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#BL
#ヒューマンドラマ
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帝辛はそう言って、茶碗の縁へ指を添えた。
逃げ道を一本、残すみたいに。
「そなたの目は、私を値踏みしていた。あるいは……ひどく危ういものを見るように案じていた」
帝辛は、笑うでもなく、けれどもう刺しきらない声で言った。
「なぜだ?」
縫季は、胸の奥のざらつきを言葉にするのが嫌だった。
調整員として彼を見ていた。後年の記録に残る悲劇と黒い影、そしてこの清らかな「善」がいかに脆いかを知っているから。
だから睨みつけるような目になっていたのだ、と説明すれば早い。けれどその説明は、あまりにも手軽で、薄い。
「……殿下のあのお顔が、あまりに無防備に見えたからです」
絞り出した答えに、帝辛は一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。
そして、今度は声を立てて低く笑った。
「無防備、か。……父上以外に、そんなことを言う者はそなたが初めてだ」
その言葉をきっかけに、帝辛の纏う空気がわずかに緩んだ。
緩んだのに、軽くならない。むしろ、重いものが静かに露出する。
「――昨夜、父上の寝所へ行った」
ふいに落ちた、静かな声音。
帝辛は自らの茶碗を両手で包み込み、その熱を確かめるように俯いた。
「父上は、もう長くはないだろう。お会いするたび、お体から力が抜けていくのがわかる。だが、あの御方は……人のことばかりを気になさるのだ。『お前は自分を顧みない、少しは休め』とな。呆れたものだ。ご自分のことはどうなのだ、と言い返したくなったよ」
帝辛は自嘲気味に笑った。
縫季は、配給の倉で聞いた「名君」の姿と、帝辛が語る「老いた父」の姿を重ねる。そこに矛盾はない。矛盾がないからこそ胸が痛む。
「……陛下は、それほどまでに殿下を信じておられるのですね」
「信じているのか、あるいは、急かされているのか」
帝辛の指先が、茶碗の縁をなぞる。
爪が触れないように。器を欠かせないように。そういう触り方だった。
「昨夜、父上は仰った。『黒闢のことだが、あの男をどう扱うかは、お前が決めろ。私は、もう……』と。……そこで、言葉を濁された」
「黒闢」という名が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかに重くなる。
縫季の脳裏に、灯台の記録が浮かんだ。
乾いた頁。そこにだけ、黒い滲みがあった。墨ではない。指で擦っても広がらない、落ちない染み。
その滲みの周辺だけ、文字が読めない。
記録が、欠けている。
(……何が、記されていたんだ)
縫季は思わず茶碗の縁を強く押さえ、すぐに手を離した。
器は何も言わない。だが、触れ方ひとつで割れるものがあることを、指が覚えている。
帝辛は視線を上げ、遠い空を見つめた。
「私は、咄嗟に言葉を飲み込んでしまった。『まだ、父上が必要です』と、子供のような泣き言が喉まで出かかった。……私は、情けないな」
振り向いた帝辛の顔は、あまりにも「青かった」。
「父上は……『お前はもう、次の王だ』と仰った。息子ではなく、殷の主として立て、と」
縫季は、胸の奥で小さく舌打ちした。
さっきまでの帝辛は、こちらの呼吸の乱れだけを選んで絡め取って、年上をからかうことを遊びのようにやってのけた。――なのに今は、茶碗の熱に縋るみたいに両手を重ね、言葉の端で躓いている。
整いすぎた所作の奥に、まだ整いきらないものが残っている。
完璧に見せる癖があって、そのくせ、弱いところもある。
生意気な――若君だ。
そう名付けてしまえば楽なのに、名付けた瞬間から目が離せなくなる気がして、縫季はその続きの言葉を飲み込んだ。
帝辛は茶を一口啜り、深く息を吐いた。
そして、どこか縋るような、あるいは確かめるような目で、縫季を見つめた。
「縫季。そなたには、この国がどう見える。……私は、父上のようになれると思うか?」
まっすぐな問い。
縫季は、自分の手がわずかに震えているのに気づいた。調整員としてなら、保存記録に残る収束を答えればいい。
けれど、この熱い茶を淹れ、脆い素顔を見せた青年に対して、そんな無機質な言葉は出せなかった。
「……陛下が守りたかったものを、今、誰よりも大切に抱えておられるのは、殿下です」
縫季は帝辛の瞳を逃げずに見据えた。
「殿下が殿下である限り……この国の温かさは、消えません」
それは、後年の記録を知る者としての、そしてこの「青さ」に心動かされた一人の人間としての、切実な願いだった。
帝辛は一瞬、呆然としたように縫季を見つめていたが、やがて今日一番の、そして少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべた。
市場で見せた『形』ではない。けれど、同じ無防備が、今度は部屋の静けさに守られている。
コメント
1件
うわあああ今回もめっちゃ良かった…😭💕 帝辛の「青さ」と縫季の揺れる気持ち、両方ひしひし伝わってきたよ…! 特に「完璧に見せる癖があって、そのくせ弱いところもある」って縫季の内省、めちゃくちゃエモい…この距離感たまらん😭🔥 「殿下が殿下である限り…」の縫季の言葉、切実すぎて泣いた。 2人の関係、どんどん深まってて尊い…!続き気になる!!