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白い牡丹雪が深々と舞い降りて、小さな針葉樹の森に囲まれて聳え立つ、黒煉瓦の尖塔の周りに深く降り積もる。寒い寒い、真冬のことであった。
その尖塔に住む一人の少女が、黴臭い部屋の中、肘掛け椅子をゆっくりと揺らしながら、黒炭の枠をした窓の傍で、羊色をした毛糸のマフラーを編んでいた。暖炉の火が、ぱちぱち、と弾けて心地よく耳を打ち部屋を暖めるものだから、少女は夢心地である。時々目蓋を閉じてさえいると言うのに、編み物をする手は絶えず動いて、羊色をしたマフラーを形作っている。編み物は殆ど終わりかけていて、あとは縁を可愛らしい花柄で飾るだけになっていた。
ふと木で出来た扉が、ぎぃ、と音を立てた。少女が何気なく後ろを見やると、そこにはまだ一歳にもなっていないような小さな黒猫が、少女の近くに歩み寄ろうとしていた。
「どうしたの」
少女は優しい声色で黒猫に声かけた。みゃあ、と黒猫も返事を返す。返してから、少女の前に座り込み、少女のマフラーを編む手を不思議そうに、大きな黄色い目でじっと見つめていた。少女は、ふふ、と黒猫に微笑みかけ、途中まで出来ている編み物を窓際に乗せると、
「おいで」
膝をぽん、ぽん、と叩いた。
みゃあお。
黒猫が小さく鳴き声を上げた。かと思うと、次の瞬間には少女の膝に飛び乗っていた。飛び乗って、こぢんまりとした身体を丸め、快さそうに目蓋を閉じる。少女は黒猫の真っ黒な耳を、カリ、カリ、と掻きながら、その黒猫と同じようにゆっくりと目を閉じた。それから肘掛け椅子の揺れる音と、暖炉の火が弾ける音。そして黒猫がごろごろと鳴く音を耳にしながら、彼女は考えごとにふけり始めたのだった。
年齢は十五歳程だろうか。目を閉じた少女の横顔には、まだまだ幼さが残っていた。体つきも華奢で、ともすれば簡単に手折れてしまいそうである。顔は今も外に降り積もる雪のように白く、肌は繊細で瑞々しい。桜色をした小さな唇は、熟れた林檎の様に艶々しく、まるで人形のようである。髪は銀髪で、その流れる様な長い髪は、彼女の何よりの自慢であった。
彼女は名を、ソラス、と言った。
父親を早くに亡くし、優しくも厳しい母親に連れられ、港町で育ったことは彼女の記憶にあるのだが、果たして母親の顔や名前、港町でどのように育ったかなどをソラス自身は覚えていない。また、ソラスが親元を離れて一年前にその尖塔に住み始めた頃の記憶や、それ以前の記憶が全く無い。彼女はそのことを不思議に思っていたのだが、幸いにも今までそのことで何か問題が起きるということも無かったので、さほど気にせずに生活を営んでいた。
ソラスは、どちらかと言えば貧乏ではない生活をしていた。というのも、その尖塔の地下にある鍵の無い金庫――果たして金庫という名が妥当であろうか――に、金貨が一杯に詰まっていたのである。もちろんソラスのものではなく、彼女が尖塔に住み始める前からあったものだった。だが、食糧や衣類品を買う際、本当にお金が足りない際は、名前も分からない尖塔の元の所有者に対し罪悪感を心の片隅に覚え、ごめんなさい、と呟いてからその金貨を使うことにしていた。
窓際に置かれた羊色のマフラーからも判る様に、ソラスは編み物や縫い物が得意であった。彼女は時々、毛糸や布を買っては一日中裁縫をして衣類品を作り、それを尖塔の近くの小さな猟師村で売ることにしていた。これがなかなか丈夫なものだったから、彼女の作る衣服は、それなりにではあるが売れていたのだった。
不意に声がした。甲高さの残る、声変わりのしきっていない少年の声である。
「ソラス、朝ご飯食べないの?」
ソラスは閉じた目蓋を開けて振り返り、空色の目を声がした方に向けた。そこにいたのは、ソラスと同じ銀髪をした一人の少年であった。顔つきは兄妹と思える程に殆どソラスに似ていたが、ただ一つ違っていたのは、顔に幼さが見られないことである。すっかり大人の顔をしていて、声と比べるとアンバランスにも思える程であった。名前はユイス、と言う。ソラスと同じで名字はない。
黒猫はその少年を嫌っているようで、睨み付けるような鋭い目線を彼にくれると、尻尾でゆっくり円を描きながら、足早に少年の足元をくぐり抜け、部屋を去ってしまった。
「なんであいつは僕の事が嫌いなんだろう」
「さあ?いつか、尻尾でもふんだんじゃないの」
「耳を引っ張ったことしかないよ」
ソラスは肘掛け椅子をまた揺らし始め、途中だった羊色のマフラーを一気に作り終えようとしていた。彼女が指を一つ動かすごとに、花柄が少しずつ出来てゆく。少年はそれを眺めながら、
