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次の日の授業は2限目からだった。
少し早く到着してしまった紫音が、キャラデザコースの共有スペースで時間を潰そうと歩いていると、
「おはよう。紫音ちゃん」
声をかけられた。
振り返るとそこには、
「え。雨宮……先輩?」
胸まであった髪の毛をバッサリとマッシュに切り落とした、雨宮深雪が立っていた。
「どうして髪切っちゃったんですか?」
目を丸く開いている紫音を、深雪はさっぱりした後頭部を掻き上げながら笑った。
「ああ……ええと。一応、誠意?みたいな?」
歯切れの悪い言葉に、眉間に皺を寄せていると、彼は生徒が行きかう廊下の真ん中でスッと頭を下げた。
「ごめん!傷つけて」
「え………」
キョトンとした紫音と頭を上げようとしない深雪を避けた生徒たちが、好奇の目を向けながら振り返る。
「……と、とにかく、顔上げてください!」
そう言って腕を掴むと、彼はやっと頭を上げて紫音を見つめた。
目も眉もハの字に下がって、今にも泣き出しそうだ。
「もしかして、一昨日、私を笑ったことについてですか?」
「―――うん」
「そのせいで髪切ったんですか?」
「―――うん」
(……嘘!?)
紫音は両手で驚きのあまり大きな声を上げそうになった口を塞いだ。
「言葉では何とでも言えるから、ちゃんと誠意を見せた方がいいかと思って」
(……私がこんな……)
紫音は、髪を切ってもなお、それはそれでーーいや、前よりもかっこよくなった彼を見上げた。
(……こんな美しい人の人生に、影響を与えるなんて……!)
そう思えば思うほど、胸が高鳴る。
「……説明……させてくれる?」
深雪は少し困ったような顔で言った。
「実は先週、視覚デザインコースの子から告白されてさ。知ってるかな、ミス辰見になった楢崎さんって子」
(楢崎まどか。知るも何も――学校イチの有名人なんだけど)
学園祭のミスコンでダントツで1位に輝き、某動画投稿サイトでは15万人のフォロワーがつき、近々芸能界デビューも噂されている。
(そんな人に、告白されたの……?)
深雪は眉間に皺を寄せ、顔をしかめながら続けた。
「俺、断っちゃったんだよね。それで結構あっちのコースの子たちか悪口みたいなのを言われてて。あることないことまで言われてさ」
「あることないことって……?」
「……生で中出しして、ヤリ捨てたとか」
「…………」
紫音が彼女にとっては非日常の猥語に硬直していると、
「あ、もちろんデマだからね?デマ!」
深雪は手をブンブン振りながら言った。
「だから友達にプライドの高い女はこりごりだって話をしてて」
彼の目がこちらを恐る恐る見つめる。
「付き合うならああいう子がいいなって」
「…………」
紫音は瞬時に理解した。
かたや学校で一番目立つ女の子。
かたや各コース一人はいそうなあか抜けない女の子。
一方は一度見たら忘れられないほどの美少女で、もう一方は明日には忘れていそうな地味女。
深雪が思い付きで指さした紫音が、楢橋円加といろんな意味で対極で、
だから男たちは笑ったのだろう。
ーーマジかお前。あの美少女より、こんなのがいいの?ーー
つまりはそういうことだ。
「……じゃあ、あれですね」
紫音は目を伏せた。
「私は都合のいいかませ犬だったってわけですね」
「え……」
「ちょうどよかったんですよね。美少女を振って……もしくは弄んで?周りから嫉妬されていた先輩にとって、私のような地味な女がいいと笑うのは」
紫音は今度は深雪を見上げた。
「自虐ネタに、使われたわけだ」
「……違うよ!俺は……!」
「あ!やっぱりぃ。深雪先輩だ~。キャラデザなんかで何やってんですかー?」
鼻にかかる声が廊下に響く。
彼の後ろには、見覚えのある“4年生”たち数人と、彼らに負けずとも劣らない派手な女たちが立っていた。
「おお、びっくりした!深雪か!!」
シルバーの短髪で、耳に隙間のないほどピアスを嵌めている男が目を見開く。
「髪切ったのかよ!?」
「あ、ああ、まあな」
深雪はというと話を中断されて、きまり悪そうに振り返った。
「深雪先輩~、どうして昨日の夕方来てくれなかったんですかー?」
長い黒髪の女性が雫の形のドロップピアスを揺らしながら、深雪の腕に絡みつく。
「日本絵画展、深雪先輩の感想聞きたくて待ってたのにー」
「ええ?俺、全然大したこと言えないよぉ?」
深雪が苦笑しながら、自然にその腕を外す。
「それに昨日は美容院行ってたし」
「ランチ一緒に食べたときはそんなこと言ってなかったじゃないですかー」
甘えた声。
媚びた声。
おそらくベッドの中でも同じような声を出しているに違いない。
「なんで急に切っちゃったんですかー?似合ってたのにぃ」
日常的にこんなに派手で可愛くて、バカらしいほどわかりやすくアピールしてくる女がウヨウヨいるのだ。遊んでいないわけがない。
所詮は自分とは違う世界の生き物。
少しでもドキドキした自分が恥ずかしい。
紫音が踵を返そうとすると、
「……女の子に振られたから」
「え」
深雪が放った言葉に、紫音は思わず声を上げた。
「………?」
その上下につけまつげをびっしりつけた目がじっとこちらに向く。
ーーだれ?この地味な女。ーー
心の声が嫌というほど聞こえてくる。
「――じゃあ、先輩。私はこれで」
そのきつい視線に耐え切れずに言う。
「あ、まだ話の途中なんだけど」
そう深雪が伸ばしかけた手を、また女が絡めとるように絡ませる。
「深雪先輩はこっちー。ほら、次の授業、造形ですよ。準備しなきゃー」
「いや俺、石粉粘土待ちだから」
「ええ?そんなの私の在庫あげますよ」
「いやいや、俺はプルネッタって決めてるから。Amuzonで入荷待ちなの」
「もう。先輩は拘り強いんだからー」
まるで紫音にぶつけるように翻した髪の毛から、ホワイトムスクの香りがする。
「…………」
そのとき、長く黒い艶やかな髪の下から、眼が覚めるほどの鮮やかな紫色が覗いた。
(……インナーカラーってやつ?)
髪を靡かせたり、掻き上げたりしなければ見えないほどの控えめなインナーカラー。
深雪と同じ紫色なのは偶然だろうか。
紫音がしばしその色を見つめていると、
「紫音ちゃん」
たちまち仲間たちに囲まれた深雪は必死でこちらを振り返った。
「次回の授業さ、1時間早く来れる?完成チェックしたいから!」
「あ……」
「いいね!約束!」
その深雪の顎が先ほどの女にぐっと掴まれ前を向かされる。
「はいはい、急ぎますよー?先輩」
「……だから俺、粘土ないんだっつの」
「でも出ないわけにはいかないでしょー?」
深雪は集団に飲み込まれながら、キャラデザコースの廊下を歩いていった。
「―――せきふん粘土……?」
紫音は襟足を刈り上げた紫色の頭を見つめ、
いつかどこかで聞いたような言葉を反芻した。
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