少し眠るだけと思っていたのに、シェナが先に起きているのも、魔王さまがすでに帰ってしまわれたのも、気付かないまま寝こけていたらしい。
といっても、朝食が運ばれるにはまだの時間だった。
ネグリジェのまま気だるい体を起こすと、シェナがいつも通りの可愛らしい笑顔で、おはようございますと言ってくれた。
それがもう、一緒にぎゅっとして寝ようねと言ったにも関わらず……という自責が、胸に深く突き刺さる。
こらえきれなくなって、すでに身支度を整えてお茶を淹れてくれていたシェナに、私は昨夜のことを正直に話して謝った。
「え? 別に構わないですよ? なぜお姉様が謝罪をなさるのですか?」
小首を傾げて、むしろそれのどこがいけないのかと言う。
「え、だって……」
「お姉様は魔王様のものですから。魔王様がお求めの時は、私に気遣う理由などひとつもないのです。むしろ私は、魔王様に毎夜求められるお姉様を……誇りに思っています!」
途中から、何かこの子の性癖を垣間見たような気がする。
「ん? ていうか、なんで毎夜って知ってるの?」
「あ。……コホン。存じませんよ?」
いやいやいや、今思いっきり、毎夜求められるお姉様――ッッッて、言ったわよね?
「シェナ。理由を聞いても? もしくは、主として説明を命じた方がいいかしら」
「…………えぇと。私の体は元、白天の王と呼ばれていた大きなネコ、みたいな魔獣だったのですが……その、耳がすごくいいのです。なので、お姉様の嬌声が、いつも聞こえてくるので。お部屋も隣ですしね」
恥ずかしがっているのか、もしくはそれを話すことに高揚を覚えているのか、どっちともつかない桃色ほっぺのシェナ。
赤面なのか興奮なのか、この際、問い詰めてやろうかしら……。
「これからは、シェナのお部屋を変えてもらいましょうねぇ」
それに、隣の部屋は物置にして誰も泊まらないようにしてもらわなくては。
「い、いやです。少しでもお姉様の側で眠りたいですから、それだけはイヤです!」
こ、この子……心をえぐってくるわね。
「でも、きょ、嬌声を聞かれるのは……」
「大丈夫です。めくるめくキスをなさっているのだと、もう知っているのですから。何も気になさる必要はありません」
「それが気になるのよッ。……って、キス? だけ?」
ていうか、知ってるから大丈夫ですの思考って、なんなのよ~。
「ええ。きっと全身にチュッチュして、ずっとイチャイチャなさっているのでしょう?」
途中までは合ってる……けどまさか……その先を知らない?
ならセーフ……かしら?
「その、シェナって、いくつだったのかしら」
「死んだ時ですか? 十四です。拷問好きのクソブタ野郎にさらわれて、無残に殺されました。いつか……いつかお姉様のお役に立ちつつ、そういうクソブタ仲間どもをこの手で地獄に送れるのを、楽しみにしています」
ああっ! そういう質問に聞こえてしまったのか……。
「ごめん……。やなこと思い出させる聞き方しちゃって……」
今まで遠慮して聞いてこなかったのに、ここにきて無遠慮な聞き方をしてしまうなんて。
自分のデリカシーの無さが情けない――。
「いいえ。お姉様がずっと遠慮ばかりなさるから、良い機会なのでわざとお伝えしました。むしろ、もっと聞いてほしいです。知ってほしいです。お姉様にどれほど感謝しているのか、お優しいお姉様を、どれほど愛しているのか」
そう語るシェナは、お茶セットをナイトテーブルに置いて、私の前で跪いた。
「シェナ、なんでそんな――」
「お姉様のお人柄は、見ているだけでも分かります。お仕えできるのが本当に嬉しいです。だからこそ、私のことも知って頂きたいという想いが募りました。今語った無念も、お姉様をお護り出来る喜びに比べたら、些末なことになったのですよということもです。大好きです。お姉様」
そんなに想ってもらえるようなことなんて、してないのに。
「私もシェナのこと、大好きだけど……私、シェナに何かしてあげられたことって、あったかしら」
