「あっ!月子様のお召し物を!」
あらかたお咲へ着付けを終えた清子が慌てている。
「わ、私は、今ご用意してくださっている着物で十分ですし……」
「まあ!!もしかして!」
恐縮する月子の様子を見た芳子が、肩を落とした。
「……そうよね。私のお下がりなんて……。気に入らないわよね」
つい日頃の癖と言うべきか、うっかりと言うべきか、月子は自分の木綿の着物、みすぼらしい姿で座っていたのだ。
その姿を見ながら、芳子は、袖を目尻にあてがっていた。
「奥様、何も涙ぐむことではないと思いますが?月子様は、奥向きのお仕事がございます。どうしても、木綿の着物の方が動き勝手がよろしゅうございます」
どうやら、芳子は先に渡した着物を月子が着ていないことで、自分のお下がりは、いやなのだと勘違いしているようで……。
「でも、清子!奥向きの仕事なんて、この家は狭いし、そもそもそんなことは、女中の仕事でしょ!」
「……奥様、その女中というのが、お咲なのですけれど?何ができまして?!」
「できるよっ!お咲、月子様の女中だからっ!」
と、清子の言葉にお咲まで反応し、場は大騒ぎになりかける。
「今、帰った!」
大声と共に、ガラガラと玄関が開かれる音がする。
「え?!」
月子は慌て、立ち上がると玄関へ向かった。
「……清子?京介さんよね?どうして、こんな昼間に帰ってくるのかしら?」
清子も、さあと、首をかしげ芳子に答えているが、玄関からは……。
「つ、月子!そんなに急いではいかん!足はどうした?もう良いのか?!」
と、居間まで丸聞こえの大声が。
「いやーねぇー。京介さんったら。あんな大声、ご近所迷惑じゃない?」
「ですよねー、それにつきましては、私も同感です」
清子も芳子に頷いた。
「何が、ご近所迷惑ですか?!そんな苦情は一度もあがっておりません!義姉上《あねうえ》こそ、ここでいったい!というより、なんですか?!その衣裳は?!」
月子を引き連れ、岩崎が居間の入口に立っている。
芳子が持ち込んだドレスに、月子の着物に、お咲は着替えているというなんとなく賑やかな風景に、岩崎は、いぶかしむ。
「あっ!これね、明日の衣裳合わせよ!私のドレスも見てもらおうと思って月子さんの所へ来たのに……」
「来たのに、私が戻って来たと……」
ここぞとばかりに、嫌みのような事を岩崎に言われて芳子は、目を丸くするが、すかさず清子が口を挟んで来た。
「京介様のご衣裳、タキシードもお持ちいたしました」
その一言に、岩崎は、あっ、と呟いた。
「明日は、奥様と合唱されるはずですから、タキシードを……」
してやったりと、なぜか得意気な顔をする清子へ、岩崎は、渋い顔をして、すまんと一言礼を言っている。
どうやら、この家は、住みか、であって楽器や衣裳など演奏会に必要なものは男爵邸に保管しているらしい。
だから、芳子がここにいるのは、無駄話に来たわけではなく、明日の準備の為、しかも、岩崎の衣裳をも、準備する為なのだと、清子が得意気に言い訳めいたことを言う。
岩崎は、やられたとばかりに、渋い顔をくずさず、
「こちらも急ぎます!暫く、月子を借ります!月子!」
着いてきなさいと、岩崎は、月子を自室へ連れていこうとした。
月子含め、女達はなんのことやらと、ポカンとしつつ、取りあえず、大声をだされるのもかなわないとばかりに、芳子、清子が月子へ岩崎の言う通りにするべしと、頷いて見せる。
「は、はい」
月子は、答え岩崎の後に続いた。
そして、自室の襖を閉めたとたん、岩崎が、おもむろに胸ポケットから、小箱を出して、無言のまま月子へ差し出した。
小さな筆箱の様な小箱を開けるようにと無言の圧が、月子にかかる。
なんのことかと不思議に思いつつ、月子は、岩崎から小箱を受けとり、ふたを開けた。
中には、小ぶりだが、良くできた、つまみ細工の花かんざしが入っていた。