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第二十八章 本日の星空
昼間なのに、建物の中は暗かった。
ガラス張りのエントランスに映る自分の顔は、少しだけ白い。
ポスターには、満天の星。
青く塗られた宇宙が、手の届きそうな距離で広がっている。
〝青がないなら、探せばいい。翔太の青を――〟
正解がどこにあるのかなんて分からない。
確かなことは、蓮に会いたい、ただそれだけで〝願った〟
蓮に会えるのならどんな代償だって厭わないと……
薄れゆく色は、自分そのものなんだと、気付いていたのに見ないフリをした。たくさんの人に守られていると分かっていながら、ただ自分の欲を満たしたいだけの、我儘だったのかもしれない。
――ここなら、あるかもしれない。
そう思ったのは、期待というより、確認に近かった。
自動券売機の光が、指先を照らす。
蓮のジャケットを羽織って伸ばした人差し指は、袖からなかなか出てこなくって笑っちゃった。
「アイツ腕長いな……」
行き先を選ぶみたいに、上映プログラムを選択する。
〈本日の星空〉
青い文字が、やけに鮮やかだった。
チケットを受け取るとき、紙が少しだけ湿っていた。
汗か、暖房のせいか、分からない。
ドームシアターは、静かだった。
何度も通ったプラネタリウム。
あの頃は夏の星座の上映だった。冬に来るのは初めてだ。
半月板のソファー席に身を沈めると、悲しい記憶が蘇る。
何度このソファーに涙を染み込ませただろう。
都内中のプラネタリウムを探し歩いて、ようやく俺を見つけた蓮は、このソファーの前で、片膝をついた。
泣き虫のお姫様に、プロポーズした夜。
あの夜の蓮は、今もきっと同じ顔で笑っている。
変わったのは――俺のほうだ。
照明が落ち、天井はまだ黒い。
この黒の向こうに、青がある。
ゆっくりと、夜が広がる。
星がひとつ、灯る。
またひとつ。
やがて、ドームいっぱいに宇宙が咲いた。
――綺麗だ。
ちゃんと、綺麗だと思った。
のに。
どこか、音がしない。
胸の奥が、静まり返っている。
拍動だけが、遠くで鳴っていた。
ナレーションが、地球の話を始める。
「この青い星は――」
青。
その言葉に、視線を強く上げた。
天井には、確かに青い地球が浮かんでいる。
雲の白。
海の深い色。
完璧な青。
目を瞬かせる。
もう一度、見上げる。
そこにある。
ちゃんと、ある。
でも――
俺の中には、何もない。
天井は青いのに、
俺だけが、黒かった。
光は届いているはずなのに、
染み込んでこない。
あの夜の俺は、ここにいるのに。
今の俺だけが、どこにもいない。
蓮のジャケットの匂いに包まれて、ソファーに蹲り瞳を閉じた。このまま蓮の元へ行きたい……。
そう思うほど、動けなかった。
「お客様?……上映は終了しましたよ」
青を探して、何度も上映を観た。
閉演の時間にも気づかないまま、
それでも最後まで残っていた俺に
声をかけてくれたことのほうが、少しだけ嬉しかった。
帰りは歩いて帰った。
何度も一人で通った道を歩く。色を探して。
いつものように蓮の大好きな夜空を見上げた。
あの日のように厚い雲に覆われて星は見えなかった。
蓮の大好きな星が見たくて通い詰めたプラネタリウム。
星を見上げると、蓮が近くにいた。
あの日見た人工の星空は、
一人で生きるための明るさだった。
マンションまえのベンチに腰掛けた。
いつかの街灯が元気に煌々と闇夜を照らしている。
「相変わらず頑張り屋さんだね」
返事するみたいに、街灯がチカチカと光を揺らめかせた。
その明かりは、青じゃない。
でも、暗闇を追い払うには十分だった。
夜風に晒されすっかり冷えた体を、震わせながら肩を撫でた。ふと、カナダでの蓮の言葉を思い出す。
レイクルイーズの凍った湖の奥深く。
閉じ込められた色。
触れられない青。
確かにそこにある〝青〟をいつか一緒に見ようと言った。
でも、あのときの俺は、
その深さを知らなかった。
あの時感じた恐怖の先に、探している青がある気がした。
――――
部屋の隅。
ベッド脇の隙間に蹲って毛布を被った。
財布は持った。
スマホも、お揃いのネックレスも。
マフラーも、手袋も。
ふと、蓮のジャケットを奪ったことを思い出してクスッと笑った。
「寒かったろうな……」
静かに瞳を閉じる。
――もう一度だけ蓮に会いたい。
これで最後にするから。お願い――
自然と指輪に手が伸びた。鎖骨にぶら下がる無機質な金属片に手が触れて、締め切った部屋に風が吹き、カーテンの揺れる音がする。
頰を伝う風の匂いが――変わった。
潮の気配が、混じっている。
遠くで、波の音がした気がした。
コメント
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おー、トリップしたねー💙