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夜。
家の灯りが落とされていた。
テレビは消えている。
誰かの笑い声もない。
俺は廊下の途中で立ち止まっていた。
行き先は特に決めていない。
ただ、歩いてみただけ。
「……どうした?」
声がした。
振り向くと、いるまがキッチンに立っていた。
水を飲みに来ただけみたいな距離感。
逃げ道は塞がれていない。
「……なんでもない」
言ってから、少し後悔する。
“なんでもない”は嘘だった。
でも、いるまは否定しなかった。
「そっか」
ただ、それだけ。
沈黙。
時計の音が小さく鳴る。
感情がいるまには見えている。
今、俺の中にあるもの。
怖い。
混乱。
少しの安心。
ほんの少しの期待。
それをそのまま見ている。
「……無理に話さなくていい」
いるまは静かに言う。
「でもさ」
一拍置いて。
「今のなつ、“何も起きてないのが怖い”って感じてる」
暇72の肩がびくっと揺れた。
当てられた。
でも、責められていない。
「……うん」
声が小さくなる。
いるまは近づかない。
でも、離れすぎない。
「怒鳴られないと殴られないと、
次が分からないんだよね」
思わず床を見てしまった。
「……うん」
それしか言えない。
いるまは息を吸ってから、
「今ね」
と言った。
「君の感情、ちゃんと“静か”だよ」
静か。
怖くないじゃない。
消えてないでもない。
「嵐じゃない」
そう言い直した。
「だから、今は何も起きない」
断言しない。
でも、否定しない。
「もし、不安になったら」
いるまは冷蔵庫に寄りかかる。
「ここに来ていい」
理由を付け足さない。
俺はしばらく黙っていた。
それから。
「……ここ、来てもいいの、、?」
もう一度確認する。
いるまは少しだけ笑った。
「いいよ」
短く。
「それ、もう質問じゃなくていいから」
その言葉が胸に落ちる。
俺は一歩、近づいた。
距離はまだある。
でも、
___逃げなくていい距離。
その夜、俺は廊下で立ち止まらなかった。
迷ったら行っていい場所が
一つ増えたから。
夜更け。
家の中は、ほとんど音がしなかった。
俺は自分の部屋の前で立ち止まっていた。
入って、眠ればいい。
分かっている。
でも、頭が止まらない。
___今日は、良すぎる。
___明日は、壊れるかもしれない。
___今のうちに、逃げ道を。
考えが勝手に並ぶ。
そのとき。
リビングの灯りがまだ点いているのに気づいた。
LANがソファに座っていた。
画面は消えている。
何もしていない。
「……眠れない?」
声は静か。
詰問じゃない。
俺は首を縦に振った。
「……頭が、うるさい」
LANは少しだけ目を伏せた。
聞こえている。
考えが、そのまま。
「だろうね」
否定しない。
「君の思考、ずっと“生き残るため”だ」
俺は膝を抱える。
「……考えないと、危ない」
LANはすぐに返さなかった。
一拍。
「正しいよ」
その一言で俺は顔を上げた。
「それ、今までの世界では完璧に正解」
否定しない。
でも、
「ここでは」
LANはゆっくり続ける。
「考え続けなくても、死なない」
言い切り。
保証じゃない。
事実。
「……でも」
声が、揺れる。
「考えないと…忘れる」
LANは小さく首を振った。
「忘れない」
短く。
「君が考えなくても、この家は覚えてる」
理由を説明しない。
俺は少しだけ黙る。
頭の中の声が一瞬、止まる。
LANはその隙を逃さない。
「試してみよ」
提案。
「今から、三つ数える間だけ考えるのやめてみて」
LANは視線を逸らさない。
「一」
呼吸。
「二」
肩の力が、少し抜ける。
「三」
沈黙。
何も起きない。
殴られない。
怒鳴られない。
ただ、夜がある。
「……生きてる」
小さく言うと、LANは頷く。
「ほら」
誇らしげでも、優しすぎでもない。
「考えない時間、作れたでしょ?」
その言葉が胸に残る。
俺は立ち上がった。
「……おやすみ」
今度は逃げる声じゃない。
LANは軽く手を振った。
「おやすみ」
灯りが一つ消える。
その夜、俺の思考は全部止まらなかった。
でも。
止められる
って知れた。
それだけで、十分だった。