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「俺の事ずっと見てたのか?」
「ん?」
神津に抱きしめられながら、そんなことをふと思い出して聞いた。
俺が死んでから、死後の世界がこうしてあったとすると、やはり神津は俺の事をずっと見ていたのではないかと思った。だが、神津の反応からして、そのせんが薄いことが分かる。神津は、「そうだねー」と何かを考えるように視線を逸らした。
「僕は、ずっと、ここに幽閉されていたかな」
「ここって……死後の事務所にか?」
言い方が浮かばず、そう口にしてしまったが神津はそれを理解してくれて、そうだねと首を縦に振った。
神津は、言う。青暗い、白い満月の光が差し込むこの事務所で、外に行けるわけでもなく、朝日が昇るわけでもない事務所で永遠の時を過ごしたと。時間の感覚などなく、時計は夜の10時9分で止っていたらしい。
神津は死んでからずっとここに幽閉されているのだと、再度口にすると俺をギュッと後ろから抱きしめた。それは、闇に怯える子供が大人に抱き付くような、そんな弱々しいものだった。
俺は、何も言わずにその腕の中でじっとしていた。しばらくそうしていると、不意に神津は口を開いた。
「何だか凄く怖かった……というよりも、寂しかったかな。春ちゃんとの思い出がそこにない気がして、このグランドピアノで演奏をしていたんだ。でも、春ちゃんの言った大衆に向ける無償の愛じゃなくて、生きている春ちゃんに送る愛の音だった。でも、その春ちゃんもこっちに来ちゃったわけだし……そんなつもりで弾いていたわけじゃないのにな」
「わりぃ……」
謝ってもすまされないだろうか、そんなことを考えつつ、俺はそう返した。
神津は許さない。と呟くとさらに強く抱きしめた。
「それでも僕さ……春ちゃんに生きて欲しいって凄く凄く強く思っていたのに、願っていたのに……ね、心の何処かで早く春ちゃんがきて欲しいっても思ってた。矛盾してるし、それって春ちゃんが死んじゃうって事なのに」
ダメだよね、僕。と、神津は悲しげに笑みを浮かべた。それが、とても痛々しくて、見ていられなかった。
俺が死んだせいで、神津が苦しむことになるなんて思いもしなかった。
だからといって、どうすればいいのか分からないが、ただ、今は、今だけは、その悲しみを受け止めたい。
そう思った。
俺だって、同じ気持ちだったから。
神津が俺を想ってくれるように、俺も神津のことを思っている。だからこそ、その苦しみを分かち合いたかった。そして、少しでも神津を楽にしてあげたかった。なんて、かっこつけすぎかも知れないが、同じ気持ちだ。
「俺も、お前なら春ちゃんは生きろー何ていうだろうって思ってたが、お前のいない世界じゃ生きる意味がねえからな。早く死んじまいたいって思っちまった」
「春ちゃ……」
「だから、お互い様だ。こうして会えたんだ。どっちかが地獄に落ちるとかなかっただろ?」
と、俺が言えば、神津は、うんと涙声で返事をした。
それから、俺たちは何を言うわけでもなく、そのままでいた。
神津は、もう二度と離すもんかというように力強く、だが優しく包み込んでくれた。
俺は、そんな神津の体温を感じながら、窓の外を見た。
そこには、青白い月が浮かんでおり、幻想的な風景が広がっていた。神津は、俺が見ていることに気づいたようで、同じように外を見る。窓から見える夜空は、いつもよりも美しく感じられた。
「綺麗だね……」
「ああ」
俺は短くそう答えた。神津は、そんな俺を見てクスリと笑う。
それにムッとして、何だよと言えば、神津は俺の頭を撫でる。
「そうだ、春ちゃん。有名なフレーズがあるじゃん」
「なあ、それって……」
「春ちゃん、月が綺麗ですね」
俺が反論する暇もなく、神津はそう俺に言った。
有名なフレーズだから、返し方も意味も勿論知っている。だが、それを返せないのは、もう既に……
俺は少し考えて、他の返し方があったような気がしたと頭を捻った。神津は早く答えてと言うように目を爛々と輝かせている。
「……私にとって月はずっと綺麗でしたよ」
返し方がこれであっているか分からず、それでも神津から目を離すことが出来なかった。
死んでもイイは返し方としてきっと今適切じゃない。だって俺たちは死んでいるから。
顔を上げれば、彼は見たことも無いぐらい耳まで真っ赤にして口元を手で覆っていた。
「は、春ちゃん。何処でそんなの覚えたの」
「返し方、これであってるかよ」
俺がそう聞けば、神津は俺を抱きしめたまま何度も首を縦に振った。何だか恥ずかしくて、俺は神津の胸に顔を押し付けた。
神津は俺の頭上でクツクツと笑い声を漏らすと、ギュッと抱きしめる。
「春ちゃん、大好き。本当に大好き」
「……知ってる。何年一緒に居たと思ってんだ」
そう言うと、神津は俺の頬に手を当てて上向かせる。神津の顔はまだ赤いままだったが、俺は素直に目を閉じる。
すると、神津はそっと唇を重ねた。
触れ合うだけの優しいキスだったが、俺はそれだけでも十分幸せだった。
「春ちゃん、これからもずっと一緒にいて」
「ああ……つっても、俺たち死んでんだからずっと一緒も何もねえけどな」
「それでもだよ。この空間で二人きり……僕のこと嫌いにならないでよね」
「嫌いになるかよ。俺がどれだけ……どれだけ、恭のこと」
そう言いかけた俺の口を塞ぐように、神津は再び口づけをする。今度は深く、長く、愛を確かめるように舌を絡めて、お互いを求めあった。
神津が好きだ。
心の底から、どうしようもないくらい好きだった。
例え、死んでいたとしてもそれは変わらない。
神津も同じ気持ちだと嬉しいと思った。
「春ちゃん、愛してる。春ちゃんは?」
「その言葉、そんな安くねえよ」
「……それでも、聞きたいよ。やっと春ちゃんから聞けたんだし」
と、神津は俺にせがんだ。
俺は、口ごもりながらも、その言葉を隠すように言ってぶつかるようなキスをする。恥ずかしくて、矢っ張り言えたものじゃない。
それでも、口から零れるのは、溢れて仕方ない神津への愛の証拠だろう。
「俺も、愛してる。恭」