私と千尋は、お互いにお互いのルールの意味がわからない。
私は千尋が既婚者にこだわり、比呂さんの離婚を受け入れようとしない理由がわからない。千尋さえ頷けば、比呂さんと結婚して、彼の子供を産んで、幸せになれるのに。
千尋は千尋で、私は子供が産めないことにばかり囚われている理由がわからないだろう。龍也の言葉を信じて受け入れることに躊躇う理由も。
千尋にしてみれば、ちょっとした悪戯心だったのかもしれない。
実際、龍也が乗っかるかはわからなかっただろうし。
けど、千尋があんなことを言わなきゃ、龍也はあの場で相手が私だと言わなかったんじゃ……。
そう思うと、やっぱり、してやられたという悔しさが混み上がる。
「千尋は知ってたの? その、あきらと龍也のこと」
「うん」
「そうなんだ……」
麻衣にしてみれば、仲間内で隠し事をされていたように感じたかもしれない。
実際に、そうだし。
けれど、決して仲間内で信頼性を比較したわけではない。
それに、私は今、麻衣に聞いて欲しいと思っている。
「私、子供が産めないんだよね」
「――え?」
麻衣が目を丸くした。
もともとパッチリした大きな二重の瞳が、更に1.5倍くらいに広がる。
「四年前に、子宮を摘出したの。その後でずっと付き合っていた彼と別れて、どん底のところを龍也に救われたの」
「そんな……。身体はもう大丈夫なの?」
「うん」
麻衣の大きな瞳に涙が浮かぶ。
私は私の身体を心配して涙してくれる麻衣の優しさに、胸が熱くなる。
「ホント、偶然に千尋に知られちゃってね。お互いに秘密を共有するみたいに千尋の性癖って言うの? 聞いたの」
「そっか……」
「麻衣とさなえに軽蔑されたくなかった」
「え!?」
「龍也の気持ちを知っていながらセフレなんて関係になって、二人に知られたら軽蔑されると思った。きっと……、千尋も同じだと思う」
そんな話をしたことがある。
私と千尋にとって、麻衣とさなえは憧れそのもの。
可愛くて、優しくて、素直で。
逆に、二人には私と千尋のような女が憧れだと言われたことがある。
強くて格好いい、と。
ないものねだりだ。
「軽蔑なんてしない!」
急に大きな声で言われて、ビックリした。
「そりゃ、驚くし、不倫が悪い事なのは確かだし。――けど! 軽蔑なんてするわけないじゃない! 私だって……同じだもん。結婚が決まってる陸と……シちゃって……。みんなに知られるの……怖かった。だから、軽蔑なんて――!」
麻衣が大粒の涙をこぼす。
顔をぐちゃぐちゃにして、声を殺して。
みんな、何かを抱えている。
それは、些細なことだったり、犯罪級のことだったり。
時間と共に忘れられることだったり、夢にまで見て苦しめられることだったり。
みんな、何か抱えてる。
そして、戦っている。
「ありがとう、麻衣」
私は麻衣を抱き締めた。
「ありがとう……」
可愛くて優しくて、愛おしい友達。
麻衣も私を抱き締め返してくれる。
麻衣には幸せになって欲しいと、思う。
心から、思う。
「麻衣は……好きな人を諦めないで」
「あきら……」
「鶴本くんでも陸さんでもいい。麻衣は、麻衣が本当に好きな人と幸せになって」
「……」
私の代わりに、なんてプレッシャーをかける気はないけれど、そんな気持ちだった。
「どっちを選んでも、どっちも選ばなくても、麻衣が幸せならいいよ」
「あきらは龍也を好きじゃないの?」
「……好きだよ」
自然と、言葉に出来た。
なんだか、胸がスッと軽くなった。
そっか。
私はずっと、誰かに言いたかったのか。
「龍也が、好き」
素直にそう言えたことが嬉しくて、泣けた。
何度、嘘をついただろう。
龍也に抱かれながら、何度も自分に嘘をついた。龍也に、嘘をついた。
その度に、苦しかった。
素直になれない自分が、嫌いだった。
「だけど……、龍也の子供を産んであげられない……」
「あきら……」
「龍也は……子供がいなくてもいいって……言ってくれたけど……」
私の涙が、麻衣の肩を濡らす。
「千尋も……、産まない人もたくさんいるんだからって……言ってくれたけど、違うの」
「何が?」
「……」
以前、千尋に龍也との関係を拒絶する理由を聞かれた時、『今は良くても、十年後に龍也が子供を欲しがったら』と言ったことがある。『龍也に幸せになって欲しい』とも。
それは、事実。
龍也は子供が好きで、私は産んであげられない。だから、子供を産める女性と幸せになるのが、龍也の幸せだと思う。
それに、今は私がいればいいと言ってくれても、いつか後悔するかもしれない。それが、怖い。
けど、それ以上に――。
「龍也と一緒に居ると……、きっとずっと……子供を産めないことを忘れられない。私が……苦しいの。龍也の幸せだなんてきれいごと言っても! 結局は……私が……辛いの。龍也の子供を産みたかったって……望みを……忘れられなくて……。だから……」
逃げた――――。
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