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ガレイン半島最大の湖、神々が巻土重来を期するべく持ち込んだ最古の兵器で穿ち貫いたという裂け目湖を、ユカリたちは渡す者の操る舟に乗って渡っていた。目指すはガレイン連合の一角、セルマンリー王国の旧王都があったという島にあるセルマンリー山の麓だ。底の見えない暗い湖はまるで侵入者を拒むように荒れ、波立っているが、この季節はいつもこうなのだと舟を貸してくれた地元の漁師は言っていた。
ユビスが乗れる大きさの舟は借りられなかったので保証金を兼ねて預け、レモニカとグリュエー、除く者は留守番することになった。
「最早誰もいない神殿遺跡を拠点にしているのならワタシの魔法で焼き尽くせばいいね」揺り籠のような舟の上で、試す者にかわる者たちの拠点について話させた後、ベルニージュはそう言った。「どうせ罠が仕掛けてあるんだろうし、丸ごと燃やすのが一番だよ」
「そういう訳にはいかないだろう」とソラマリアが否む。「封印は燃えないかもしれんが、生身の人間を憑代にしている可能性はある。我々に手出しさせないように人質としているかもしれない」
ソラマリアは同意を求めるようにユカリの方を見る。
「そういうことはしない気がします。少なくともかわる者は。あ、別にベルの丸焼き作戦を支持するわけじゃないですけど」
そもそもベルニージュは本気で言っている訳ではない。問題は救済機構の拠点がそうだったように、当然使い魔たちの魔術によって防衛されているはずだということだ。試す者に聞いているので、どの使い魔がいたのかをユカリたちは把握しており、対抗策は考えているが、その後増えている可能性もある。
「それならどうする?」とベルニージュが試すようにユカリとソラマリアに問いかける。
「深奥は難しいよね? 前にも聞いたけど」とユカリは確認する。
「ノンネットに会おうとした時ね。難しいは難しいけど、あの時より使い魔は増えたからかなり時間短縮はできる。長くても丸一日ってところかな」
「現実的だな」そう言ってソラマリアは頷く。「深奥を、どう使えるのかよく分からないが」
ベルニージュも呼応したように頷いた。
「うん。ソラマリアさんは深奥の歩き方を知らないし、魔法少女に変身できないユカリが潜るのも極力避けたい。つまり深奥を利用できるのはワタシだけ。そういう策を練らないといけない」
正直で直截的なベルニージュの意見をユカリとソラマリアは素直に受け入れる。
昼を過ぎた頃、ユカリとソラマリアは、慎ましやかな陽光の僅かに照らす鬱蒼と茂った森を越え、岩がちなセルマンリー山の麓に座す神殿遺跡の見えるところまでやってくる。往時の威容は見る影もないが、信仰と崇敬を失ってなお神聖さと荘厳さの片鱗を感じさせる佇まいだ。今や風と梢の擦れる音や虫の鳴き声、遠くに聞こえる波の音こそが姿なき信徒の祈りの声なのだ。遺跡の周囲は開けていて、僅かな遺構と古の工学に従って緻密に敷き詰められた石畳のお陰で森の浸食は抑えられていた。
ユカリたちが木立に身を隠しながら朽ちた神殿を観察し始めると、同時にこちらに真っすぐに歩いてくる男を見出した。
「このままでは見つかるな。移動するか」とソラマリアが秘密を共有する時のように囁く。
「いいえ、もう見つかってるみたいです」ユカリはため息混じりに言った。
男が合図するように両目、続いてユカリたちを指さした。ユカリたちも観念した敗残兵のように姿を現し、しかし警戒を怠らず、男を迎える。
「探る者さんですか?」男と向かい合うとユカリは尋ねた。
中肉中背中年の、不自然さのない男だ。今までに見てきた使い魔の中でも最も自然に人間の姿をしているように思える。季節と土地柄を示す服装や特定の階層を想起させる振舞いは、いかにもこの地の人間のようだった。あまりに自然過ぎる故に不自然だったのだ。
「よく分かったな。あんたらはユカリとソラマリアだな。ベルニージュはどこかで様子見ってところか?」
「どうでしょうね」とユカリははぐらかしたが、探る者は意にも介さない様子だった。
「まあ、来な。見たところ争いに来たわけじゃないんだろう?」
「どうしてそう思うんです? 私は魔導書を集めているんですけど」
「別に奪うだけが手段じゃないしな。それに、そのつもりなら初めから使い魔を貼り付けておくだろう?」
「どこかに忍ばせているのかもしれないだろう」ソラマリアが師が弟子に教え諭すような声色で言った。
「そうだな。可能性を挙げればきりがないが、俺の仕事は可能性を絞ることなんでな」そう言うと探る者は訪問客の案内でもするように遺跡の方へと歩いていく。