ある意味本当に、ネコ可愛がりして撫でていたくらいしか。
「そんなの決まっています。寄り添う心を、お持ちだからです。そんな人は、そうは居ないんですよ?」
そう言ってくれたシェナは、本当に満ち足りた笑顔を見せてくれている。
でも私自身には、特別寄り添っているようなつもりもなく――。
「あ、あんまり自覚ないなぁ……」
「ふふっ。そういうところがです」
「えぇ~? 例えば、どんな時がそうなの?」
と、聞くと――シェナは立ち上がり、私の目の前に人差し指をピンと立てた。
「例えば、ぎゅっとしながら眠ろうと約束してくださったのに、すぐに反故にしてしまいつつ、良心が痛んで寝起き一番に謝ってしまう所……とか?」
――グサリと刺されたような気持ちになった。けど、なぜかシェナは得意気で、そしていたずらを楽しんでいるような、はにかんだ笑みを浮かべている。
「や、やっぱり怒ってるんじゃないのよぅ」
ものっっっすごく、胸が痛い。
だけど、自分のしでかしたことだし……私も同じことをされたら寂しくて、ショックを受けるだろうから……根に持たれても仕方がない。
「怒っていませんよ? ただ、私も魔王様みたいに、お姉様とチュッチュスリスリして、たくさん甘えたいです。たまに、で良いので……。そしたら、一緒に眠る約束をまた破っても怒りませんから」
シェナは両手を組んで、祈るような仕草でそんな要求をしてきた。
やっぱり怒ってるじゃない……。でも、なんて可愛い怒り方なの?
あと、魔王さまは甘えてるわけじゃないわよ……。
「わかった……って、言いたいけど。シェナはまだ、子どもだからダメよ。そういうのは、大人になってからなの」
「シェナは子どもじゃないです。もう何でも知ってる大人なんですよ? だから、たまにはお姉様にチュッチュさせてください」
今、自分のことを名前で言った。やっぱり、普段はお爺さんに教わった通りにと思って、気を張っているに違いない。
「も~。ダメだってば。添い寝だけ。魔王さまとも昨日、約束したでしょう?」
「うぅ……。たしかに、魔王様とお約束しました……」
あぶない……私だけじゃ、いつか押し切られてしまう。
魔王さまとの約束にハッとなったシェナは、途端にしょんぼりとしょげてしまった。
(こ、心が痛むぅぅ!)
「……もう。それじゃ、朝ごはんまでぎゅーしましょ。こっちに来て」
十四歳まで生きていたと言ったけど、それよりももっと小さな、甘え足りない子どもみたい。
もしかしたら……攫われたのは、何年も何年も、前からなのかもしれない。そう考えたら、ちぐはぐな一面を持っているのも頷ける。
――私はベッドにもう一度横になって、隣に来るように促した。
「いいんですかっ?」
「うん。お詫びと、それから……いつも頑張ってくれてるご褒美よ」
「う、うれしいです……」
さっきまでとは違って、急にしおらしくなって、照れながら隣に来るものだから――。
「もうぅ。可愛いなぁ、シェナは。ほんとにほんとに、大好きよ」
シェナの体を抱きしめると、随分と細い。本当に私よりもずっと強いのかしらと、疑ってしまうくらいに。
護ってくれると言っていたけど、私が護ってあげなきゃって、やっぱりそう思う。
でも、胸はちょっと、発育がいいわね……。
「お姉様。一回だけ。一回だけ、ほっぺにキスさせてください。どんなのか……一回だけしてみたいんです」
うぶなのか、マセているのか……。
「しょうがないなぁ……一回だけよ。いい?」
「はいっ!」
――そのキスは、震えているような、私に遠慮しているような、本当に優しく触れただけのものだった。
「ふぅ……。私もこれで、もっと大人になりました」
顔を真っ赤に染めて、だけど、とてもすごいことをしたのだと誇るような、うれしそうな。
「フフフ。そうね。シェナはまだまだ、子どもだものね」
そう言うとシェナは頬をふくらまして、拗ねたそぶりで私の胸に顔を埋めた。
――ほんとに可愛い子。
あ、でも……結局、押し切られてしまったのでは?
……手強いわね。