おや?と、徳子《なりこ》が、首をかしげた。
「母上?」
転げそうになったりしたのが、もしや、身重の身に、応えたのではと、守恵子《もりえこ》の顔が曇る。
「タマや?ちゃんと、沐浴しておりますか?何やら、いつもより、匂いますねぇ」
はあ?!と、守満《もりみつ》、常春《つねはる》、上野に晴康《はるやす》は、呆れ返るが、
「え?そうですか?」
守恵子だけは、徳子に抱かれるタマに、鼻を近づけ、徳子と共に、首をかしげていた。
「あの、入内の話しが、お聞きしたいのですけど……」
呑気に、匂う、匂わないと、語り合っている親子を見て、晴康は、不服そうな顔をしている。
「しっ!余計な事を言うなって!」
晴康を、口止めしようと、守満が、慌てた。
「母上の、なさりたいように、させて差し上げなければ、肝心な事も、放り出されてしまわれるのだぞ!」
「あらまっ、徳子様は、本当の、姫君なのですねー」
晴康は、再び、タマが匂うと言い張っている徳子に見入った。
「恐れながら、タマも、沐浴の日には、ちゃんと手入れしておりますが……」
上野が、言った。
犬嫌いの自分が、ひぃひぃ言いながら、たらいに入れて、嫌がり、暴れる、タマを洗ってやっている。しかも、房《へや》の中に、放っている以上、それこそ、匂っては、なるまいと、上野は、必死で務めを果たしているのだ。
──と。
「上野?逢い引きしておりましたか?匂いは、タマではなく、上野から、ですね。色々な香りが、混じって、つい、タマかと思いましたが……」
徳子が、真顔で上野を見る。
いきなり、逢い引き、などと、滅相もない事を問われ、上野は、腰を抜かしそうになった。
もしかしたら、いや、実のところ、かなりの可能性で、有り得る守恵子の入内──。まだ、憶測として、誤魔化しているが、話が、どう転んでも良いように、側に仕える上野も、日々、規律正しい暮らしに徹していた。
いわゆる、競争相手は、どこから、何の因縁をつけてくるか、わからない。自分が、足を引っ張るような事をしてはならないと、気を引き締めていたのだ。
そこへ、逢い引き疑惑──。しかも、昼間っから、それも、ずっと皆で、居たのに、いつ、どうやって!
ムッと顔をしかめる妹を見て、兄の常春が、あ!と、声を挙げた。
「お方様、私の香りが、移ったのではないでしょうか?妹は、さきほど、転んで、少しばかり、立ち上がれず、私が背負って運んだものですから」
「うーん、さすれば、この、薬草のような、何か、気が遠のいてしまいそうになる、妙な香りは、何かしら?常春の香りでは、無いものが、匂いますよ。とても、不快な感じのもの……」
徳子の言葉を受けて、守恵子が、上野に、にじりよって来た。
常春も、妙な事を言われて気になったのか、妹に、鼻を近づける。
「あー!徳子様、それこそ、タマですよ!犬は、鼻が良く効きますから!」
晴康が言う。
「あら!そうでした!タマや、匂いの元を探しておいで」
「えええーーー!!ちょっと、なんですかっ!皆で、よってたかって!私の、どこが、匂うのですかっ!って、タマ!しっ!しっ!来るんじゃぁ、ありません!」
これは、たまらんと、ばかりに、上野は、にじり寄ってくる面々から、逃げようと後ずさった。
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