──髭モジャの、らしくない、統制をとる強気な姿を、ポカンと、見つめる一行がいる。
「……とと様、なんだか、別人のように、しっかりしておいでだ!」
「鍾馗《しょうき》や、そなたの父は、ただの髭モジャではない事が、よく、わかったでありましょう?」
母、橘《たちばな》の自慢気な様子に、鍾馗は、はい、と、大きく返事をした。
「それにしても、いつの間に……」
常春《つねはる》は、驚いた。
「晴康《はるやす》様に手渡され、とっさに……。上野様にと、思いましたが、鼻が利くところがありますからね。バレてしまっては。その点、うちの人なら」
橘は、くすっと笑いながら、髭モジャの袖に、式札を張り付けたのだと白状した。
橘、鍾馗、常春は、飲み水を溜め置く水瓶を再び覗きこみ、水面に映る、彼方の情景を見た。しかし、式札越しに見えている、あちらの様子に、三人は戸惑いを隠せなかった。
「橘様……、まさか、守近様が……」
「常春様、決めるのは、まだ、早いですよ。もしかしたら、誰かに、大納言様のお名が、使われているだけかもしれませんし……」
「だと、良いのですが……一応、最悪を、考えておいたほうが……」
ポツリと、晴康が言う。
「晴康?屋敷が、琵琶法師一団に、襲われる、だけではないのか?」
それだけでも、十分に最悪と思えるのだが、晴康は、うーん、と、言い渋りながら、答える。
「琵琶法師達は、来るよ、多分ね。ただ、押し込んで、はい、終わりじゃないと思うんだ。恐らく、屋敷に、火を放つだろう」
「鍾馗、室《むろ》に、囲っている食材を、工房へ、全て移しなさい!」
橘が、何か悟ったような顔をして、すぐに、息子へ命じた。
「さすが、橘様。皆が皆、橘様のように、物分かりが良いと、話は、早いのですが」
少し青ざめた顔つきで、晴康は、言った。
「晴康様は、少しお休みなさい。そうだ、何も召し上がってないのでしょう?食べ物を見繕って来ましょう。鍾馗!急ぎなさい!」
橘は、全て分かっているとばかりに、鍾馗を連れて、出ていった。
「晴康、おまえ……」
「いやあ、常春、橘様って、やり手だねぇ、全て、お見通し」
晴康は、ははっと、小さく笑う。同時に、華奢な体がよろめいた。
「常春、私は、陰陽寮で、暦作りをしている、ただの、下っぱ官吏だよ……」
「よ、横になれ!横になって、ひとまず、休め!」
弱音のような言葉を吐く、友を見て、常春の心は、ざわついた。きっと、力、を使い過ぎたのだ。今、晴康に何かあれば、待ち受けているであろう事に、どう、対処してよいのか、屋敷は混乱するばかりだろう。
混乱、で、終われば、まだ、良い。晴康の言い含み具合には、ただ、襲われる、という単純なものではなく、触ってはならないものが、蠢《うごめ》いている──そう、常春は、読み取った。
しかし、橘が、室を開けろと言った事といい、晴康が言う、最悪のこと、と、いい、どうすれば、いや、何が起こっているのかさえ、分かっていない常春には、動きようがない。
晴康なくては、守りすら出来ないのだと、常春は、自身に焦れた。
「晴康、無理をするな!今、お前に、何かあったら!!」
「ははは、大袈裟だな。すこし、ふらついただけだよ」
言いながら、晴康は、板土間に力なく腰掛ける。
「あとは、向こうで、答えを出してくれるだろうから……」
と、水瓶を見た。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!