一日で記憶が無くなってしまう。
何かの物語の設定のようだ。その設定に強く憧れを抱いたオルカ寮の生徒が魔法薬を作ったそうだ。交際していた男子生徒と使う予定だったそうだが…
足が絡み、腕の中の荷物か宙に舞う。蓋がしっかりとはしまっていなかった為液体が軌道を描く。
その先には運悪く朱色の髪。
ドット・バレット。
魔法がかかったのは俺の恋人だった。
「…は?」
何回聞いても思考がついていけない。
初めこそ簡潔に事情を話していたが飲み込めなさすぎて先程の様な語り口調で説明をされてしまった。紙芝居や劇を使われても一生理解出来ないくらいの出来事だった。
「どのくらいで効果は切れるんですか?」
長い期間がかかることくらい分かっていた。
一日で記憶が無くなる。なんて魔法、効果が一日では意味を成さないだろう。
「…早くても半年はかかります。」
気まずそうに言葉を濁す教師に苛立ちを覚える。
それをぶつけるように語尾を強めて問う。
「早くて?何故キッパリと言いきらないのですか?」
どんなに圧をかけても目を伏せ口ごもっている教師の後ろからマッシュの師であるメリアドールさんが出てきた。
「早くて半年、通常であれば一年ですが、この魔法薬はあくまで生徒が作ったものなのでもしかしたら解毒薬を作らなければ治らない可能性もあります。」
淡々と述べるその表情から恐ろしい言葉が飛び出し、胸に深く刺さる。
一生?
どんなに彼奴と思い出を紡いでも忘れてしまう。それがこの先ずっと続くのか?
彼奴は思い出を大切にする奴だった。
お揃いのマグカップは割れても何回も魔法で治していた為もはや魔道具の様になっている。日記も毎日付けていたし、アルバムだって何十冊もある。その全てを俺の目に届かぬ所に仕舞いこんでいたが…
「解毒薬を作らせています。…完成までには時間がかかりそうですが。」
その間は部屋で面倒を見てあげていて欲しい。
そんな拷問の様な願いを断ることが出来なかった。
「おはよう…ございます?」
目を開け此処が何処なのか分かっていない様子のドットに場所の説明をする。魔法薬の説明は頭が混乱してしまう為していない。
「此処がイーストンなのか…、で、どちら様でしょうか?」
本人にしてみれば至極真っ当な疑問であろう。が、此方はそうでは無い。恋人にこんな事を聞かれて傷付かない奴など居るのだろうか?
「…ランス・クラウン」
「ランス…クラウン…あ!」
何かを思い出した様な仕草に胸を期待で膨らませる。やはり魔法薬は不完全だったのか!
「有名な家だよな!クラウンって」
「まぁ、そうだな…」
駄目か。希望など無かった。確かに家は名が知れている。それがこんなにも憎い事は今までにあっただろうか?
「それにしてもランスって顔が良いな…」
根本的な性格は変わっていないのか。やはりイケメンに対する憎悪は消えないらしい。
「俺さ、顔が良い奴って大嫌いなんだけどよ、お前は好きだわ。なんでか分かんねぇけど。」
え?
本当に記憶が無いのか…?
なんでそんな事を言うんだ?
「なんか眠くなってきたな…寝るか。おやすみ!」
気がかりな事を言い残して眠ってしまった。
こういう所も変わってないな。
「…おやすみ。今日のドット。」
「メリアドールさん。」
ドットが寝静まった頃、探していた人物に声をかける。
「ランスさん、どうされました?」
消灯時間ギリギリでも咎められないのはドットの事があるからだろう。
「実は…」
先程の事を全て教え、記憶が戻ってきているのかと聞いた。
「それは…多分ですが、」
「はい 」
耳が寒さと緊張でビリビリと痛む。
「記憶を無くす以前に、ランスさんに対し、とてつもない好意があったのだと思います。それこそ、本能レベルで好きだったのかも知れません。 」
「そう、ですか。ありがとうございました…」
ドットに好かれている自信はあった。
付き合っていたのもあるが、毎日寝る前に必ず伝えてくれていたからだ。
さっきあのタイミングで俺が好きだと言ったのも寝る前だったからだろう。
ドットは俺が好き。
その事が普段だったら嬉しいだろうが今では重く苦しい。
どんなに好きでも、どんなに愛し合っていても、もう一回付き合えたとしても、日付を超えるまでの短い間だ。超えてしまえば何も無くなってしまう。
この現状が半年、一年、この先一生続いてしまうなんて辛すぎる。そして、それを一番近くで見守っていないといけないなんて、本当に拷問では無いか。
その日初めて枕を濡らした。
「ひぃっっ!!」
隣からの控えめな悲鳴で目を覚ます。
嗚呼、そうだ。初対面なんだったな。
