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ふ……虚無より現れし者……ツバキと名乗ろう。 語らせよ!運命の代弁者たる我が、真実を──
*
シーガの街の門をくぐった瞬間、
肩から何かが落ちた気がした。
整った石畳、規律正しい門番、
どこか懐かしい市場のざわめき──。
久しぶりに、“まともな世界”に来たと思えた。
せめてこの街では──
誰かが「聖女様!ご神託を!」なんて叫ばない、
穏やかな日々を過ごせると思っていた。
……思っていた。
*
「見てくださいっ、あれ……!」
ローザの言葉に顔を上げた私は、絶句した。
──街の中心、教会の壁。
そこには金文字でこう刻まれていた。
【カメリア聖典 第九百五十章】
『平穏なる幻想に飲まれたか……?』
(……私がびっくりした時に発した言葉……だよね?それ!)
まさかそれが教典として刻まれるなんて思いもしなかった。
さらにその下には、鮮やかな額縁。
賛美歌の練習をしている子どもたち。
信者らしき人々が、ろうそくを手に祈っていた。
彼らの顔は皆、真剣で、希望に満ちている。
私の言葉を、本当に神の教えだと信じて。
「いつの間にこんなに……」
私が呟くと、ローザは胸に手を当て、目を細めた。
「ここは信仰の地として、素晴らしい風土がありますねぇ。
ツバキ様のお言葉が、これほど早く根付くなんて……
まさに奇跡です」
いや、そんな話はしてない。
私は何もしていないのに……。
*
市場では、私の名を冠した商品が並び始めていた。
・聖女まばたきパン(やわらか仕上げ)
・ツバキ茶(意識が高まりすぎるお茶)
・神託クッキー(たぶんローザ製)
・カメリア様の微笑みマスク(私の顔を模した仮面)
商人たちは私を見つけると深々と頭を下げ、
「聖女様のお陰で商売繁盛です!」と感謝の言葉を口にする。
子どもたちは私の姿を見ると目を輝かせて走り寄ってくる。
この人たちは、
私という”人間”を見ているんじゃない。
“聖女”という偶像を見ているだけ。
その偶像が実は空っぽの器でしかないことを、
誰も知らない。
*
「ねえツバキ〜、このお菓子見て!
私たちの顔ついてるよ!あははw」
カエデが嬉しそうに言う。
クッキーに描かれた似顔絵は確かに微妙で、
私は目が三白眼、カエデは髪がボサボサ、
ローザは異様に筋肉質に描かれている。
ローザは教会関係者と笑顔で会話しながら、
新たな”御言葉”の展示について交渉していた。
そんな二人を、私はどこか遠くに感じていた。
まるでガラス越しに見ているような、
現実感のない距離があった。
でも、カエデを見ていると──
私は、ここにいていいのかなって、まだ思える。
……ありがとう。カエデ。
*
──その夜。
宿に入って間もなく、
騒がしい足音と馬の嘶きが響いた。
街の衛兵たちが緊張した面持ちで宿の外に整列していた。
十二人、いや十五人はいるだろうか。
彼らの鎧は王国軍の正式なもので、
胸には王家の紋章が刻まれている。
そして、その中央にいた男が一歩進み出る。
顔に深い傷跡のある、歴戦の騎士のようだった。
「聖女ツバキ殿に──
キューシュー王国陛下より、緊急伝令!」
鼓動が、跳ねた。
王国からの直接の連絡なんて、今まで一度もなかった。
「こちらをお納めください」
差し出された封書。
見覚えのある封蝋。
間違いなく、王直属のもの。
重厚な紙質、丁寧な装飾。
これは間違いなく、正式な王命だった。
私はそれを受け取った。
手が、わずかに震えているのがわかった。
衛兵たちは無言で一礼すると、去っていった。
蹄の音が遠ざかっていく。
街の人々のざわめきも、やがて静まった。
*
部屋に戻り、静かに蝋燭を灯す。
ローザもカエデもまだ帰ってきていない。
市場で夕食の材料を買いに行っているはずだった。
私はひとり、封を切った。
『王命』
魔王軍、タマイサ地方へ侵攻。
オーミヤに魔王出現。
国王、これを由々しき事態と判断す。
よって、聖女ツバキに命ず。
魔王を討伐せよ。
なお、本命令は王国の総意なり。
拒否は許されず。
──魔王。
──討伐。
──聖女、ツバキ。
視線が揺れた。思考が止まった。
言葉が、出ない。
(……私に、“討て”と?)
