気配が完全に消えた瞬間にゆっくりと頭を上げる。
部下たちはまだ頭を下げたままだ。
「……よう、大丈夫かよ」
「……大丈夫、とは言い難いですね」
話しかけてきたのは、銀色のギルドカードを持つ一流の冒険者・龍人族のアルフォンス・ベドフォード。
「あの方は、御方様に御縁のある方なんだろ?」
「分かりますか……頭を上げて通常業務に戻りなさい!」
未だ礼を尽くしたままの部下に声をかける。
王都ギルドに相応しい一流の教育がなされているはずの部下たちは、ぜんまい仕掛けの人形のように一斉に飛び上がってのち、機械的に動き始めた。
「気配を断っていたけどなぁ。雪華とは一度やりあったことあるんだよ。御方様以外に忠誠を誓うなんて考えられん奴だったから、よほどの深い縁のある方なのかと思ってな」
「私も冒険者時代に彩絲と何度か、ね……本当に馬鹿だわ。彼女への嫌悪感が先立ってしまって、彼女が守護する相手がどれほどの人物かまで思い至れなかった……ギルドマスター失格ね」
残虐非道で有名な蜘蛛族の頂点に位置している虹糸蜘蛛で、唯一人化ができる彩絲が、御方様の近くにあった時分。
相応しいのは自分の方だと名乗り出た挙げ句、徹底的に叩きのめされた。
対峙するのすら諦めたのは、御方様の。
『貴女の腕前では足手纏いにしかなりません。これ以上の接触は避けていただけますか? 鬱陶しいので』
という魂まで凍りつきそうな否定の言葉を浴びせられたからだ。
御方様への敬愛が未だ失せないままに、彩絲への劣等感から判断を誤ってしまった。
「バローは何だって?」
「……御方様に相応しい伴侶であらせられるので、王族以上の対応をと。また我欲が薄く目立つのを厭う方なので、くれぐれも厄介事に巻き込まれないよう、速やかに手続きをしてほしいと」
「伴侶! それは……洒落にもならねぇなぁ」
「バロー殿からの手紙が最重要棚に入っていなかったのよ。笑うしかないわね……」
教育は徹底していたはずだ。
それでも問題は起きる。
起きてしまった問題は、迅速丁寧に処理せねばなるまい。
「聡いお方みたいだったからなぁ。お前はぎりぎり許してもらってたことだし、何とかなるだろ……これ以降の対応を間違えなければよ」
「ええ……もう、間違えないわ」
王都ギルドマスターの任についてから、幾度となく問題を乗り越えてきたアメリア・キャンベルは、今回の難題をも乗り越えるべく大きく息を吸い込む。
「フローレンス・コネリー。貴女はこの先三ヶ月無給で働いたあとで解雇します。その後、王都ギルドは勿論、他のギルドに勤めることも許されません」
「え? どうしてですか! そんな厳しい処罰を受けるほどの問題を起こしたとは思えません!」
愛らしい容姿を鼻にかけ、女性には素っ気なく、男性のしかも容姿端麗な実力者にのみ愛想を振り撒き業務を行っていた彼女。
王族筋の遠い血縁と耳打ちされ捻じ込まれた就職ではあったが、あまりにも態度が悪いからと、根回しをして近々退職を促す予定だった。
「……至急と書かれたバロー殿からの手紙を通常処理用の棚へ入れた業務上の失態。王族以上の方の言葉を聞き入れずに、その持ち物を取り上げて返さない無礼。謝罪もせずに失神する王都ギルドの受付嬢とは思えない無様」
「お、王族以上の方なんて、分かるわけないじゃないですか!」
「かのバロー殿がギルドカードを託された方。バロー殿以上の対応をするのが当たり前。説明されるまでもないでしょう」
「盗まれた物かもしれませんっ!」
「あの方が? バロー殿が? そんな間抜けな事態になると想定するのがそもそも不敬ですね。銀ギルドカードともなれば、完璧な盗難防止の魔法が施されていることも知らないとでも?」
「でっ! でもっ!」
「不満なら三ヶ月分の給与をギルドへ支払って、今すぐ辞めてくれて結構です!」
まだ何か言い募ろうとする反省の色すらないコネリーの首根っこを、アルフォンスがひょいと持ち上げた。
「なぁ? コネリーさんよ」
「はひっ!」
「彼の方はなぁ。王族より上におられる方だ。まぁ神様寄りの方と言ってもいい」
「かみ、さま?」
「王族への不敬は本人や親族の処刑だろ」
しょけ、い、と呟いた、コネリーの太腿から勢いよく臭いのする水が滴り落ちる。
眉根を寄せたアルフォンスは水だまりの上へ彼女を座らせて、目線をしっかりと合わせた。
「神様への不敬は、国の崩壊をも招く事態なんだ。これで、お前が仕出かした不敬がどれほどのものか理解できたか?」
「……すぐさま謝罪ができていれば、ここまでの問題にはならなかったでしょうに。バロー殿曰く寛容なお方らしい。でも、もう……手遅れですね」
「いやあああ!」
ようやっと理解できたらしいコネリーは、失禁の始末もせずに走り去ってしまった。
「……駄目だな、ありゃ」
「逆恨みをしないように、手を打っておきます」
コネリー家の現当主は愚鈍だが、次期当主は有能だ。
娘の責任を取って共に田舎にでも引っ込んでもらえば、次期当主に恩も売れるだろう。
「その方がいいだろう……で、次はお前らの番だ」
逃げようとしたらしく手足を縛られて、床へ転がされている愚かな冒険者二人をアルフォンスが見下ろす。
アメリアもその横に立って断罪をする。
「聞いての通り。お前たちは愚かにも決して手を出してはならない方に無礼を働きました。コネリー同様。直接謝罪ができなかったのが決定打だったわね」
「あの方の威圧が始まった段階で、土下座でもしていればきっと、今後も冒険者として生きていけただろうになぁ」
アルフォンスはアメリアが下そうとしている断罪を明確に把握しているようだ。
「ギルドが肩代わりした、あの方への慰謝料2000ギルを即時一括で支払いなさい。それからギルドへの迷惑料として同額を。貯金は……ま、ないでしょうね。犯罪奴隷と借金奴隷、どちらがよろしいです?」
「お前ら、ギルマスが優しい人で良かったなぁ? 本来なら問答無用で犯罪奴隷だってーのによぉ。借金奴隷ならまだ出戻れる可能性があるかもしれねぇからな」
犯罪奴隷は指定した死地での重労働が必須だが、借金奴隷ならまだ売られる先に選択の余地が残されている。
金額的に考えれば、冒険者への道も完全に閉ざされたわけではない。
本人たちが真摯に働けば、だが。
それなりの冒険者歴がありながら、宵越しの銭はもたねぇぜ! と、貯蓄概念がない彼等にきっちりと借金が払い切れるとは思えない。
「借金奴隷の身で罪を犯せば、それがどれほど微罪でも容赦なく犯罪奴隷に落とされますから。精々心を入れ替えて頑張ることですね」
二人は全身拘束をされているせいもあってかコネリーのように、暴言すら吐かなかった。
「じゃ、俺はこいつらを連れて行くぜ」
「助かります。よろしくお願いしますね」
「おぅ。お前もバローにちゃんと報告を入れておけよ」
「ええ。すぐに手配いたします」
アメリアはアルフォンスを見送ると、ギルド室長室に籠もる。
深呼吸を数度してから椅子に座り、嘘偽り誇張ないバロー宛てへの謝罪の手紙を認め始めた。
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