「すまない。直ぐに退く。」
つい癖で同じベットで寝てしまっていた。もう恋人では無いというのに。
「っ、いや、お前…名前は?」
名前…?初対面なら聞くものか。ドットは人懐っこかったからな。
「ランス・クラウンだ」
「ランス…」
何か考え込む様な姿勢をして自分の左胸を見つめている。気分が悪いのだろうか。まぁそうなるだろうな。目が覚めたら隣に知らない男がいるなんて、気持ち悪い以外ないだろう。
「大丈夫か?不快だろう。今日は休日だから俺が出ていく。」
ベットから退き着替えようと洗面所へ行こうとする。すると後ろに力が加わった。
袖を引っ張られている。
「行くな…」
少し頬を赤らめ上目遣いで見つめてくる朱色に酷く困惑する。
「どうした?」
「なんか…ランスの事見ると、心臓が変な感じすんだよ。速くなるというか、なんというか…」
以前のドットも言っていたな。
懐かしささえ覚えてしまう。俺の事好きだったな。
「一緒に居るか?」
「…いいのかっ!?」
目を輝かせ喜びが隠しきれていない姿。
前なら愛おしく思えたのだろう。そのままキスを落としただろう。でも、此奴はドットでは無いんだ。
「ランス、お茶飲むか?」
身なりを整え一息ついた時、キッチンに立ったドットが問うてきた。
「嗚呼、もらおう。」
「どの茶葉がいい?」
茶葉の缶を抱え此方へ来る。
「じゃあ、これで、」
水色の缶に入った茶葉を指す。
「お!これか!缶の色がランスみたいだな!」
そう言ってニカッと笑う此奴を見てある記憶がフラッシュバックする。
ある日、買い物から帰ってきたドットが水色の缶を抱え
「見ろよ!お前の色みたいで買って来たんだ!飲んでみようぜ!」
そう言ってお茶を淹れだす。
「うーん…なんというか、不味い訳ではねぇよな。香りは良い!」
香りは良かった。言い直すと香りだけは良かった。味はなんかしつこかった。甘くもなく苦くもない。可もなく不可もなくな味が口内を駆け巡る。ドットはオブラートに包んでいるがぶっちゃけ言うと不味かった。その日から飲むことは無かった。
そんなことを思い出し浸っていると奥からできたという声が聞こえた。
「うーん…なんというか、不味い訳ではねぇよな。香りは良い!」
あの時と同じ台詞。同じ味のはずなのに苦味が増している気がした。
「やっぱり不味いな。」
「知ってたのかよ。じゃあなんでこれを選んだんだ? 」
普段から飲んでいる紅茶はドットと飲みたかった。
それが正直な答えだ。俺はドットが淹れたあの紅茶が好きなんだ。もちろん此奴も記憶が無いだけでドットなのだから紅茶は上手い。が、前のドットとは何か違う気がする。此方の気持ちの問題だろうが。
「…何となくだな。」
お前とは飲みたくない。とも取れるような理由を言う訳にもいかず濁してしまった。
「そっか…まぁ、これから好きな茶葉を見つけていこうぜ!」
これから。
その言葉に引っかかりつつも相槌を打つ。
コンコンと、弱々しく扉を叩く音が聞こえる。
「入っていいぞ」
そう伝えると顔を覗かせたのはマッシュ、フィン、レモンだった。
「ドットくんは大丈夫…?」
皆が口を揃え気まずそうに目を伏せながら問う。
「大丈夫…だけど、どちら様ですか?」
誰もが表情を歪めた後に明るく自己紹介をしていく。そのお陰もあってか直ぐに打ち解けていた。
「レモンちゃん可愛いねぇ〜」
「性格は全然変わってないんだね…」
「いつものドットくんですな。」
ここだけ見たらいつものドットなのだろう。
仕草、言動、細々した所まで見えてくると違和感が表れる。が、それに気づき耐えなければいけないのは同室の俺だけなのであろう。
暫く楽しい時間を過ごした彼らは自室へと戻って行った。
「彼奴ら面白いな!」
そう笑顔で思い出すように浸る顔は以前のものそっくりだ。
「眠い…少し寝るわ、おやすみ」
「…おやすみ」
ベットに寝かしてやり、俺は離れたソファへ向かった。
身体が痛い。ソファで寝たのが原因だろう。
ベットの上では騒がしい声が聞こえる。
「此処どこだよ!?姉ちゃんっ!何処だよっ!」
そういえば姉が居ると言っていたな。姉のことは姉貴と読んでいると聞いていたが。可愛い強がりだった様だ。
「おはよう。」
「お前誰だっ!!…って、、、」
最初こそ噛み付いて来ていたが何故か声が小さくなっている。
「どうした?」
「どうしたも何も、顔色悪すぎだろお前。目つきも悪いし…折角のイケメンが台無しになってるぞ?」
「は…? 」
顔色が悪い?そんなはずない。体調だって変わっていないし、しっかりと寝ている。
