テラーノベル
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焦りながらも次に発する言葉を何にしようかと悩んでいたのだが。柚の耳には思いのほか陽気な声が響いた。
「君は、単純な上に男を知らないねえ」
からかうような声で、笑顔を見せた後、まとめていた柚の髪に撫でるように触れ、やんわりと束ねたそれをほどいた。
「優陽さん?」
「いい男の弱った素振りは、グッとくるでしょ?」
助手席に手を伸ばし、解かれた毛先を弄ぶように指に絡める。
そのまま上体を降り、毛先にキスを、した。
「な……!? ど、どうしたんですか!?」
驚き距離を取る。 まるでこれじゃ昨日と同じ。 踊らされて終わる感。
バッグが足元に、ドサリと落ちる音を聞きながら思ってたけれど。
「君の、雨の日の想い出は航平のもの?」
「え?」
「……記憶に残らない、なんて」
……けど、声のトーンが落ちて。見上げてくる瞳が、揺れて。
「あ、あの……」
「柚は」
何かを言いかけた彼の声が止まる。
ちょうど二人の間に無造作に置かれていた優陽のスマホ。
それが、バイブ音を響かせながら小刻みに、けれど主張は激しく。
揺れ動いたからだ。
「……はあ、うらっち、タイミング良いのか悪いのか」
小さく息を吐き、優陽の身体が離れていく。シトラスの爽やかな香りだけは、変わらずにそばにあるけれど。
それが、なんだか妙に恥ずかしい。
体勢を整え落ちたバッグ手に取る。その様子を見ていた優陽は”うらっち”と、そう呼んだ相手と電話をしながら「ゴメン」と、ジェスチャーしてこちらに見せた。
「いえ、送っていただいて、ありがとうございました」
そう小声で返して解けた髪を、そのままに。
彼が何かを言いたげにこちらを見たけれど、見ないようにして。
逃げ出すように車のドアを開けてアパートへ向かう。
途端に吹き荒れる強風。
リンクするように心がザワザワと騒がしい。雨があたって冷たいけれど、それくらいが今はちょうどいい気がした。頬が熱くなっていることがなんだかとてつもなく悔しいからだ。
(いちいち近いんだってば、優陽さん!)
彼の言葉は何が本当で、どこからが冗談なのか。
頭の中でくるくると、優陽の言葉や表情がまわる。それを振り払うように走って、息を切らし玄関の鍵を開けながら、ふと後ろを振り返り空を見上げてみた。
どんより雨を降らす分厚い雲。
今日は、星が見えないなぁ。なんて、あいもかわらず思うのだ。
――心が動揺してる時。空を眺めるのは、いつからだろう、柚の癖だ。
遠い昔の、包まれるような安堵感を、思い出すからなのかもしれない。
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