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一時間目終了のチャイムが鳴り響くまで、シモフツ先輩は頭を抱えたまま、顔を真っ青にして黙りこくっていた。
というより、口封じの魔法を掛けられたまま、三十分近く放置された形だ。
わたしはまだ特に魔法を掛けられたわけではなかったから良かったけれど、やはりあの楸先輩には関わらないほうが良さそうだ、一刻も早くこの場から出て行こう、そう思ってカウンセラー室のドアへ急いだ。
けれど、そのドアには鍵が掛かっていて、わたしが魔法を使って鍵を開けようとしても、全くビクともしなかった。
どうやら楸先輩は、わたしたちを完全にこの部屋に閉じ込めてしまったらしい。
大きくため息を吐いて、わたしは仕方なくカウンセラー室の中をただただ三十分間、ふらふらと歩き続けた。
「――」
やがて戻ってきた楸先輩は、むすっとした表情のまま、無言でドアを開け、スタスタとシモフツ先輩の方へ歩み寄ると、
「……反省しましたか?」
思いっきり顔を近づけて、頬を膨らませて見せる。
シモフツ先輩はコクコクと何度も頷き、それを見た楸先輩は満足したように、「よろしい」と口にして、口封じの魔法を解いてあげた。
それからわたしのほうに振り向いて、
「ごめんなさい、わたしも大人げないことをしてしまいました」
と深々と頭を下げる。
「あ、いえ……」
どう答えればよいものか悩むわたしに、楸先輩はゆっくりと顔を上げると、
「また、どこかでお話ししましょうね」
にっこりと微笑み、シモフツ先輩の腕を引っ張って無理矢理立たせて、
「さぁ、行きますよ!」
「は、はい――」
憔悴しきったような表情のシモフツ先輩を引き連れて、カウンセラー室から出て行ったのだった。
わたしは何が何やら、どうしてこんなことに巻き込まれてしまったのかと後悔しつつ、少し間をおいてからそのあとに続き、自分の教室へと足を向けた。
二時間目の家庭科は移動教室で、わたしの教室にはもうすでに人ひとり残ってはいなかった。
わたしは大急ぎで鞄を机にひっかけ、教科書やノート、ペンケースを抱えて教室を飛び出して、
「――おっと!」
「きゃっ!」
廊下を歩いていた、ひとりの老人とぶつかった。
バランスを崩して尻もちをつきそうになった私の腕を、その老人は慌てて引っ張り支えてくれる。
「大丈夫かい?」
「あ、はい……」
その老人に、わたしは見覚えがあった。
現代国語の馬屋原先生だ。
もうそろそろ引退を目前とした白髪、眼鏡のそのおじいちゃん先生は、独特の低温ボイスのせいで、『真面目に授業を受けるのが絶対に不可能なほど眠りへ誘う』ことで有名だった。
「気を付けてね」
馬屋原先生は微笑んでわたしに注意する。
「は、はい、すみませんでした」
うん、と一つ頷いて、馬屋原先生はすたすたとわたしの横を通り抜けて、隣の教室へとその姿を消した。
わたしも小さくため息を吐くと、家庭科室へと急ぐべく一歩踏み出したところで、
「あれ?」
すぐ足元に、破り取られたノートの切れ端みたいな紙切れが落ちていることに気が付いた。
なんだろう、気になる。
わたしはその紙きれを拾い上げ、矯めつ眇めつする。
五センチ角程度に切られたその紙には、
『夢』
『悪魔』
『隠蔽』
そして――
「これ、ヒサギ……?」
その片隅には、漢字で『楸』という文字が書きこまれていたのである。
脳裏に浮かんだのは、楸先輩のあの不敵な微笑み。
嫌なものが思い浮かんだとばかりに、わたしはそれを払うべく頭を振り、もういちどそのメモ書き?に目を通す。
夢、悪魔、隠蔽、楸――やはりどんなに目を凝らしても、その四つの単語しか書かれておらず、その意味するところも図りかねた。
いったい、誰がこんなメモを――もしかして、馬屋原先生?
けれど、その筆跡は馬屋原先生が黒板に書く文字とは遠くかけ離れた丸文字で、たぶん、別の誰かが書いたものであろうことは間違いなかった。
字の感じからして、たぶん、これを書いたのはどこかのクラスの生徒なんじゃないだろうか。
いったい、この四つの文字にはどんな意味が……?
夢? 悪魔? 隠蔽?
……怪しい、怪しすぎる。
「うん、なかったことにしよ!」
わたしは独り言ち、その紙片をはらりと廊下にぱっと落とす。
廊下を抜けていく風にふわりと乗った紙切れは、そのままわたしから遠ざかっていって。
キンコンカンコーン、二時限目始まりのチャイムが鳴り響いた。
「やばっ!」
わたしは言って、大急ぎで廊下を駆けたのだった。
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