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第23話:海外セレブ「その温泉、50億で買うわ」
ゴボゴボッ、コポコポ……。
先ほどまで腐海のような泥水だった廃温泉は、今や完全に『神々の沐浴場』と化していた。
エメラルドグリーンに発光するお湯。
立ち上る純白の湯気と、周囲の木々をざわめかせる極上のマイナスイオン。
そして、その中央でフキの葉っぱを頭に乗せ、ぷかぁ……と浮力(あるいは反重力)でお湯に浮いている純白の神獣・シロ。
「……ふぅ。いい湯だな、シロ」
『ミャァ……♪』
俺は岩風呂の淵に腰掛け、足だけをお湯に浸す『足湯』スタイルでくつろいでいた。
お湯に浸かっている足先から、全身の血流が信じられないスピードで巡り出し、ブラック企業時代から蓄積されていた内臓の疲労や骨の髄のダルさが、文字通り『溶け出して』いくのがわかる。
これぞ究極のデトックス。もはや現代医学を置き去りにしたオーバーテクノロジー温泉だ。
「お兄さん! これ本当にヤバいです! 足のむくみが一瞬で消えました! それに肌が、肌が真珠みたいに光ってます!!」
隣で同じく足湯を満喫している小春ちゃんが、自分のふくらはぎを触りながら大興奮している。
女子高生としての語彙力を失い、「ヤバい」と「すごい」しか言えなくなっているが、無理もない。俺の足のすね毛すら、なんかトリートメントしたみたいにツヤツヤになっているのだから。
しかし。
俺たちがこの極上の大自然(と神獣の奇跡)を満喫している裏で。
小春ちゃんが三脚にセットしたスマートフォンの画面の中――すなわち『世界』は、かつてない規模の大恐慌に陥っていた。
『(ドバイの石油王からの¥50,000ギフト×10連発)=”OH MY GOD!! I CANNOT BELIEVE MY EYES!! THIS IS THE FOUNTAIN OF YOUTH!!“(オーマイガー!! 自分の目が信じられない!! これは若返りの泉だ!!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000ギフト×10連発)=”I will transfer the funds immediately! Tell me the account number!“(すぐに資金を移動させる! 口座番号を教えろ!)』
『(ハリウッド女優 シャーロットからの$500ギフト)=”My skin needs that water! I’m booking a private jet to Hokkaido right now!!“(私の肌にはその水が必要よ! 今すぐ北海道行きのプライベートジェットを手配するわ!!)』
チャット欄の右端は、もはや赤色の帯が重なりすぎて、完全に『血の滝』のようになっていた。
世界中のセレブ、大富豪、権力者たちが、シロが錬成したこの『万能の泉』の価値を一瞬で見抜き、札束による殴り合い(オークション)を画面越しに開始したのだ。
そして、ついにその決定打が放たれた。
『ピロロロロッ!!』
という、通常のMeTubeギフトとは違う、システムが悲鳴を上げたようなけたたましい特別通知音が鳴り響いた。
「ひゃっ!? な、なんですか今の音!?」
小春ちゃんがビクッと肩を揺らす。
画面の最上部に、ドバイの石油王(いつものサングラスのアイコン)からの、異常なまでに巨大な赤い帯が固定された。
『(ドバイの石油王)=”Master! I will buy that hot spring, the mountain, and the entire village! I offer 5 BILLION YEN! Let’s sign the contract today!“(主よ! その温泉、山、そして村ごと私が買い取ろう! 提示額は50億円だ! 今日中に契約を結ぼう!)』
「……………………ご」
小春ちゃんの口から、魂が抜けたような音が漏れた。
「ご……ごじゅう……おく……?」
「50億」という、個人の配信向けに投げられる言葉としてはあまりにも現実味のない数字に、60万人の一般視聴者たちも一斉にフリーズした。
『えっ』
『50億?????』
『村ごと買い取るって言ったぞ今wwww』
『規模が国家予算レベルになってきた』
『いやでも、あの若返りの泉なら50億でも安いだろ』
『主! 早く返事しろ! お前、今日から億万長者だぞ!!』
『ブラック企業辞めて村ごと売却おじさん爆誕の瞬間である』
チャット欄の住人たちは、限界社畜だった俺が、ついにこの莫大なチャイナマネーならぬオイルマネーを受け取り、大富豪の仲間入りを果たすのだと確信して熱狂していた。
50億円。
俺の脳裏に、その数字がもたらす未来がフラッシュバックした。
タワーマンションの最上階。
ガレージに並ぶ高級外車。
毎日三ツ星レストランで食べるフルコース。
働かなくても一生、いや孫の代まで遊んで暮らせる圧倒的な財力。
「……お、お兄、さん……ごじゅうおく、ですよ……! これ、どう答えたら……!」
小春ちゃんが、ガタガタと震えながら俺の袖を引っ張ってくる。
俺はゆっくりとお湯から足を抜き、持参したタオルで丁寧に拭いた。
そして、カメラの真正面に立ち、ジンバルのレンズを真っ直ぐに見据えた。
世界中の60万人が。
