これはどうやら待ちの態勢のようだ。
有夏が何か言うまでこの得体の知れない圧が弱まることはあるまい。
「うぁ……な、何かの発売日だっけ」
「………………」
「うん、違うな。えっと……何かの祭りの日? アレか、ハロウィンか。それか生誕祭」
「ハロウィンっていつの話だよ。生誕祭って何なのそれ……?」
「ア、アニメか何か? 推し的な? 誕生日会……?」
──違うよ。
小さな声でそう返されて、有夏は早くも万策尽きたというふうに両手を広げてみせた。
目の前で、幾ヶ瀬の大袈裟なため息。
「そうだよね。有夏はドラクエの発売日は覚えてても、俺の誕生日は忘れる人だもんね」
「いやいや、ドラクエは別格だろうが。 あ、誕生日なんだ。オメデトー。よし、祝いの品がないからリンゴをやろう」
幾ヶ瀬が剥いたウサちゃんリンゴを当人の口に突っ込んで、有夏は白々しく拍手した。
「うーん、シャキシャキしておいし……って」
──違うよ。
またもや小さな声で否定されてしまった。
「うん、違うよな。うん……」
明らかに面倒臭くなったようで、またベッドに横になる有夏の腰を、幾ヶ瀬が強引に両腕で抱え込む。
「駄目だってば。起きてお祝いしようねっ!」
「ヤだよ。だから何の祝いだよ」
「まぁ、おいおい思いだそうねっ!」
「イヤだ。有夏は祝わん」
「まぁまぁまぁ」
寝かせてたまるかと、床に引きずりおろすと、有夏は抵抗なくズルルとベッドから這い落ちた。
ぼーっとしたままリンゴに手を伸ばすその姿に、幾ヶ瀬は再びため息をつく。
「本当に覚えてないんだ? 今日は2人の初チュー記念日だよ」
「は?」
有夏が横目で幾ヶ瀬をチラ見する。
その表情は強張っていた。
「え、なに? はつちゅ…………うっわ、キモいんだけど?」
「何で!? 大事な日じゃん!」
「いやいや、キモイキモイ。んなこと、いちいち覚えてんのかよ。キッモ!」
思いきり否定しながらも、幾ヶ瀬が作ったちりめんじゃこ入り玉子焼きを頬張っている。
心外であるという顔を作りながらも、幾ヶ瀬はマグカップに紅茶をなみなみと注いだ。
「俺、カードとか銀行の暗証番号もその日付にしてるけど?」
「へ、へぇ……推察されにくくていいんじゃねぇの?」
有夏、今度はおにぎりに手をのばす。
がぶりと一口喰らいついて、にんまりしたのは具がサケだったかららしい。
「ひどいよ、有夏。俺は1ヶ月前から楽しみにして。大事な日だから有給とって、一緒にお祝いしようって……」
「何てもったいない有休の使い方を……!」
2つ目のおにぎりをモグモグ食べながら、有夏がちらりと幾ヶ瀬を見やる。
「じゃあ、お祝いはゲームの新作か漫画の大人買いか。あるいはフィギュア。あるいはグッズ。思い切って、有り金全部課金につぎ込むという手も……」
「有り金全部使ってたまるか! それ全部有夏の欲望じゃない。そもそも2人の記念日だよ? 有夏、分かってるの!? 思い出になるような何か……」
「あー、分かったよ。んじゃ新型スイッチ買おう」
「何のスイッチ?」
おにぎりの3つ目にかぶりつきながら、有夏は少々呆れたように目を細めた。
「ニンテンドー様の新型Switchだろうが。家の中でもできるし、外にも持ち出せるやつの新型。まさか知らねぇとか? 画面が大きくなって、あといろいろ良くなったらしい。すごく良くなったらしい!」
曖昧な情報を饒舌に喋る有夏を、半眼を閉じた幾ヶ瀬が眺める。
「有夏、外出ないからいらないじゃん」
「うっ……」
【つづきは明日更新です】
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