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◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ外縁/王国警備局・医療棟前・門外】
炎が跳ねた。
赤い壁が揺れて、熱が顔面を殴る。息を吸うだけで喉が痛い。
サロゲート――
カイトの身体を借りた“代用(サロゲート)”が、楽しそうに首を傾げた。
真っ黒な瞳。胸の板が、魔術紋の脈と一緒に淡く鳴る。
「ねえねえ。もう一回、やろ?」
多重の声が笑うのと同時に、炎が“線”になった。
門前の地面をなぞり、円を描く。
焼け跡が増えるたび、ここが“場”として固くなる感じがした。
(ここに居座るつもりだ)
ハレルはバッグを抱える腕に力を入れた。
サキの手が、袖を掴んだまま震えている。
リオが一歩前へ出る。
マスクの奥で息を整え、掌を上げた。
アデルも剣を構え直し、門前の“距離”を測る。
「リオ、光は飲まれるかも」
イヤーカフのノノの声が速くなる。必要な情報だけ。
「でも捕まえる形なら通る。胸の板、向きが変わる瞬間がある」
「……分かった」
リオの指が、空気を切った。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、上から縛れ』!」
白い光が細い鎖になって走る。
狙いは顔じゃない。肩から胸へ、上半身を巻く角度。
鎖はサロゲートの腕と胴に絡み、ぎり、と締まった。
「おっ」
サロゲートが嬉しそうに笑う。
だが次の瞬間――
胸の板が“回転”するみたいに切り替わり、鎖の一部が熱で赤く染まった。
ジュッ、と焼ける音。
鎖が溶けかける。リオの額に汗が浮いた。
「……燃やす気かよ」
「燃やすっていうか、ね」
サロゲートは肩をすくめる。
「器を貸してもらってるだけだから、壊したくないんだよ。ボクたち」
アデルが剣先を地面へ落とす。
声は低い。仲間に共有する声。
「門前、壁を厚くする。炎の逃げ道を減らす」
そして詠唱。
「〈大結界・第一級〉――光よ、“重ねて”」
淡い光が地面へ染み、膜が立つ。
一枚じゃない。二枚、三枚。透明な板が重なって、熱を押し返す“厚み”になる。
炎がぶつかり、バチバチと散った。
それでも熱は来る。でも、さっきより息ができる。
隊員の二人が槍を構え、門前の左右へ散る。
片方が短く詠唱した。
「〈火矢・第二級〉――『一直線』!」
赤い矢が走り、炎の輪の外側を焼く。
焼け跡の“線”が途切れて、サロゲートの円が少しだけ歪んだ。
ノノが言う。
『今、円の繋がりが弱くなった。今なら――』
リオが頷いた。
鎖の“根”を、アデルの結界の杭へ結び直す。
「〈捕縛・第三級〉――『錨を打て』!」
鎖の端が地面へ刺さる。
次の瞬間、鎖が上半身だけを“板”に貼りつけるみたいに固定した。
肩、胸、腕。動かせない角度。
サロゲートが初めて、顔をしかめた。
多重の声が、少しだけ歪む。
「……あ、これ、やだ。動けないの、やだなあ」
3
橘靖竜
「今だけだ」
リオの声が短く落ちる。
「……今だけ、止まって」
ハレルの背中が少しだけ軽くなる。
(止まった――!)
その時だった。
背後の空気が、冷たく裂けた。
熱の中に、別の“鋭さ”が混じる。
サキが息を呑む。
「……来た……!」
白い光が走った。
炎の赤とは違う、刃みたいな白。
「〈光刃・第三級〉――展開」
レアの声。近い。
ハレルが反射で振り向きかけて、止めた。
――見るだけで、時間が奪われる。
でも、視界の端で分かる。
廊下を切り裂いたあの光。あれが、今ここに来た。
サロゲートの黒い目が、鎖の隙間から笑った。
「……あ。もう一人、来た」
その“嬉しさ”が、嫌だった。
リオの意識が一瞬だけ、背後へ逸れた。
(レア――!)