気になって鏡を見ると隈が濃くハッキリと現れていた。
「本当だ…」
初対面で言われても仕方の無いくらい顔色が悪かった。それに加え普段から無愛想だからか凄く怒っている様に見える。
「お前、疲れてるんだろ。お茶淹れてやるから茶葉選べ。」
後ろから声をかけられ驚きつつもありがたく頂く旨を伝える。選んだ茶葉は水色の缶に入っているものだ。
「うーん…なんというか、不味い訳ではねぇよな。香りは良い!」
同じ台詞。苦味が更に増した紅茶。
呆けてしまった老人の介護というのはこんな感じなのだろうか。
まだ解毒薬には時間がかかるらしい。早くして欲しいものだが。この不味い紅茶はもう飲みたくない。
今日も扉を叩く音が聞こえる。昨日の様に入ってくるよう促すと早速挨拶をし始める。
「ドットくんおはよう!」
明るく振舞っているフィンとは対照的に
「おはよう…どちら様ですか?」
昨日の様に気まずそうに問う。そうか。一日て忘れてしまうのか。と苦しそうに顔を歪め、また明るく向き直る。自己紹介をしまた雑談を始める。
昨日と同じ光景だ。
昨日の様にフィン達が帰った後直ぐに寝た此奴を見て前のドットと比べる。記憶が無いだけでドットなんだ。どんなにそう言い聞かせても受け止める事が出来ない。顔も仕草もドットなのだ。しかし記憶が無い故の行動に違和感を感じ、見つける度に醜い感情が溢れる。
横になる彼の近くに寄り額を顕にする。
キスを落とそうと瞼を下ろし顔を近づけるが触れる寸前で止まってしまう。
「くっ…そ、」
やはり此奴はドットでは無い。
そんな靄を抱えたまま半年が経った。
顔はやつれ、体重も減った。身体のあちこちが痛い。
マッシュ達や教師、見舞いに行った際にアンナにも心配されてしまった。
目が覚めた彼奴の第一声は必ず心配だった。
毎回不味い紅茶を飲まされいい加減飽きてきた。もちろん毎日飲んでいれば茶葉も無くなるので買い出しに行った。毎回選ぶのは水色の缶の茶葉だが。
彼奴に対し、日に日に大きくなるどす黒い感情に勘づかれない様に冷たくあしらっていた。それでも俺の事が好きなようでめげずに話かけてくる。その度に吐きそうになった。
そんな生活を送っていたある日メリアドールさんに呼び出された。
「解毒薬が完成しました。」
本当に嬉しかった。前向きな感情を抱いたのは約半年振りだ。
「半年間お疲れ様でした。」
お疲れ様。その言葉に安心感を覚え、メリアドールさんの前であられもなく泣いてしまった。
「ドット、この薬を飲め。」
「え…ああ、分かったよ。」
戸惑いつつも飲んでくれるのは俺に対する好意からなのだろうか。それとも断れない性格だったのだろうか。半年間で思い出せなくなってしまった。
「ねむ…おやすみ…」
薬の副作用から眠ってしまった此奴を見ていつもの様な醜い感情ではなく期待と希望が膨らんだ。
「おやすみ。」
久しぶりに同じベッドに入った。
自然に目が覚めた。いつもの様に声がしない。
隣を見ると誰も居なかった。
そのことに焦り、急いでベッドから降りるとキッチンから物音がした。
「おはよう!起きたのかって…え!?お前顔色悪すぎだろ!」
心配の声。記憶が戻ったのか戻っていないのか分からない。確かめる為に質問を投げかける。
「俺が分かるかっ…?」
「はぁ…!?どういうことだよ?ランスだろ。ランス・クラウン。」
「嗚呼、そうだ!ランスだ。それで…?」
それでという言葉に困惑しているドットが眉を寄せながら待ちに待っていた言葉を放つ。
「俺の恋人だろ」
涙が溢れる。うぁ、と情けない声を挙げドットに強く抱きつく。懐かしい。大好きな匂いだ。
「うおっ、どうしたんだよ!?」
「好きだっ。ドット、ドットっ…!」
言葉も涙も止まらない。ぐちゃぐちゃな顔で何回も名前を呼ぶ。
「どうしたんだよ!?」
そんな俺の行動に酷く驚きながらも背中をさすってくれている。
「もう、俺を、忘れないでくれっ… 」
か細い声で縋る。そんな俺を見てドットは目を大きく見開き、直ぐに微笑む。俺の額にキスをして一言。
「当たり前だろ。」
メリアドールさんから事の説明をされたドットは申し訳なさそうに謝罪してきた。どうやらドットの中では半年間の記憶はうっすらとしか無いが普通に学校生活を送っていたことになっているらしい。
謝罪なんかよりも思い出話がしたいと伝えると、じゃあお茶飲みながらにするか、と、キッチンに立つ。
部屋の中には好きな紅茶の香りと思い出話が花咲いた。
紅茶は甘くて美味しかった。
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