テラーノベル
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ある村の小高い丘の上。 教会には、一つの「ベル」が掛かっていた。
そのベルは、村に幸せなことが訪れた時にだけ鳴らされてきた。
結婚式、子供の誕生、新年。 喜びのたびに、その音色は空に響き渡った。
いつしか、そのベルは「ラッキーベル」と呼ばれるようになる。 「ベルそのものが、幸せを運んでくる」と人々は信じるようになっていった。
気がつくと、ベルは観光の対象になっていた。 噂を聞きつけた人々が、次々とベルのもとに集まってくる。
不思議なことに、ベルの効果は抜群だった。 観光に訪れた多くの人たちの願いを、次々と叶えていったのだ。
村は「聖地」として有名になり、豊かになった。 全ての物事は、ベルを基軸に回り始めた。
村長を決める時も、建物を建てる時も。 常に「ベルの価値を損なわないこと」が最優先された。
観光客に説明しやすいよう、ベルの歴史も新しく作られた。 もともとは牧師が時間を知らせるためだけのものだったが、 いつしか「伝説の英雄が建てたもの」と語り継がれるようになっていった。
しかし、時間の流れとともに、異変が起き始めた。
願いが叶わなくなったのである。 そればかりか、願う人は村を訪れなくなっていた。
「これはどうしたことか」
村の代表者が集まり、激しい議論が交わされた。
「観光地としてやりすぎたのか?」 「景観を損ねたせいか?」 「村長の敬意が足りないのか?」
解決策は見つからない。 村の経済はベルに依存しきっていた。 もし「あのベルはもう幸運を呼ばない」と知れ渡れば、生活は立ち行かなくなる。
議論はいつしか、醜い責任のなすりつけ合いへと変わっていった。
やがて争いは分断を生み、村には境界線が引かれた。 派閥が分かれ、互いに言葉を交わすことさえ禁じられた。
分断から五年。 村にかつての面影はなかった。 違う派閥同士の交流は許されず、心には新たな火種が燻っていた。
その光景に耐えかねた一人の青年が、隣町の恩師に相談へ行った。 「先生、一体どうすれば良いでしょうか。村が壊れてしまいます」
恩師は、静かに答えた。 「……あのベルにはね、特別な力なんて備わっていないんだよ」
青年は目を丸くした。
「あのベルが掛けられた時、人々は自分自身に願っていたんだ。子供の成長、幸せな生活、豊かな実り。そのために、自分ができることを精一杯やった。それが実を結んだだけのことだよ」
恩師はお茶を啜り、青年に目を向けた。
「今は、誰も自分を信じていない。ベルという言葉の魔力に惑わされ、何かに叶えてもらおうと寄りかかっているだけさ。だから、何も起きないんだよ」
青年は震える声で訴えた。 「でも、いまさらそんな事実を言っても誰も信じません! 争いを止める方法はないのですか?」
恩師は、ニヤリと笑った。 「そうだね。もしベルのせいで争いが起きたということにしたいなら、まずはベルに『労い』を伝えてはどうだい? 掃除くらい、してあげたらどうかな」
青年はすぐさま仲間の元へ戻り、ベルの掃除を始めた。 驚いたことに、長い年月の間、誰もベルを磨こうとはしなかったらしい。 そこには厚い汚れが溜まっていた。
青年たちがベルを教会から降ろし、丁寧に磨き上げたその時――。
ベルの裏側に、隠されていた文字が現れた。
『もう二度と、このベルを巡って対立が起きないように。 かつて争いで多くの命が失われた悲しみを、我々は後世に伝えなければならない』
日付は、ちょうど三十年前の今日だった。
……作られた英雄の歴史などではなかった。 これは、かつての悲劇を繰り返さないための、先人たちの祈りだったのだ。
「……っ!」
青年は、こみ上げる感情を抑えきれなかった。 目から大粒の涙が零れ落ちる。
彼は全力で、村長の家へと走り出した。