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私には記憶がある。それは私では無い全く別人の記憶。
『彼』は誰よりも強かった。その拳は山を砕き海を割り、その莫大な魔力は天候すら操り、その頑強な身体は何をしても傷付かなかった。
『彼』は誰よりも賢かった。星の海を語らい、遥か未来を見通し、誰もが悩む難題を容易く解決して見せた。
『彼』は誰よりも優しかった。涙を流す者に寄り添って共に涙を流し、傷付いた者を見返りを求めず癒し、誰にでも手を差し伸べて、皆と一緒に笑顔で笑いあった。
『彼』は誰よりも孤独だった。彼の強さが、賢さが、優しさが人々に疎まれた。人々は彼を指して言う。支配者になりたいだけだろうと。『彼』は答える。誰もが幸せな世界を作りたいと。
人々はその言葉を信じることはなかった。
そんな孤独な彼を慕う者達がいた。彼等は『魔物』、或いは『魔族』と呼ばれ人々から迫害を受けていた。
『彼』はそんな彼等に手を差し伸べた。傷付いた者を癒し、魔法で飢えを満たし、その優しい心で彼等の拠り所となった。
いつしか『彼』を中心として、慕う者達が国を作った。魔族、魔物達は遂に安住の地を得たのだ。
『彼』は周りに請われて王となった。それでも『彼』は変わらなかった。善政を敷き、皆が幸福に生きられるよう寝る間を惜しんで頑張った。
そして『彼』の国は周りが羨む程豊かな国となった。『彼』は人間達と融和を唱えた。対等の立場として、より良い未来のために共存の道を探ろうとした。
人間の国へ送られた使節は皆殺しにされた。人間は『彼』に絶対服従と民の奴隷化を求めた。豊かな国を見て、人間の欲望は膨れ上がっていた。
『彼』は悲しんだ。『彼』の周りに居る者達は怒った。こんな要求を突きつける相手と仲良くなんてなれないと非難した。『彼』はそれを悲しげに見つめていた。
そして魔族と人間の長い戦争が始まった。『彼』は常に先頭に立ち、その力を存分に発揮して戦った。魔族は連戦連勝、人間の軍をことごとく打ち破った。でも『彼』は優しかった。怪我をした人間の兵士の傷を癒して、亡くなった者は手厚く葬り、遺品を国許へ送り届けた。戦いながらも『彼』は融和の道を探り続けた。
「奴に騙されるな!これは罠である!」
これに対する人間の国の反応は苛烈であった。『彼』に救われた人々を裏切り者として処刑。様々な悪行を流して『彼』に対する憎悪を高めていった。もちろんこれらの悪行は人間が自ら行ったことである。
人間達の所業を伝え聞いた『彼』は深く悲しむが、それでも希望を捨てなかった。人間の軍勢を幾度と撃退し、その度に負傷者に手を差し伸べた。和解の道を諦めなかった。
連戦連敗の人間達は遂に禁忌へと手を伸ばす。異世界から一人の少年を召喚した。戸惑い泣き喚く少年を叱咤して無理矢理鍛えて戦士に仕立て上げた。彼は後に『勇者』と呼ばれた。
程無くして『勇者』の活躍が始まると、『彼』の国は劣勢に立たされた。『勇者』の力は魔族に対して絶大な威力を発揮したためである。
数多の魔族が倒れた。誰もが恨みではなく、『彼』への感謝を叫びながら散っていった。
『彼』は深く悲しんだ。けれど、同時に『彼』は『勇者』を哀れんだ。望まぬ境遇で戦うことを強いられる青年を恨むことが出来なかった。
『彼』は幾度も『勇者』と言葉を交わそうとした。望まぬ戦いを強いられながらも清い心を持つ『勇者』と和解が出来ると考えた。
でも、それは『勇者』の仲間達に阻まれて遂に成し遂げることはできなかった。『勇者』の仲間は人間の監視員でもあったのだ。
永い戦いで多くの命が失われた。『彼』は国の解散を宣言して魔族達を逃がした。魔族達は抗った。大恩ある『彼』のために戦わせてほしいと涙した。『彼』はそれを許さなかった。『彼』は自分を慕う彼等をこれ以上死なせたくなかった。
そして、『勇者』と最後の戦いに望んだ。天変地異を引き起こすほどの激闘の末、『彼』は討たれた。けれど、『彼』は恨まなかった。逃がした魔族達の無事を願い、そして自らを討ち果たした『勇者』の幸せを願って。
私は幼い頃から『彼』の生き様を夢として見てきた。誰よりも強く優しい『彼』の生き様に憧れるのは、無理もないことだった。
私は生まれながらに魔物に襲われなかった。私が生まれたその日から、私の父が治める領地から魔物の被害が一切無くなった。
魔獣使いとは違う。魔物達は私を慕った。私に語り掛けてきた。たくさんの友達が出来たようで、私は嬉しかった。
私は生まれながらに魔法が使えた。有史以来数人しか例が無いらしい。両親は歓喜した。誰もが歓喜した。魔物に襲われないのは奇跡の賜物だと喜ばれた。
私はいつの間にか『聖光教会』で『聖女』と呼ばれるようになった。『彼』を討ち果たした『勇者』を信仰の対象にするのは抵抗があるのだけれど、『彼』と同じように弱い人達を助けていたら、そう呼ばれるようになった。私と同じように弱者救済を行う人が増えたのは嬉しかった。
けれど、魔物討伐だけは拒否した。彼等は敵ではない。その点だけが、周りは気に入らない様子。でも気にしない。そんなことで挫けていたら、『彼』のようには成れないから。
ある日、シェルドハーフェンと呼ばれる港町に魔法を使う少女が居るとの情報が流れてきた。彼処は帝国の暗黒街と呼ばれる場所で、アルカディアから魔石を密輸したのだろうと誰も気にしなかった。
けれど、同時期に現地に居たシスターカテリナからの定期連絡が途絶えた。死んだのだろうと処理されていたけど、私には関連があるように思えた。
上手く言葉に出来ないけれど、私は自分の直感を信じることにした。なによりシェルドハーフェンには不幸な人がたくさん居る。彼等に救いの手を差し伸べなければいけないから。
私は『聖女』としての権力を最大限活かしてシェルドハーフェン進出を実行に移す。現地の治安維持と困窮者救済を最優先事項として。『彼』と同じように、暗黒街の人々を助けるために。
この決断が『彼女』との永い因縁の始まりだとは、当時の私は知る由もなかった。
私はマリア。マリア=フロウベル。帝国貴族フロウベル侯爵の一人娘であり、『聖光教会』の『聖女』。
そして、私を慕う魔物達は私をこう呼ぶ。『彼』と同じように。
……『魔王様』と……。