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第1話 尾も集中してる!
天灯共同医療福祉院、人型化準備区域。
栖梧は、訓練室の壁際で記録板を開いていた。
今日見ているのは、一人の狐由来霊獣である。
人型生活への適応は早かった。
言葉の理解に問題はない。衣も自然に着られる。公共区画での規則を覚え、呼び札や退避合図も使える。人外由来魂との交流も良好だ。
少し前まで袖を咥えて引っ張っていたとは思えないほど、立派に人の姿を使いこなしている。
栖梧が今回立ち会っているのは、今後の個別訓練計画を作成するためだった。
訓練そのものを担当する常駐職員の後ろで、狐の動き、判断、疲労の出方を観察する。
「次は、公共区画で困った時の対応を確認します」
常駐職員が数枚の札を机へ並べた。
「任せろ!」
狐は勢いよく一枚を選び取った。
「衣に強い不快感が出たら、無理にその場で直さない。退避札を使って更衣区画へ移動する!」
「正解です」
「よし!」
狐の耳が誇らしげに立つ。
ちらりと、栖梧を見る。
栖梧は記録板へ評価を書き加えた。
それを見た狐の尾が、嬉しそうに大きく揺れた。
理解も判断も申し分ない。
だが、訓練が後半へ入った頃から、狐の様子が変わり始めた。
何度も椅子へ座り直す。
設問には正しく答えているが、返事が少しずつ上ずっている。耳は伏せがちになり、尾の先も落ち着きなく床を払っていた。
栖梧は記録板から顔を上げた。
「一度、休憩を入れましょうか」
「いらない!」
狐は即答した。
「まだできる。次、出してくれ!」
常駐職員が栖梧を見る。
栖梧は狐の呼吸と姿勢を確認した。
「予定していた項目は、あと二つです。ですが、本日はここまでにしても構いません」
「構う!」
狐は胸を張った。
「オレは最後までやれる!」
「できるかどうかを問題にしているのではありません」
「じゃあ、何が問題なんだよ」
「先ほどから、座り直す回数が増えています。呼吸も少し浅い。耳も伏せがちですね」
「これは集中してるだけだ!」
「尾は?」
「尾も集中してる!」
床を忙しなく叩いていた尾が、ぴたりと止まった。
栖梧は少しだけ眉を下げた。
「訓練の達成より、あなたの体調の方が大切です」
狐の胸が、大きく鳴った。
「…………」
「どうしました?」
「なんでもねえ!」
狐は勢いよく顔を背けた。
耳が熱い。
きっと赤くなっている。
――あなたの体調の方が大切です。
栖梧の声が、頭の中で何度も繰り返された。
ずるい。
そんな顔で、そんなことを言われたら。
もっと好きになるに決まっている。
「……オレなら大丈夫だ」
狐はもう一度、胸を張った。
「栖梧が心配するような、弱いやつじゃない」
「弱いとは言っていませんよ」
「なら、続けよう!」
「続けません」
「なんでだよ!」
「限界まで耐えられることを、私は評価しません」
穏やかな声だった。
それでも、言葉は真っ直ぐ狐へ届いた。
「適切な時に休むことも、人型生活に必要な判断です。無理をして証明する必要はありません」
「でも、栖梧には格好いいところ見せたいんだよ!」
口から飛び出した言葉に、狐自身が固まった。
栖梧が目を瞬く。
「私に?」
「ち、違う! 訓練を見てるやつには、できるところを見せたいだろ!」
「もう十分、よくできていますよ」
栖梧は、何でもないことのように言った。
「あなたが努力してきたことも、きちんと分かっています」
狐の尾が、ぶわりと膨らんだ。
「栖梧」
「はい」
「ちょっと黙っててくれ」
「なぜです?」
「これ以上そういうこと言われたら、もっと言えなくなる!」
栖梧が首を傾げた。
「何をですか?」
狐は両手で顔を覆った。
「それを今から考えるんだよ!」
もちろん、考えたところで言えるはずもなかった。
少なくとも、限界が訪れるまでは。
栖梧は訓練の終了を決めた。
「本日はここまでです」
「まだ二つ残ってる!」
「残りは次回に回します」
「オレはできる!」
「はい。できることは分かっています」
「じゃあ――」
「できることと、続けてよいことは別です」
反論しようとした狐の動きが、不意に止まった。
腹の辺りへ伸びかけた手を、慌てて引っ込める。
両脚が、わずかに落ち着かない。
栖梧は数秒、その様子を観察した。
「あなた、もしかして――」
「じゃあな!」
狐は椅子を蹴るように立ち上がると、訓練室を飛び出していった。
廊下を駆けていく足音が、急速に遠ざかる。
その方向にあるのは、食堂でも居室でもない。
「……厠ですね」
栖梧は閉じた扉を見つめた。
主
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コメント
1件
うわぁ……狐くん、可愛すぎて困るよ(笑) 栖梧さんに「あなたの体調の方が大切」って言われて、耳が熱くなるの、完全に恋する狐だよね。それなのに「尾も集中してる!」って言い張るところとか、ツンデレの極み。最後に厠に駆け込んじゃうのも、ぎりぎりまで言えない秘密がまだあるんだろうなって感じで、続きが気になりすぎる……!