その瞬間。
サロゲートの胸の板が、カチ、と鳴った。
熱が爆ぜる。
「〈炎輪・第二階位〉」
火が“内側”から噴き上がった。
鎖を焼くんじゃない。
鎖の周りの空気を焼いて、溶かして、無理やり外す。
ギン、と金属みたいな音がして、鎖が弾けた。
上半身の拘束が、乱暴に剥がれる。
「……ほら。外れた」
サロゲートが首を鳴らす。
そして、真っ黒な瞳がハレルのバッグへ戻る。
レアの足音が近づく。
光刃の白が、炎の赤に混じって揺れた。
挟まれる。
前に炎と黒い瞳。後ろに白い刃。
ハレルの喉が乾いた。
サキの手が、さらに強く掴んでくる。
(このままだと――)
その時、サキのスマホが震えた。
震え方が、今までと違う。短く、鋭い振動。合図みたいに。
画面が勝手に点く。
《全員下がれ》
たった一行。
サキは一瞬固まって、次の瞬間には声を張り上げていた。
「みんな、下がって!!」
叫びは震えていた。けれど、命綱みたいに真っ直ぐだった。
ハレルが反射でサキを庇う位置に入る。
アデルも、リオも、隊員も――
“今の言葉”を聞いた瞬間、同じ種類の危険を察知した顔になる。
ノノの声が、イヤーカフから飛ぶ。
『今の、こっちにも来た……! 座標が一瞬、“逆向き”に滑った。嫌な滑り方』
リオが歯を食いしばる。
(これは魔術じゃない――)
地面に、青白い円が浮かんだ。
門前の石畳。炎の影の下。サロゲートとレアの足元。
魔法陣みたいな円。
でも、模様が違う。花でも紋でもない。角張った線。四角い区切り。
“文字”みたいなものが、円の上を流れた。
青白い光が、二人の足首に絡みつく。
次に、膝。腰。胸。肩。顔。
サロゲートが、目を見開いた。
真っ黒な瞳の奥で、“子ども”みたいな無邪気さが一瞬だけ剥がれる。
多重の声が、絡み合いながら乱れた。
「……え? なにこれ。ボクたち、これ知らな――」
「――待って待って、これ、違う層だ」
「器、器、器を――」
声が重なって、どれが本音か分からない。
ただ一つだけ、確かに混ざる。**焦り**。
レアが光刃を振る。
白い刃が、青白い文字列へ走る。
――切れない。
刃が触れた瞬間、文字列が“上書き”されるみたいに増えた。
レアの腕にまで、青白い文字が走る。
「……っ」
レアの表情が、初めて崩れる。
怖いのは、恐怖じゃない。
“思いどおりにならない”苛立ちが、その顔を歪ませること。
「……誰の、仕込み……?」
レアが低く吐き捨てる。
答えはない。文字列が答えの代わりに増えるだけだ。
サロゲートが笑おうとする。
無邪気な笑い。いつもの調子。
でも声が、途中で途切れた。
青白い文字列が、喉元まで覆っていく。
「ボクたち……器を……貸して……」
言葉の最後が、消えた。
魔法陣が“落ちる”みたいに沈む。
サロゲートとレアの足元が、床じゃなくなった。
穴じゃない。白い画面に吸い込まれる感じ。
アデルが、咄嗟に結界を上書きする。
詠唱が短く切れる。
「〈大結界・第一級〉――“境界を閉じて”!」
膜が門前に重なる。
“吸い込み”がこちらへ波及しないように、押さえ込むための反射的な手。
隊員がハレルとサキを後ろへ引く。槍の柄が肩を支える。
リオは、足を止めない。
目は二人から逸らさない。
逸らしたら、何かを“確定”してしまう気がした。
サロゲートの体が、文字列に飲まれて輪郭が崩れる。
レアも同じように、青白い線に絡まれていく。
レアが最後にハレルを見た。
憎しみでも怒りでもなく、
ただ――「これを誰がやった?」という目。
その目のまま、消えた。
炎が、ふっと弱まる。
赤い壁が崩れ、熱が引く。
門前に残ったのは、焦げ跡と、青白い残光の粒だけだった。
ハレルは息を吐いた。
吐いたはずなのに、胸がまだ締まる。
サキのスマホの画面は、真っ黒になっている。
通知だけが、残っていた。
《全員下がれ》
(今のは……誰だ)
(セラか? 父さんのアプリか? それとも――)
答えは出ない。
ただ、助かった。今はそれだけ。
アデルが門を見る。炎が消えたぶん、門の向こうがはっきり見える。
医療棟の白い屋根が、まだ遠い。
リオがハレルを見た。
マスクの奥の声が、少しだけ震えている。
「……急ごう。今のうちに」
背中の皮膚がまだ痛い。
消えたはずの切っ先が、いつ戻ってきてもおかしくない痛み。
――その時。
門の外縁、森の影が、ふっと揺れた。
さっきまで“木”しかなかった場所に、輪郭が増える。
枝の影から、一人の男が歩み出る。
フードでも仮面でもない。
ただ、森に溶け込むように立っている。
視線は、まっすぐハレルのほうへ――いや、門前の“起きた現象”へ向いていた。
ハレルの喉が鳴る。
見覚えがあるようで、確信が持てない。
胸元の主鍵が、嫌なほど静かに熱を持つ。
男は何も言わない。
言わないまま、指先だけを小さく動かした。
――次の瞬間、サキのスマホが、もう一度だけ短く震えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・中心部・石造建物内】
白い円が、ひときわ強く脈打った。
影が、円の縁にかけていた細い“指”を引っ込める。
爪が石を削る音が、途中で止まった。
次の瞬間。
円の内側に、青白い文字列が走った。
壁に投影されたみたいに、短い線と四角が流れる。
「……今の、何だ」
城ヶ峰の声が低い。
木崎がカメラを構えたまま、唾を飲む。
「文字……? プログラム……?」
日下部がノートパソコンを抱え、画面を睨んだ。
顔色は悪いのに、目だけが鋭い。
「……向こうで、何かが“切り替わった”」
日下部の声が掠れる。
「引っ張る向きが……変わった」
白い円の脈が、一拍だけ落ち着く。
さっきまで“開こう”としていた感じが、引っ込む。
特殊部隊員が息を詰めた。
「……今なら、進めるかもしれません」
城ヶ峰は短く頷く。
「行く。中心を押さえる。――今の変化の理由も、そこにある」
木崎がカメラを握り直した。
森の奥が、まだ唸っている気がする。
白い円は、静かになったふりをしている。
でも、分かる。
これは終わってない。
ただ、ページがめくられただけだ。