そして、ドバイからプライベートジェットを飛ばそうとしている石油王が。
ゴクリと息を呑んで、俺の『YES』の言葉を待っていた。
俺は、一つコホンと咳払いをして、いつもの冷静な、低く落ち着いた声で口を開いた。
「石油王さん、いつもの高額なMeTubeギフト、本当にありがとうございます。そのお気持ちは大変ありがたいのですが……」
俺は、ふぅと一つ、深呼吸をした。
「……お断りします」
『『『えっ!?!?!?!?』』』
チャット欄に、60万人の特大の疑問符が弾けた。
「理由は3つあります。一つ、この裏山と温泉の跡地は、村の共有地であって俺の所有物ではありません。勝手に売ったら、村長のおじいちゃんに怒られます」
「二つ。50億円なんて大金を持ったら、税金の計算とか、弁護士との契約とか、マスコミへの対応とか、絶対に『面倒くさいこと』が増えますよね? 俺は、もう二度とストレスのたまる手続きや労働はしたくないんです」
「三つ。――ここが観光地になんてなったら、シロがゆっくりお昼寝できなくなるじゃないですか」
俺が親指で背後を指差すと。
エメラルドグリーンのお湯にぷかぷか浮きながら、『ふにゃぁ……』と最高に幸せそうな顔で寝ボケているシロの姿があった。
「ここは、皆の場所です。シロと、小春ちゃんと、そして画面越しに見てくれている皆さんが、のんびりと癒やされるための『日常』の空間なんです。だから、50億だろうが100億だろうが、絶対に売りません」
俺はニコッと、これ以上ないほどの清々しい笑顔を作って、カメラに向かって言い放った。
「ということで、石油王さん。もしここに来たいなら、村の公民館でちゃんと許可を取って、入浴料の500円を払ってから来てくださいね」
沈黙。
数秒の、完全な沈黙が流れた。
50億円のオファーを、「税金の手続きが面倒くさい」「猫の昼寝の邪魔になる」という限界社畜特有の極限の怠惰(ストレス回避能力)と、ペットへの愛だけで蹴り飛ばした男。
そのあまりにも欲のない、いや、欲のベクトルが完全にバグっている回答に、世界中の人間が言葉を失ったのだ。
そして、その沈黙を破ったのは――。
『ピロロロロッ!!』
再び鳴り響く、特別通知音。
石油王からの、追加の赤いMeTubeギフトだった。
『(ドバイの石油王からの¥50,000ギフト)=”Hahahaha!! Wonderful! You truly understand the value of that God! I apologize for trying to buy it with cheap money. I respect your ‘Slow Life’!!“(ハハハハ!! 素晴らしい! 君はあの神の価値を本当に理解している! はした金で買おうとしたことを謝罪しよう。君の『スローライフ』に敬意を表する!!)』
それを皮切りに、大爆発が起きた。
『うおおおおおおおおお!!』
『主、カッコよすぎるだろオイ!!!』
『50億蹴ったぞこの男!!!』
『猫の昼寝>>>>(越えられない壁)>>>>50億円』
『最高の飼い主(下僕)じゃねーか!!』
『感動した! 俺もその温泉守るためにギフト投げるわ!!』
『村長のおじいちゃんに怒られるからダメは草』
視聴者たちの熱狂は最高潮に達し、50億の買収オファーが消えた代わりに、俺たちの『日常』を守るための『寄付(MeTubeギフト)』という名の札束の雨が、狂ったように降り注ぎ始めた。
画面は完全に赤と黄色の光で埋め尽くされている。
「あははっ……! お兄さん、なんかすごいことになってます! 50億はもらえませんでしたけど、今日のギフトだけで、村の公民館を新築できそうですよ!」
小春ちゃんが、涙を浮かべて大爆笑している。
どうやら彼女の不安も、俺のふざけた回答で完全に吹き飛んだらしい。
「まぁ、シロの美味しいご飯代と、小春ちゃんのおやつ代くらいになれば十分さ」
俺はそう言って、温泉から上がってブルブルと体を振って水気を飛ばしている(一瞬で毛がフワフワに乾く超常現象)シロを抱き上げた。
「ほら、シロ。湯冷めしないうちに帰ろうか。今日はいっぱいお散歩したから、夕飯は奮発するぞ」
『ミャーウ!!』
世界的な大企業や国家すら動かしかねない『万能の泉』を背に、俺たちは何事もなかったかのように山道を下り始めた。
どれだけ大金積まれようが、どれだけ世界が狂騒しようが、俺たちのペースは絶対に崩れない。
この限界集落で、最強の神猫と送るストレスゼロの『スローライフ』。
その圧倒的な平穏こそが、俺にとっての50億円以上の『宝物』なのだから。
コメント
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いやもう、鳥肌が止まらなかったよ……!50億円のオファーを「シロの昼寝の邪魔になるから」って断るお兄さん、マジでかっこよすぎるでしょ🥺💦 「税金の手続きが面倒」「猫の昼寝のほうが大事」って、その思考回路、完全にストレス回避のプロだよね。笑ったけど、すごくじーんときた。 あの石油王が敬意を表してるのもわかる。シロがふにゃってしてるの想像しただけで、もう心が温かくなったよ。 「日常こそが宝物」って言葉、めっちゃ刺さりました。いい話読ませてくれてありがとうございます🫶
ゆうき あきや
3,596
259
#心理描写重視