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「まさか、蒼ではなく充を交えて三人で食事することになるとはな」

会長が笑いながら言った。

私は会長のグラスにビールを注いだ。

「笑い事じゃないから。俺、そろそろ本気で蒼に刺されそうだ」

次いで、充さんにお酌する。

「蒼はそんなに咲ちゃんが好きなのか」

「見てる方が恥ずかしくなるくらいな」

「お二人ともやめてください! 私が一番恥ずかしいです」

充さんの隣に座ると、今度は充さんが私のグラスにビールを注いでくれた。

「確かに、そんな様子を見たら蒼は怒るだろうね」

私たち三人はグラスを重ねて乾杯し、グラスに口をつけた。

「二人が会いに来てくれたということは、そろそろ私の会社で何が起きているのか、説明してもらえるのかな?」と、会長が言った。

「はい……。長らくお待たせしてすみませんでした」

私は、会長に宮内のこと、川原のことを話し始めた。会長は時折表情を歪ませ、辛そうに目を伏せたが、最後まで姿勢を崩さなかった。

「状況はわかったよ」と、会長は眼鏡を外して目頭を押さえながら言った。

「聞きたいことは色々あるが……」

充さんが店内電話で待たせていた食事を運んでもらうように伝えた。

「蒼の見合いはどうする? 金曜のパーティーで婚約を発表すると義兄から連絡があったが……」

「婚約が発表されることはありません」と、私はきっぱりと言った。

「させません」

「和泉は?」

「和泉さんにもパーティーに出席してもらいます。そして、その席で会長から和泉さんの社長復職と、週明けの取締役会を発表していただきたいのです」

「そんなことをしたら、城井坂マネジメントの面目は丸潰れだろう? T&Nと城井坂マネジメントの確執が世間の知れるところになるのは……」

「大丈夫です。城井坂マネジメント側が婚約やプロジェクトへの参加を否定してくだされば、単なる大げさな噂話だったと認識されますから」

品のいい仲居さんが食事を運んできて、私たちは口をつぐんだ。

ここは会長の行きつけの料亭で、客のプライバシーは徹底して守られているが、用心に越したことはない。

「冷めないうちに食べよう」と言って、会長がお浸しに箸をつけた。

食欲なんてないだろうに、私が箸を出しやすいように気遣ってくれたのがわかった。

「城井坂が都合よく動くとは思えないけど、策があるのか?」

充さんはお腹が空いていたようで、次々と器を空にしていく。

「はい、それは大丈夫です」

「そうか……。では、パーティーでのことについては、咲ちゃんに任せるよ」

「ありがとうございます」

自分の会社の不祥事や身内の裏切りで、会長が気を落としているのは、見て取れた。

私はお手洗いに立ち、仲居さんに雑炊を注文した。部屋に戻ると、会長は息子と談笑していたが、箸は進んでいなかった。

「そういえば、咲ちゃん。二週間ほど前だったかな? 成瀬が本社に顔を出してくれたよ。蒼が世話になったようだね」

「いえ、差し出がましいかとは思いましたが……」

「仕事の話はひとまずお終いだ。堅苦しい物言いは必要ないよ」と、会長は『おじさま』の顔で笑った。

ちょうど、仲居さんが雑炊を運んできた。

「お寿司よりも食べやすいでしょう?」

「ありがとう、咲ちゃん」と言って、おじさまはレンゲを持った。

「ごめんね? おじさま」

「何がだい?」

「勝手ばかりして……」

「大したことじゃないよ」

おじさまは雑炊を口に運び、ゆっくりと味わった。

「咲ちゃんは娘同然だよ。本当の娘になってくれたら、安心していつでも隠居できるんだがね」

「おじさま……」

おじさまが本当に私を可愛がって、嫁にと望んでくれていることはわかっている。


けれど、私には……。


「あれ? お前、蒼と結婚しないの?」と、充さんが寿司を頬張りながら言った。

「俺はお前のこと義妹のつもりでいたけど? 蒼の奴、まだプロポーズしてないんだ?」

「いやっ……、それは……」

「そうなのかいっ?」と、おじさまも話に食いつく。

「蒼……さんとのお付き合いはまだ日も浅いですし——」

「そんなん、言い訳だよなぁ?」と、充さんがいちいち横やりを入れる。

「充さん!」

「咲ちゃんは……、真剣に蒼と付き合ってくれてるんじゃないのかい?」

最早、おじさまは今にも泣きそうな表情だ。おじさまは時々、日本有数のグループ企業の会長とは思えない、子供のような無垢な表情をする。

私はおじさまのその表情に弱い。

「違うんです!」

「蒼に話してないんだよ、自分の正体」

充さんの言葉に、おじさまは目を丸くして言葉を失った。

「え……? 蒼、知らないの?」

「そ。蒼だけ知らねーの」

おじさまは気まずそうに再びレンゲを持った。

「あーーー……。怒る……かな? 蒼」

やっぱり……、そう思うよね……。

「案外、運命感じちゃうかも?」

「充さんの口から運命とか……胡散臭いですね」

「失礼だな。男はいくつになってもロマンチストなんだよ」と言って、充さんは会長のお寿司の皿を自分の前に置いた。

私はゴホンッとわざとらしく咳払いをした。

「……というわけなので。おじさま、蒼には……」

「そうだね。後が怖いけど、今は時期が悪いね」

「ま、気にすんなよ。情報は山ほど与えてるのに、気がつかないあいつも鈍いんだよ」

会長は苦笑いしながらも、雑炊を完食した。

女は秘密の香りで獣になる

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