麗華さんは立ち止まらずに俺の腕を掴んだまま歩き続けた。声をかけようと思ったけど、もの凄く怖い顔をしてたから黙るしかなかった。
麗華さんは大通りに出るとタクシーを止めた。そして俺を突き飛ばすように乗せると「本牧の山手警察署の交差点まで」と告げた。俺が上目遣いで麗華さんを眺めたが、麗華さんは俺を一瞥もしないでずっと前を向いていた。タクシーが到着するまでその表情は変わることはなかった。
タクシーを降りると麗華さんは「少し歩くわよ」とだけ言った。俺は黙って麗華さんについて行くしかなかった。
本牧は思ったよりマンションが多く建っていた。その中でもそんなに大きくはないけれどお洒落な造りのマンションに入って行った。エレベーターの最上階のボタンを押す。どこに連れて行かれるんだろうか。
エレベーターを降りると扉は両端に二つしかなかった。麗華さんは左の扉の鍵を開けた。
「入りなさい」
そう促されて俺は恐る恐る中へ入った。「お邪魔します」そう声に出した。部屋に誰かいるかもしれない。部屋の中は暗かった。ふいに電気がついた。
麗華さんは俺にソファに座るように言って、部屋の奥から何か箱のようなものを持って俺の隣に座った。目の前のテーブルに置かれたのはクリアケースで中には何か薬のようなパッケージが見えた。麗華さんは無言で箱を開け、なにやらスプレーみたいなものを手に取り俺の顔にいきなり吹き付けた。
「うわっ!」
「避けないで。おでこ血が出てるんだから!」
そしてティッシュを何枚か取って俺に差し出した。
「鼻血も出てるし!」
鼻の下に触れてみると確かに血は出ていたようだ。けどもうほとんど乾いている。
「──このバカっ!」
「ごめん」
謝るしかないじゃないか。怒鳴られすぎて勝手に来たくせにとか言いたくもなったけどそれは違うなって。俺のせいで麗華さんを関係ないのに土下座させてしまったんだ。それは本当に済まなかったと思う。俺は土下座なんて全然気にしないけど麗華さんは女王様って面子もある。
「ごめん。悪かった」
「何に対して謝ってるの?」麗華さんはすかさず聞いてきた。
「何って……関係ない麗華さんを土下座させたこと?」
「そんなことで謝ってるの? 安い謝罪ね」
麗華さんはそう言うと立ち上がって行ってしまった。女王様の土下座って安いのか? そうは思えないのだが。お金を払わせたこと? いや……それはない。俺が返せばいいことだ。そういえば梨田は「麗華」と呼んでいた。もしかして知り合いなのか? もしかして昔の恋人だったりするんだろうか。昔の恋人に俺が失礼なことを言ったから? それについては俺はよく分からないのだが、そういうものなのかもしれない。
「麗華さんっ!」俺が顔を上げると麗華さんは両手にカップを持って目の前に立っていた。少し驚いた顔をしていた。
「なに? はい、コーヒー」そう言って俺の前にカップを置いた。
「あのさ、もしかして梨田と恋人同士だったりした?」
「はあ!?」麗華さんの綺麗な顔が思いっきり歪んだ。
「なんでそうなるのよ?」
「だって怒ってるみたいだったから。それに梨田は麗華さんのこと知ってたし」
「鈍いくせに変なところにはよく気がつくわねえ」麗華さんはコーヒーを手に溜め息と共に湯気を吹いた。
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