「えへへ……もう姿を保っていられないみたい」
ミラが残念そうに眉を下げる。
「ミラ……」
ミラはもう消えてしまうのだろうか。
覚悟はしていたつもりだったが、いざその時になってみると、やはり簡単には受け入れられない。
ミラの前ではずっと笑顔でいようと思っていたのに、もう涙で視界がにじみそうになる。
しかし、泣き顔のエステルとは反対に、ミラはどこか穏やかな表情だった。
もうずっと前から、こうなる日が来るかもしれないと考えていたからかもしれない。
ミラはほとんど透明に近い顔で、いつもの可愛らしい笑顔を浮かべた。
「ねえ、エステル。僕、エステルのことが大好きだよ」
「わたしも……ミラのことが、とってもとっても大好きよ」
泣き出しそうになるのを、なんとか我慢して答えると、ミラは嬉しそうに「うん」と答えた。
「あの日、エステルに会えてよかった。エステルが僕のこと大事にしてくれて、すごく嬉しかった。エステルと一緒にいられて、本当に幸せだったよ」
「わたしだってそうよ。ミラに出会えてよかった。ミラとの毎日はどの瞬間も楽しくて幸せだったわ」
「嬉しいな。……ねえ、エステル。僕のこと、ずっと忘れないでね。僕もエステルのこと、ずっと大切に思ってるから」
「ええ、絶対に。ずっとずっと忘れないわ」
「よかった」
ミラの笑顔がどんどん透けて、空気との境目が曖昧になる。
ミラの手を握っているのに、もう何の温もりも感じられない。
本当にお別れの時が来てしまったのだ。
ミラがアルファルドのほうを向く。
「……じゃあ、アルファルド。今から僕は元の場所に戻るね」
「ああ」
アルファルドが真剣な顔でうなずく。
そして、その横では、笑顔になろうと頑張っているのに、どうしてもできないエステルが悲痛な表情を浮かべていた。
二人の重苦しい様子を見て、ミラが困ったように苦笑する。
「もう、沈んだ顔しないでって言ったのに……。仕方ないなぁ」
そう言ったあと、ミラは少しいたずらっぽく人差し指を立てた。
「二人とも、覚えておいて。僕とアルファルドは同じだってこと。つまり、僕がエステルのことを好きなのは、アルファルドもそうだってことだからね」
それからミラはにっこりと微笑んだあと、「アルファルド、がんばってね」という言葉を残して、目の前から消えてしまった。
◇◇◇
ミラの姿が消えてしまったあと、エステルは呆然としたまま動けずにいた。
もうミラがいないだなんて信じられなくて、頭がぼうっとしていたし、そのうち今度はミラが残した言葉が頭の中をぐるぐると回り始めて、パニックを起こしていたのだ。
──つまり、僕がエステルのことを好きなのは、アルファルドもそうだってことだからね。
(アルファルド様もそうってことは、つまり……)
一つの結論に辿り着いて、エステルの顔が真っ赤になった。
(ミラったら……どうして最後にそんなことを言い残していくの……!)
お葬式みたいな空気を明るくしたかったのは分かるが、もっとほかに言うことはなかったのだろうか。
おかげで、ミラとのお別れの余韻がおかしなことになってしまっている。
それこそがミラの狙いだと言うなら、完全に思う壺だ。
(もう、今はそんなことで浮かれてる場合じゃないでしょ!)
エステルが両頬をパシっと叩く。
そうだ、今は浮かれている場合ではないし、落ち込んでいる暇もない。
十五年間も欠けていたアルファルドの心の一部が、やっと戻ったのだ。
アルファルドの情緒や体調に影響が出ていてもおかしくない。
しっかりと様子を見る必要があるだろう。
「アルファルド様」
しかし、さっそく声を掛けてみたものの、アルファルドは胸を押さえたまま黙り込んで返事をしない。
やはり、体調に影響が出ているのかもしれない。
「アルファルド様! 大丈夫ですか? もしかして具合が……」
発熱していないか、額に手を当てて確かめようとしたが、アルファルドはすばやく一歩下がってそれをかわした。
「……すまない、近づかないでくれないか」
アルファルドはエステルのほうを見ようともせず、溜め息混じりに言い放つ。
「アルファルド様……?」
アルファルドから拒絶され、エステルは胸が痛むのを感じた。
先ほど、アルファルドから好かれていると思ったのは、大きな勘違いだったのかもしれない。
だとしたら、とても恥ずかしいし、実は嬉しいと思っていた自分が馬鹿みたいだ。
「申し訳ありません、アルファルド様……」
ミラとの別れのせいで涙腺が弱くなっていたのか、うっかり泣いてしまいそうになりながらエステルが謝る。
すると、アルファルドはなぜか焦ったように声を張りあげた。
「ち、違うんだ! ……すまない、私の言い方が悪かった」
何が違うのかと首を傾げるエステルに、アルファルドがたどたどしく説明する。
「近づかないでくれと言ったのは、君が嫌だったからではなくて、むしろその逆で……」
「逆……?」
「……その、つまり、ミラが私の心の中に戻った途端、ミラの──私のもう一つの心で育っていた感情が流れ込んできたんだ。ミラの君との思い出も、君への想いもすべてそのまま伝わってきて……」
アルファルドが顔を赤くし、ためらうような表情でエステルを見つめる。
「──今、君のことが好きでたまらない。抱きしめたくなるのを必死で我慢しているから、近づくのは勘弁してくれないか」
「……!?!?」
アルファルドらしからぬ発言に、エステルの顔は一瞬で真っ赤に茹で上がった。
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