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第2話 好きだから、言えない
「普段から、厠を我慢する傾向がありますか?」
訓練後、栖梧が常駐職員へ尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「いいえ。自分で適切に行けていますよ」
「訓練中に申告をためらうことは?」
「ありません。必要になれば、普通に離席を申し出ます」
栖梧は、これまでの記録を照合した。
厠の場所は把握している。
使用方法も完全に習得している。
衣の扱いにも問題はない。排泄時の無防備さを警戒している様子も、厠そのものを嫌がっている形跡もなかった。
だが、栖梧が訓練観察に入った日は違う。
訓練中、一度も厠へ行かない。
そして訓練終了直後、決まって厠を使用している。
「……私がいる時だけ?」
栖梧が呟くと、常駐職員は何とも言えない顔をした。
「それは、ご本人に確認された方がよいかと」
*
翌日。
狐は、栖梧の向かいで妙に姿勢よく座っていた。
「最近、私が訓練を観察している時に限って、厠への離席を我慢していますね」
狐の耳が、びくりと立った。
「我慢してない」
「昨日は訓練室を出た直後に利用しています」
「たまたまだ!」
「その前も、さらにその前も同じです」
「……よく調べたな」
「訓練計画の作成に必要な記録ですから」
狐の耳が伏せられた。
栖梧は声を和らげる。
「厠そのものに不安がありますか?」
「ない」
「場所が落ち着かない?」
「平気だ」
「衣の扱いに困ることは?」
「ない」
「身体感覚に違和感がありますか?」
「ないって言ってるだろ」
「では、排泄中に無防備になることへの警戒でしょうか」
「それもない」
栖梧は一度黙った。
狐も黙った。
「……では、なぜ我慢するんですか?」
狐は答えない。
「私に言いにくいのであれば、直接介助を担当する職員へ相談してください。厠に関する実介助や羞恥保護は、そもそも私の担当ではありません」
「違う」
「はい?」
「他のやつになら言える」
栖梧の思考が止まった。
「他の職員には申告できるんですね」
「できる」
「私の前でだけ、できない」
「……そうだ」
栖梧は静かに考えた。
自分との関係に、何らかの問題がある。
観察されることで過度に緊張しているのか。評価への不安か。それとも、生前の獣医師としての癖が出て、本人に必要以上の圧迫感を与えていたのか。
「私を警戒していますか?」
「逆だ」
「逆?」
「よく見られたいんだよ」
「訓練の評価を気にしている?」
「だから、そうじゃねえ!」
狐は勢いよく顔を上げた。
耳まで赤くなっている。
「栖梧が好きだからだよ!」
栖梧の言葉が止まった。
「……はい?」
「好きなやつに、今から厠へ行くなんて言えるわけねえだろ!」
狐は真っ赤な顔のまま、机へ両手をついた。
「オレだって格好つけたいんだよ! 悪いか!」
沈黙が落ちた。
栖梧は狐を見た。
狐は荒い息をしながら、逃げずに栖梧を見返している。
それから栖梧は、自分の記録板へ視線を落とした。
そこには、原因として考えられる可能性がいくつも並んでいた。
《由来生態による排泄時警戒の可能性》
《厠環境への潜在的不安》
《人型化後の身体感覚と排泄予測の不一致》
《観察者同席による評価緊張》
全部違った。
原因。
意中の相手に、厠へ行きたいと言うのが恥ずかしい。
栖梧は静かに額へ手を当てた。
「……なるほど」
「記録に書くなよ」
「支援上必要な情報は残します」
「絶対そのまま書くな!」
「では、《特定職員への羞恥意識により申告を遅延する傾向あり》と」
「もっと恥ずかしい!」
「個人名は伏せます」
「そういう問題じゃねえ!」
狐の尾が大きく膨らんだ。
栖梧は困ったように眉を下げる。
だが、その口元には、ごくわずかに笑みが浮かんでいた。
「……今、笑っただろ」
「笑っていません」
「笑った!」
「少しだけです」
「栖梧!」
「ですが、理由が分かって安心しました」
栖梧の表情が、穏やかなものへ戻る。
「厠を理解できていないわけでも、身体に異常があるわけでもない。対応方法は考えられます」
「……どうするんだよ」
「まず、限界まで我慢するのはやめてください」
真顔だった。
「そこは駄目なのか」
「駄目です」
「でも、好きなやつの前では格好つけたいだろ」
「健康を害してまで格好つけないでください」
「……はい」
妙に素直な返事だった。
コメント
1件
うわあああ第8話読んだよ!!😭💕💕 栖梧が「なんで俺の前だと厠行かないの?」って真面目に分析してるのに、まさかの「好きだから」って告白返しが来るとは思わんくて声出たわwww 狐くんの「格好つけたいんだよ!」って叫び、めっちゃわかる…好きな人の前でトイレ行きたいって言えない気持ち、尊すぎて胸が苦しい…!! しかも栖梧、記録に「特定職員への羞恥意識」って書こうとして「もっと恥ずかしい!」ってツッコまれるのも可愛すぎるでしょ!!最後の笑みも良き…この二人の距離感、たまらんね…次話も絶対読む!!🌸✨