信仰が広まりすぎて、もう引き返せないと感じていた。
でも、それは──「言葉」だけの世界だと思っていた。
ずっと”演じていれば”何とかなると思っていた。
聖女のフリをして、誰かの救いになったフリをして──。
それなのに。
ここで初めて、“命令”が来た。
“誰かを討て”という、“現実”が来た。
魔王って、どんな存在?
本当に、私が討つべき相手なの?
──私が……人を……殺すの?
疑問が次から次へと湧き上がってくる。
でも、王命には「拒否は許されず」と書かれている。
地図で見たことがある。
タマイサのオーミヤはラウワ王国にある。
このシーガの東の国だった。
キューシュー王国とは友好関係にあったはず。
そこに魔王が出現したということは、
いずれ魔王軍がこちらに向かってくる可能性も高い。
……理解はできる。
でも、納得なんてできない。
私が、魔王を討つ?
戦場に出て、命を奪うの?
誰かを、正義の名で裁くの?
私が正義なの?どうして?誰が決めた?
この旅で少しは戦えるようになった。
ローザの指導で、それなりに形にもなってきた。
でも、それは「聖女らしく見せるため」の演技だった。
本当に人を傷つけるためじゃない。
夜風が頬を撫でていく。
教会の鐘が、遠くで時を告げていた。
もうすぐ八時。
ローザとカエデが帰ってくる時間だ。
信者たち。御言葉。カエデの天然。ローザの笑顔。
その全てが”喜劇”のように、
軽やかに、私を”聖女”として持ち上げてきた。
村で困った人がいれば、適当な言葉をかけて。
町で信者が集まれば、それっぽい説教をして。
子どもが泣いていれば、頭を撫でてあげて。
でも──
(私は、そんな自分に応えたことがあっただろうか?)
本気で世界を救おうとしたことがあった?
誰かのために、命を張る覚悟があった?
……私はただ、生き延びたかった。
偽って、媚びて、演じて──
この世界で、“聖女じゃなければ殺される”と思ってた。
誰にも笑われないように。
見下されないように。
嫌われないように。
──それは全部、“死にたくない”という叫びだった。
そうやって、“偽物”のまま、ここまで来た。
“それっぽく振る舞って”、
“それっぽく御言葉を吐いて”、
“それっぽく……それっぽく……“──
──でも私は、“本物”じゃなかった。
みんなこの”偽物”の私を、ずっと信じてくれてた。
*
「──ツバキ?」
声がした。カエデだ。
いつの間に帰ってきていたのだろう。
……気が付かなかった。
「さっきのお手紙……そんなに大変な内容だったの?」
彼女は、何も知らない瞳で、私を覗き込んでくる。
心配そうな表情。純粋な優しさ。
「……ううん。大丈夫だよ。
ちょっと…びっくりしただけ」
私は、笑った。
──“聖女”らしく。
この笑顔だけは…壊せない。
壊したら、私が壊れてしまうから──。
「そっか! ツバキは強いもんね!」
カエデは少し安心したような顔をして無邪気に笑った。
……強い?……私が?
こんなに迷って、震えて、逃げ出したくて仕方ないのに?
*
夜、ローザが私に言った。
彼女はもう、王命の内容を察していた。
「ツバキ様……明日からは、
進路をラウワ方面に切り替えましょうか」
「……うん。そうだね」
「魔王に、会いに行くんですね」
「……うん。そうだね」
「──きっと、ツバキ様なら、
“魔王をも救える”のではと……私は、そう信じています」
「……うん。そうだね」
「……ツバキ……様……?」
「……うん。そうだね」
ローザの声が遠く感じた。
いや、ローザの声だったのかも分からない。
……聞こえてるのに、聞こえてないみたいだった。
私は……頷いた。
──それが本心じゃなくても。
*
そう。
私は”聖女”なんかじゃない。
だけど──
“聖女でいること”でしか、
この世界では生きていけない。
ここで初めて、私は誰かに必要とされた。
頼りにされて、愛された。
たとえそれが偽りでも、演技でも。
だから私は──演じ続ける。
騙しても、裏切っても、笑ってでも。
この仮面が”私”である限り、私は壊れない。
涙が出そうになった。
でも、泣けなかった──
泣いたら……
この仮面が剥がれてしまう気がしたから。
── “聖女”は、こんなところで泣いてはいけない。
*
「……討ちに行こう、“魔王”を」
そう呟いた声が震えていたのは、恐怖か、虚しさか……
──罪悪感だったのかもしれない。
(つづく)