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文化祭が終わった。校舎のあちこちには、まだ片づけの名残と、それを惜しむ笑い声が残っている。夕暮れの校庭に、風が静かに吹き抜けていた。
太智と仁人は、教室の片づけを終えて、並んで校庭のベンチに座っていた。制服に着替え直していても、どこかまだ“アリスの国”の空気が残っている気がして、ふたりとも少しだけ、照れたように沈黙していた。
「文化祭、無事に終わったね」
仁人がぽつりと呟くと、太智は横顔を見て、うんとうなずいた。
「じんちゃんが居てくれたからやで。……ほんま、めっちゃ頑張ってたな」
「じんちゃんって……」
太智の口から、自然に“その名前”が出た。
仁人は、ほんの一瞬、言葉を失ったように目を見開いた。
「……今、呼んだ?」
「うん。やっと呼べた」
太智は少し照れたように笑いながら、仁人の隣で、ふわっと肩を揺らした。
「うち……ほんまはずっと、呼びたかったんや。せやけど……“じんちゃん”は、あの頃の女の子の名前やと思ってたから……なんか、自分が裏切るみたいで怖くて……でも違うなって思ってん」
仁人は、ゆっくりと太智の顔を見つめた。
「じんちゃんは、仁人で──男の子で──でも、うちがずっと好きやった、あの子やって。……それが、やっと、ちゃんと繋がった気がするんや」
太智は言葉を選びながら、けれど真っ直ぐに仁人を見つめていた。
仁人は静かに笑った。そして、そっと手を差し出した。
「……じゃあ、その約束も、繋がったかな」
太智が目を丸くする。
仁人の手のひらの上には、小さな銀色の指輪がのっていた。おもちゃみたいな、でも、子どもの頃には宝物だった、あの指輪。
「……これ、まだ持ってたん?」
「うん。だいちゃんに『結婚しよう』って言われて、嬉しくて……捨てられなかった」
太智はそっと手を伸ばし、その指輪を取った。そして、仁人の右手の小指に、それを丁寧にはめた。
「──やっぱり、うちの“じんちゃん”やな」
太智の声は、小さく、でも誇らしげだった。
仁人の頬がふわっと赤く染まる。
「でも……この指輪、指にはもうちょっと小さいよね」
「そんときは、また新しいの、買えばええやん」
「え?」
「大人になったら、本物のやつ。──今度は、うちから渡すわ」
その言葉に、仁人は何も言えず、ただ笑った。
太智も笑って、仁人の手をぎゅっと握る。
──まるで、あの日の続き。
砂浜で小指を結んだふたりの、あの“はじまり”が、ようやくここに戻ってきたような。
日が暮れていく空に、赤とオレンジが滲んでいた。
文化祭は終わっても、ふたりの時間は、まだ始まったばかりだった。