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次の日、常葉くんの車で空港へ向かい、彼がフロントで荷物を受け渡してくれる間に会社へ出勤の電話を入れた。
その電話は受付の柿原さんに繋がるので、関係を知る彼女は「楽しまれてください」と柔らかな声でこっそりと言葉をくれた。
この出張が終わってあのマンションに帰りついた頃、私たちの関係が変わったとしても、折角の機会だ。
うんと楽しもう。
常葉くんはフライト中もタブレットPCで何かやり取りをしていて、殆ど話さなかったから、絵の具をひっくり返した様な青にぷかぷかと浮かぶ、作り物みたいな雲を終始眺めていた。
それでも偶に彼を一瞥すれば、その瞳がふらっと私に落ちて「暇?」そう言って、肌触りの良いブランケットの中に潜りこんだ大きな手のひらは私を捕まえ、その手を繋いでくれた。
「暇じゃなくなった」
「やっすい暇」
「うん。それでいいの」
窓は未踏の土地の、知らない街並みを映すようになれば図らずも胸には焦燥感が宿る。
…………これを最後の思い出にしよう。
放っておくと迷子になりそうな私を横目に、空港を出ると常葉くんは迷うことなく足を進めるので素直に隣を歩く。
彼はスマホで偶に何かを確認しては慣れたように地下鉄を乗り継いでいく。
対する私はまさに、ここは何処?状態だ。
そろそろ目的地の近くなのだろうか、如何せん場所も地理も分からないので、いくら肝が据わっている(イメージを持たれている)私だって不安を覚えて、重たい口を開く。
「ねぇ、結局何をしたらいいの?」
「俺が喋ったこと、メモしてたらいいよ」
「分かった。……あ、秘書みたいな?」
「まぁ、そんなもん」
秘書課に異動も控えているし、ちょうどいい。寧ろ初めてが常葉くんで良かったかもしれない。
思えば、常葉くんは色んな初めてをくれた。
弱さを全部さらけ出して、受け止めてくれた。
クズ男にしちゃう私に凄く引いてたし、辛辣さも今では懐かしい。
年下の男の人をこんなに好きになったのも初めてだ。
1度だけ何かに拗ねて、久々に寝袋で寝たら「捕まえやす」とか言ってそのまま担がれてベッドに連れていかれたなぁ。……懐かしいなぁ。
常葉くん以上に好きな人、出来そうにないから暫くは恋愛お休みにしたいな。
……御局様まっしぐらだけど、仕事も嫌いじゃないから、それでもいいかもしれない。
やがてビル群が建ち並ぶビジネス街へ出れば足は真新しいビルへと向かう。
「ここ?」
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#ワンナイトラブ
「早く行こ」
「え、ちょっと」
何故か急くように手を引かれてドアを潜ると、二人分の足音がフロアに響いては追い掛ける。
エントランスへ向かうと、一人の女性が「お待ちしていました」と待ち受けてくれるので素直に後を追う。
割と最近できたのかな、真新しい会社だなぁ。
キョロキョロと見渡していると、「おっ」と、颯爽と歩く男性がこちらに向かって手を振るので、すぐに姿勢を正した。
「久しぶり」
そう言って彼に向かって屈託なく笑う爽やかな男性。見た感じ、四十代……だろうか、ハッキリとした目鼻立ちのその人は仕立ての良いスーツを身に纏っているので確実に目上の人だろう。
「お久しぶりです。お元気でした?」
「元気元気!へぇ、彼女連れかぁ」
「え、あ、ち、違い」
「からかわないで下さい」
「ごめんごめん。じゃーね、ごゆっくり」
嵐みたいにその人は立ち去るので、「さっきの方は?」と小さく耳打ちする。
「ここの専務」
「専務?随分気さくな方ですね」
入社三年目なのに、こんな大きなビルに構える取引先の専務とも仲が良いんだ。
やっぱり、常葉くんとは最初から住む世界が違うな。