ユカリたちも巣穴の外の穴熊のように注意を怠らずに後を追った。
廃神殿で待ち構えていたのはかわる者ではなかった。他の使い魔たちの姿もない。そこにいたのは黒い衣の信仰者たち、アンソルーペ率いる焚書機関第四局の焚書官たちだった。
ユカリはじりじりと一歩分下がり、逆にソラマリアは一歩前に出て剣の柄に手をかける。
燃える角の羊の鉄仮面を付けた首席、アンソルーペを中心に何人かの焚書官が取り巻き、ほとんどは主を失って彷徨う影のように神殿のあちこちに散らばっている。何か探しているらしいことは容易に察せられた。
「警戒しなくても良いぜ。してもいいが。お前らもかわる者を探しに来たんだろう?」とアンソルーペに問われる。
「そうです。ってことは――」
「オレたちの任務もそれだ。まあ、白紙文書も欲しいんだが」アンソルーペにそう言われてユカリは合切袋を体に寄せる。「まあ、だが最重要任務ではないがな」
ユカリは周囲を眺め、確かに拠点だったらしいことは確信する。律儀に瓦礫を端の方に寄せているし、焚火の黒く汚れた跡もある。使い魔たちに生活の営みがどれくらい必要なのかは分からないが、長い間この地を利用していたのは確かなようだ。
「どうやら蛻の殻だったみたいですね」ユカリは率直に感想を述べる。
「いいや。そうじゃない」とアンソルーペは言って、副官のドロラとこの遺跡であったことを話した。
任務のためにこの島にやって来てかわる者派と交戦し、しかし負け、気を失わされ、気がついたら使い魔は一人もいなくなっていた、という訳だ。
「そうですか」とユカリは気のない返事をし、改めて周囲を窺う。
確かに焚書官の誰もこちらに注目せずに捜索を続け、背後に回り込む者などもいないが、ユカリもソラマリアも警戒を怠らない。
どうしてそんな話を聞かれてもいないのにわざわざ? という言葉を呑み込む。
「何だ? 疑ってるのか?」と言った羊の鉄仮面の覗き穴の向こうにある瞳は見下すような冷たい輝きを放っている。「まあ、信じて欲しい訳でもないが」
「それはまあ。機構が私の命を狙っていることには変わりありませんし」とユカリもまた冷たく、突き放すように答える。「それに、そもそもかわる者に負けたのに、使い魔を自由にされていない、まだ所持しているっていうのはおかしいですからね。どこから嘘なのか知りませんが」
「使い魔? 何の話だ? オレたちは一枚も預かっていないぞ」
いつの間にか探る者がいないことにユカリは気づく。
その直後、遺跡から少し離れたところで使い魔たちが実体化した。遺跡内のユカリたちから全貌は見えないが、遺跡を取り囲んでいるらしいことは察せられる。封印を貼った石ころや石畳か何かを引っ繰り返して置いておいたのだろう。それも全員が本性の姿だ。
「くそ! 舐めやがって! オレたちは囮かよ!」とアンソルーペが怒鳴る。
「そういうことだよお! 魔導書の一枚も持ってない連中なんて恐るるに足らずなのさ!」そう言ってかわる者が包囲する使い魔たちの間に現れた。魔法少女の格好ではないが、ユカリと違って背格好は変わらない。
ただし、かわる者だけは他の使い魔と違って、虚空から抜け出してきたかのように姿を現した。それはまるで、深奥から上がって来たかのようだった。
「どうかした? ラミスカ。まるで深奥から出てくる人を見るのは初めてって顔をしてるね」
そう言うとかわる者が伸ばした右手が消え失せ、次に現れた時には魔法少女の魔導書『わたしのまほうのほん』を掴んでいた。
「どうやって? 魔法の混沌が必要なはずなのに」ユカリは信じられないものを見た、という風に言葉を紡ぐ。
「深奥が別の空間だと思っている初心者だからそんな風に考えちゃうんだよ」
ベルニージュが見聞きしたなら大いに狼狽えたことだろう。
「かわる者であることが関係しているんだね?」
「そういうこと。人間と違って私たちはそれについてよく知っているんだよ、ね」
ユカリとソラマリアは使い魔と焚書官たちの中間地点、神殿遺跡の内とも外とも言えない場所でにらみを利かせる。ソラマリアは剣を抜き、ユカリは白紙文書を掴み取った。
「私たち? 誰のこと?」とユカリは問うがかわる者はそれには答えない。
「私と話し合いでもするつもりだった? だとしても使い魔は白紙文書から出しておくべきだったね。てっきり周囲を囲んでいるのかと思って探る者に探させたのに、一人もいないから拍子抜けしちゃったよ」
「探る者もかわる者も自分の力を過信してるんじゃない?」とユカリは不敵な笑みを浮かべて言った。
それが合図だったかのように、遺跡を囲むかわる者たちを囲むように使い魔たちが現れた。そして狼狽えているかわる者を前に、ユカリとソラマリアの姿が消える。