を取って無理やり立たせた。
「──ありがとう」
梨田は片手でさっさと帰れとばかりに手を払った。麗華さんは俺を引き摺って、カウンターに向かった。そこには先ほどとは違う落ち着いた雰囲気の男性が立っていた。
「ごめんなさい。あそこの席にシャンパンを入れて。それから今日の会計を」
男性は頷くと奥へ入って行った。そして若い店員が梨田の席にシャンパンを持って行った。そして目の前に小さな紙が置かれた。四十万と書かれていた。麗華さんは鞄の封筒の中から現金を出して銀色のトレーに置いた。
梨田のほうを見ると梨田はこちらに目を向けずに片手だけひらひらと振っていた。俺は麗華さんに再び引き摺られるようにして店を出た。
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