「この世に魔法があるとすれば、こういうことなんだろうな」
と呟くのだった。尚もマフラーはだんだんと形作られてゆく。マフラーの輪郭に咲く花柄の量は、ソラスが指を動かすにつれて増えてゆく。
「『ママは魔術師 ママは魔術師
お料理作ってお服を織って 貴方に何でもしてあげる
ママは魔術師 ママは魔術師
貴方にお歌を歌ってあげよう 貴方の優しい魔法使い』……出来た!」
わらべ唄を小さく歌っていたソラスは、そう言って嬉しそうな表情で、ユイスにマフラーを見せた。しかしユイスは、作る途中には注目を向けていたマフラーには今は一瞥もくれず、
「即興かい?」
「違うわ」
がっかりしたようにソラスは言って、マフラーを肘掛け椅子の隣に置いてある布袋に入れた。ふくれた彼女を見ても、ユイスは気遣おうというそぶりを全く見せなかったが、待ってもソラスが相変わらず肘掛け椅子から離れようとしないのを見て、彼女の作ったマフラーを布袋から取り出すと、
「ああ、神よ!私はなんて疑り深いのでしょうか!こんなに愛らしく暖かみのあるマフラーが、神の力ではなく、一人の人間の少女によって作られているなんて!」
言いながら、ユイスは仰々しくマフラーを掲げてソラスに跪いた。まるで彼女が神であるかのように。
「大げさに言わないの」
クスクス、と笑いながらソラスはマフラーを受け取り、
「ユイス。貴方の罪は許されました」
「本当?じゃあ、これからは厨房の掃除はソラスに任せてもいいよね」
「その罪は許されてないよ。一週間の約束だったでしょう」
「神は死んだ」
「ごまかしてもダメよ。あと三日間だけなんだから、頑張ってね」
少年が、ちぇっ、と声の年相応の判りやすい舌打ちをする。ソラスは肘掛け椅子から立ち上がると、布袋の口を軽く閉じて、暖炉の火は付けたまま部屋から出てすぐの螺旋階段を降りた。ユイスも、すぐその後に続く。
「ソラスの分は置いてあるよ」
「貴方はもう食べたの?」
ユイスは無言で頷いたが、前を見ていたソラスは気づかず振り返った。だが尚も返事はなく、
「食べたって事?」
復唱する。
「食べたってば」
ユイスもまた少しの苛立ちを含めながら、今度は声をだして返答した。
螺旋階段を降りきって、彼らは一階に辿り着いた。それから居間に出ると、ソラスは居間の向こうにある厨房を目を薄くさせて見た。厨房は食パンの入れてある四角いバスケットと、シチューの入った大鍋、それと半分に切られた、丸くくすんだ色をした黄色いチーズが載せてあるまな板が、無造作に放置してある。恐らくユイスが使ったであろう青いカップもだ。
「お世辞にも片付いている様には見えないよ」
「王様の目はコウモリの目。見えているものは見えなくて、見えないものが見えてくる」
「ふざけないの。ほら、ちゃんと片付けなさい」
ユイスはむすっととしながらも、厨房へと向かった。ソラスはというと、一人優雅にライ麦食パンとチーズ、ミルクの入ったカップが載せてある食卓に座りこんだ。
「ありがとね」
「どういたしまして。この掃除の刑をやめてくれるなら、なんだってするさ」
ユイスの文句には耳も貸さず、彼女は薄い胸に手を当てた。そうして大きく息を吸ってから、ソラスは口を開く。
「今日という日を下さった、母なる大地と父なる大空に感謝して、この食事を頂きます。どうか、この食物に祝福をお与えになって、私の心と身体を支える糧とさせて下さい」
次いでユイスが、間髪入れずに、
「『神様は何もくれやしない 神様は何もくれやしない
雷落として火をおこし 家を壊して回るだけ
貧乏人になんにもやらず 富豪の家では盗みを働き 家を崩して回るだけ
神様は何もくれやしない』」
と、茶化す。
「敬虔深かったら、それだけ助かることもあるのよ」
ソラスがパンを口にする前に反論した。
「例えば?」
「大変なときとかは特にね。貴方と話してる時とかも」
それから彼女はやっと食にありつくのだった。ソラスは食事の時のお喋りは嫌いだった。静けさを好む少女なのだ。ユイスもそれを知っていて、なるべく喋らないようにしている。例えばこの時のように、本を読んだりして静けさを紛らわしている。そのユイスの方はお喋りで、あまり静けさを好む性質ではなかった。
一階の居間に、ユイスが本のページをめくる音だけが聞こえる。他には――時折聞こえる、猫の足音以外は――何も聞こえず、至って静かだ。孤独な尖塔に、かつて人が居なかったであろう時の静けさが、僅かながらに訪れていたのだった。