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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
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「ねえ」
一花は、厚いガラスの向こうにいる水野から目を逸らさなかった。
「……その蝶って、誰かがつけてたもの?」
水野はしばらく一花を見つめていたが、やがて何か楽しいことでも思い出したように、くすくすと笑い出した。
「ゆらゆら」
一花の指先が強張る。
「きれい」
胸の奥がざわめいた。
つい先日、俊介の隣に立っていた牡丹。
彼女がわずかに首を傾けるたび、耳元では蝶のピアスが小さく揺れていた。
その光景が、嫌になるほど鮮明に蘇る。
一花は逸る気持ちを抑えながら、慎重に問いを重ねた。
「その人と……会ったことがあるの?」
水野は答えず、またゆらゆらと上体を揺らし始める。
「何か、話した?」
反応はない。
一花は一度息を整え、問い方を変えた。
「何か、約束したの?」
すると、水野の口元が嬉しそうに歪んだ。
「やくそくした」
一花は息を呑む。
「どんな約束?」
「じゃまなものが、なくなれば」
そこで言葉を切った水野は、何か楽しいことでも思い出したかのように目を細める。
「みんなしあわせ」
背筋を冷たいものが這い上がった。
あの時と同じだ。
以前の面会で、水野は笑いながら何度も叫んでいた。
『しあわせ! みんなしあわせ!』
そして、牡丹も言った。
『これで、みんな幸せになれます』
蝶。
約束。
邪魔なものがなくなれば、みんな幸せ。
ひとつだけなら、ただの偶然だと思えたかもしれない。
けれど、いくつも重なっていく言葉が、一花の中で同じ人物の姿を浮かび上がらせていく。
一花は水野をまっすぐ見つめた。
「……西園寺牡丹」
その名を口にした瞬間だった。
それまで落ち着きなく揺れていた水野の身体が、ぴたりと止まる。
一花の呼吸が浅くなる。
ほんの一瞬。けれど、見間違いではなかった。
隣の神崎も、水野の顔をじっと見据えたまま、わずかに目を細めている。
「西園寺牡丹と、会ったの?」
水野は答えなかった。
「ねえ、あの人と話したことがあるの?」
問いかけても、水野は一花を見つめたまま口を閉ざしている。
やがて、その口元がゆっくりと歪んだ。
そして何事もなかったように、また鼻歌を口ずさみ始める。
調子の外れた、幼い旋律。
ちょうちょ、ちょうちょ――。
一花の胸が大きく脈打った。
奈緒へ近づき、水野へ一花の情報を流させた三枝。
その三枝と密かに会っていた黒崎。
黒崎は、西園寺牡丹とともに神崎たちの過去に深く関わっている。
そして水野は今、牡丹を思わせる「蝶」と「みんなしあわせ」という言葉を口にした。
さらに牡丹は、火事が起こる前から俊介と関係を持っていた。
家が燃え、春子を失い、悠真は今も眠ったまま。
一花の生活は壊れ、最後には俊介との夫婦関係まで終わった。
その先で、俊介の隣に立っているのは――
「……西園寺、牡丹だ」
気づけば、声が零れていた。
神崎が一花を見る。
「全部……あの女が繋いでたんだ」
決定的な証拠はない。
水野の言葉だって、証言として成立するものではないかもしれない。
それでも、ここまで重なったものを、もうすべて偶然として切り離すことはできなかった。
一花の中で、これまで輪郭のなかった疑念が、はっきりとひとつの形を取り始めていた。
コメント
1件
第55話、読ませていただきました。水野の「やくそくした」という言葉と「みんなしあわせ」がリンクした瞬間、背筋が冷たくなりました。牡丹の存在がどんどん大きくなっていく感じがゾッとしつつも、一花の推理が確信に変わっていく描写がとても丁寧で引き込まれました。次が気になります……!