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第1話:花びらの日
ユイは、静かに財布を開けた。
その朝は、曇り空。制服のブレザーをきっちりと着込んで、黒髪を結ばず肩に流したままの彼女は、駅前のコンビニで小銭を探していた。
小銭入れの奥。指先がふれた、硬い感触。
「……ん?」
見慣れないそれは、直径2センチほどの丸い物体だった。金属ともガラスともつかない、すべすべとした質感。
光にかざすと、表面に薄く――桜の花びらの模様が浮かんでいた。
「こんなの、入れてたっけ……?」
レジを終えても、不思議な違和感は残ったままだった。
それでもユイは、その“まるいもの”を財布に戻し、学校へと向かう。
その日は、特別なことなど起きるはずのない、普通の一日だった。
1限目の国語、2限目の数学。友達との雑談も、ノートの中の落書きも、いつも通り。
でも、昼休み。ユイはなぜか、校舎の裏庭に足を向けていた。
「……咲いてる」
小さな植え込み。葉は枯れて、枝も細いままのその木に、たった一輪だけ、桜が咲いていた。
十月の終わり。桜が咲く季節じゃない。誰も気づいていない。
ユイは、そっと手を伸ばして、それに触れようとした。
けれど、指先がかすめる前に、花びらは風に舞って、空へ消えた。
「止まってたの、わたしの方だったんだな」
そうつぶやいて、ユイは再び財布を開いた。
“まるいもの”は、そこにあった。けれど、桜の模様はもう消えていた。
ただの、つるんとした球体。
でもユイには、それが「ちゃんとあったこと」だと、わかっていた。