テラーノベル
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七香は首にカメラをぶら下げ、川沿いの道を散策していた。木々の隙間からは、時折り眩しいほどの日差しが差し込み、思わず目を伏せる。
あれから家を飛び出した七香は、始発までの時間をファミレスで過ごし、奈子に連絡を取ってから特急電車に乗り込んだ。
叔父のペンションに来るのは、一体何年振りだろう。海舟と奈子の結婚式の時には、立ち寄らずに友人たちが待つ温泉に行ってしまったから、もしかしたらあのアルバイトの年以来かもしれない。
しかし久しぶりに訪れたペンションは、あの頃と何も変わらぬ佇まいで七香を迎えてくれた。ただ今回は宿泊客として滞在するつもりで奈子に連絡をし、ペンションの一室を借りることになった。
昨日は昴と抱き合った後に、夜通しファミレスで過ごして疲れが溜まっていたことと、一人で泣きたかったこともあり、部屋から一歩も出ずに過ごしたが、今朝からはようやく少しだけ気力が戻ってきた。
日程としては二泊ほどしてリフレッシュをしたら、新しい住まいを探すつもりだった。やはり昴と顔を合わせるのは辛く、なるべく早く彼のそばから離れたいと思ったのだ。
カメラのファインダーの中を覗き込み、木の幹に自生する苔を写真に収めようと近寄って行くが、何故かカメラから目を離してしまう。
今日持ってきたカメラは、普段使っているものではなくて、昴と初めて会った時に使用していたカメラだった。このカメラには出会った頃の昴がそのまま残っていた。
このペンションに来たのも、カメラを持参したのも、ある一つの理由があった。出会ったこの場所で、写真と共に彼の記憶も消そうと思ったのだ。
だが実際に来てみると、どこもかしこも昴との記憶が残っていて、思い出を消すどころか、懐かしさで胸がいっぱいになってしまう。
草の上に腰を下ろし、カメラに入ったままになっているデータを開いてみると、胸がギュッと締め付けられるように苦しくなった。
「若いなぁ、この頃の昴くん……」
初めて出会った夏の日。とんでもないクズ男だと思ったのに、こんなにも好きになってしまった。実は繊細で、優しくて、寂しがりや。そんな彼のそばにはいつも穏やかな空気が流れていて、安心感に包まれた。
だけどそこにはもう戻れない。だって彼にその場所にいることすら拒絶されてしまったのだ。友だちとしてならそばにいられると思ったのに、どうやっても早紀に敵うことはなかった。
俯きながらカメラの電源を切る。
消すなんて出来るわけがない。拒絶されても、大切な人であることに変わりはないのだから。
* * * *
ペンションに戻ると、時計の針は午後三時を回ったところだった。そろそろ今夜の宿泊客が到着し始める時刻だが、受付カウンターの中で奈子と海舟が何やら神妙な顔で話し合う姿が見えた。
七香がペンションに到着して、チェックインを済ませてからずっと部屋にこもっていたため、二人にきちんと挨拶をしていなかった。一言だけでも声をかけておこうと、二人に近付いて行く。
「……いや、やっぱりお客様のプライバシーに関わることを話すのは……」
「でも、一応伝えておいた方がいいと思うの。だっていきなり顔を合わせたら驚くだろうし」
「それはわかってるけど……」
何やら宿泊客のことで揉めているような会話が微かにだが耳に届いたため、話しかけるタイミングを窺っていると、七香に気付いた二人が、どこか緊張した面持ちでこちらを見た。
「叔父さん、奈子さん、あの、昨日は、ちゃんと挨拶出来なくてごめんなさい」
「そんなことはいいんだよ。どう? ゆっくり休めたかい?」
「うん、だいぶスッキリしたかなぁ。ありがとう」
すると海舟と奈子は顔を見合わせてから頷き合うと、奈子が少し不安そうな表情で七香の顔をじっと見つめた。
「あのね、七香ちゃんに伝えておきたいことがあって……」
「伝えておきたいこと?」
「そうなの……いや、言わなくてもいいかなとは思ったんだけど、もし嫌な思いをさせたくないし……」
その様子から、先ほど二人が揉めていたのは自分のことなのだと勘付いた。しかし七香にとって"嫌なこと"というのが見当もつかなかった。
「実はーー」
奈子は口を開きかけたが、七香の背後を見た瞬間、慌てて閉ざした。
「こんにちわ! またお世話になるわね」
やけにはっきりとした女性の声が響き渡る。その声を聞いた瞬間、七香はハッとして勢いよく声のした方を振り返った。
カウンターの中の海舟と奈子はその女性に対して笑顔を向けながら、七香を心配するようにチラチラと視線を送ってくる。しかし今はそれどころではなかった。
「奥野様、本日は到着がお早いですね」
「キリのいいところで仕事が終わったの。今回は休みを満喫するわ」
奥野ーーそれが早紀の名字であることはよく知っていた。何度も彼女のSNSを見ていたから、覚えていないはずはなかった。
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#片思い