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#ワンナイトラブ
数少ないワードなのにその情報の大きさから、一気に脳内がそれで埋め尽くされる。
「え、部長鬼!」
「クリスマス挟んでの出張とか、穂波さん彼氏持ちなのに酷すぎます!」
私よりも先に、他の声が耳に浸透するので止まった脳内を解凍させる。
「上からの指示だからなぁ」と、困り果てる部長に向かって「平気ですよ」と自分にも言い聞かせるように頷く。
……そっか、結局クリスマスも、最初から一緒に過ごせなかったんだ。
神様に言われてるみたいだ、諦めなさいって。
…………そっか。
ストン、その事実を受け止めていれば、鼻の奥がツンと冷たい空気を吸い込む。
「穂波さぁん、良いんですか?」と、顔を歪ませる橘さんを宥めるように「はい」と無理して笑ってみせる。
なのに橘さんは悔しそうに口を曲げる。私の笑顔はやっぱり変なのだろうか。
「穂波はミーティングルームに来るように」
出張の打ち合わせなのだろう、部長の声に頷きその背中を追いかけた。円型のテーブルにつくと、開口一番部長は「悪いな、穂波」と謝罪の言葉をくれた。
事務課の理不尽な残業にも耐えれたのは、部長の存在があってこそだと思う。課長は部下を庇わず自分の保身に回る人だけど、部長は愛らしいキャラクターに似た体型で癒し系なのだ。見た目は完全におじさんだが。
「昨日の夜急に聞かされてなぁ、若いし、予定もあっただろうに」
「平気です、ありがとうございます」
意を汲んでくれる言葉にお礼を述べると、頭に浮かぶ疑問を消化させたくて身を乗り出しては「それで、どちらに」と尋ねる。
すると部長は腕を組んで眉根を顰めると、顔に乗る年相応の皺を更に深くさせた。
「それがなぁ、急だから俺も詳しくは聞かされてなくてな。マーケの常葉と二人でって話だから、常葉に……」
「え、常葉くん?」
私の耳がその名前を聞き逃すはずがなかった。
常葉くんと二人で出張……?
プラスされた情報は、再び私の頭を占領する要因となるのは容易い事だった。
「なんだ、不満か?」
私たちの事情など露も知らないだろう、部長は不思議そうに目を丸くさせた。
「いえ、なんでも」そう慌てて否定して、急に出された指令を噛み砕くように身体に浸透させる。
……常葉くんと、二人で行けるんだ。
すぐに逸る心を何とか落ち着かせて口を開いた。
「男女二人って、珍しいですね」
「穂波だったら、変な気も起こさないだろうし平気だろうってな!あ、彼氏居るのか、大丈夫か?」
これセクハラか?大丈夫か!と、自問自答する部長に対して、心の中で、その彼氏なんですけどね、と、返事を返して頷く。
「……仕事、ですので」
そうだ、これは仕事だ。
でも、クリスマスも結局一緒に過ごせるって事が不謹慎にも凄く嬉しくて、私の心は小さく踊る。
信仰深くも無いのだけど、きっとアラサーの私に情けを掛けた、神様からの贈り物だろう。
出張前は必ず定時上がりなので、例に漏れず私も定時を頂いた。
冬の出張は荷物が嵩む。前の家からスーツケース持ってこなかった私は、大きめのバッグに二泊分の荷物を何とか纏めていると、見兼ねた常葉くんが自分のそれに招いてくれた。
二人で旅行に行ったことがないから、急だけどちょっとした旅行気分も味わえるので、やっぱり私はすぐに嬉しくなって弾む気持ちを抑えて支度を済ませる。
「そういえば、常葉くんは出張のこと知ってたの?」
「まぁ、一応」
「なんで教えてくれなかったの?」
「……急に決まったから」
そっか、と、小さく頷いて再び服を袋に詰め込む。クリスマスの話もついこの前していたし、常葉くんでさえ急に聞かされたのだろう。
それにしても、出張は申請含め最低でも2週間前には聞かされるのが道理だったのに、何か火急の用事なのか。
私には何も知らされていないし、謎が多い出張だな。
準備も終わったので、ソファーに座る彼の隣にちょこんと腰を落として鎖骨の上に乗る宝石を指で摘んだ。
「二泊か、観光する時間あるかな」
天井をぼんやりと見つめて何気ない一言を零すと、常葉くんは私の肩に頭を乗せた。
柔らかな髪が首筋に当たって、それが最初は擽ったくて身を捩っていたのに、私の身体はもう彼の全部を受け入れる事が普通になっている。
「少しくらいなら、時間取れるかもね」
「そっか、少し楽しみだな」
「そうだね」
する、と、指が絡まると私たちの間だささやかな体温が溶け合う。それだけで幸せで、飽きずに私の胸は音を鳴らす。
「ねぇ、…………樹?」
少し震える声を吐き出せば繋いだ手に力を込めて、「何?」と受け止める。
「出張終わったら、少し話せる?」
「良いよ、俺も依愛に話あるから」
まさか、そんな返事が返ってくるとは思わず、顔を離して「…………え、何?」と、間抜けに尋ねる。
「出張終わったら、ね」
「そうだけど、気になる」
「今言ったら、依愛も言う?」
常葉くんは意地悪に私を見上げる。
「言ってみ」
更に挑発的に口角を上げるので、うろうろと視線を泳がせた。
「お、終わってからで、良い」
観念して力なく言うと、彼は返事の代わりに唇を自分のそれで覆った。
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