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「橘様!」
常春《つねはる》が、たまりかねて言った。
「ええ、遅いわね」
二人は、紗奈の戻りが遅すぎることに、気を揉んでいた。
「やはり、紗奈とタマ、じゃ……」
「橘様!私達も!」
常春が、急かす。
「ええ、やっぱり遅すぎるわ!何かあったのかも……」
橘の言葉に、常春の顔色が変わった。
「だ、大丈夫よ、常春様、まずは、様子を覗いて見るということで」
これからの事を確かめ会うように、うん、と、二人は頷くと、腰をあげた。
「まったくよぉ、おめぇーらのお遊びに、付き合うこっちのことも、考えてくれよなぁ」
塗篭《ぬりごめ》にいる、新《あらた》は、嫌な笑みを浮かべたまま、紗奈へにじり寄って来た。
鼻先が、当たりそうなほどの距離に、紗奈は、後ずさろうとしたが、既に、新は、紗奈の胸元を掴んでいた。
「……ふーん、紗奈、お前も、良く見りゃあ、可愛い顔してんじゃねぇか」
言われて、紗愛はゾッとする。新の顔つきは、自分の知っているものではなく、女を値踏みする、下衆なモノに変わっている。
胸元を掴まれていては、女の力ではどうにもならない。助けを呼べば、兄、常春に聞こえるかもしれない。少し距離はあるが、同じ母屋にいるのだから、と、思えども、恐怖から声も出なかった。
と……。
──思い出して、足払い……。ほら、童子検非違使でしょ?
また、どこからともなく、声、が聞こえて来た。
……足払い……。
そういえば……。
紗奈の脳裏に、幼い頃の記憶が、よみがえった。
──髭モジャーー!!
チゲもじゃーー!!
「近ちゃん、チゲもじゃ、じゃなくて、髭モジャですよっ!」
「あー、あい!」
「紗奈姉様《さなねぇさま》、近ちゃんは、小さいので、髭モジャって、言えません」
「うーん、なるほど、守ちゃんの言う通りですねー、ですが、髭モジャは、髭モジャなんですっ!」
「あい!!」
「ありゃ、女童子よ!!まずかろう!!お二人を庭へ連れ出して!」
「あっ!髭モジャ、いた!」
「チゲもじゃ!いた!」
「髭モジャ!さっきから呼んでるのに!どこにいたのですかっ!」
「あー?なんじゃ、女童子よ、どこぞの、口煩い女房みたいじゃぞー」
「えーー!!違いますよーー!紗奈は、今、童子検非違使なんですからあーー!!」
「どうち、けびーし!」
「近ちゃん、童子検非違使だよお」
「うーん、守ちゃん。近ちゃんは、仕方ないですね。やはり、小さいですから。なので!髭モジャ!」
「はああ?!うーむ、困ったのぉ、女童子よ、そりゃ、ちょっと……」
「でも、童子検非違使の、巡邏中《けいびちゅう》に、何か、危険なことがあったら!」
──そうだ!子供の頃、髭モジャに、教わってたんだ!
紗奈は、幼い守満《もりみつ》と守恵子《もりえこ》を引き連れ、髭モジャと、護身術と称した相撲をとっていた。
互いに組み合って、えい!と、髭モジャを放り投げる。もちろん、髭モジャが、わざと、転んでいたのだが、守満も、守恵子も、大のお気に入りだった。
その時、色々な技を、髭モジャは、教えてくれた。当然、皆に、使いこなせる訳はなく、あくまでも、形だけ、みせかけの技に、髭モジャは、器用に転んでみせ、参った、参った、と、守満、守恵子を喜ばせた。
そんな過去を思い出した矢先、紗奈の胸元が、荒々しく開かれる。
「あっ!な、何を!!」
一瞬にして、紗奈の頭の中は、真っ白になった。