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第135話 光を閉ざす雨
【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下中枢】
白い部屋の低い唸りは、さっきより確実に大きくなっていた。
巨大な円柱型の演算装置――基盤塔の外殻を、青白い文字列の円が取り巻いている。
三重の主円。補助円。
そのどれもが、ゆっくりではなく、少しずつ速く明滅し始めていた。
《RETURN PATH:LOCKED》
《UNLOCK CONDITION:KEY SYNC /
LAYER STABILIZE / ANCHOR REDUCTION》
さっき拾った表示が、まだモニターの端に残っている。
日下部はノートパソコンを抱えたまま、別の画面へ視線を滑らせた。
輪の外周。
学園を中心に円状に並ぶ点。
そのうちのひとつが、さっきまで黄色だったのに、今は赤へ変わっている。
「……切り替わった」
掠れた声が漏れる。
城ヶ峰が即座に聞く。
「どこだ」
「都庁北側の導線に近い地点」
日下部が画面を指さす。
「行政区画寄りです。……“人を流す場所”に重なってる」
その瞬間、白衣の影が基盤塔の側面に沿ったまま、穏やかな声で言った。
「順番を間違えないでくださいね」
「壊すだけなら簡単です。戻すのが難しいんです」
隊員のひとりが歯を食いしばる。
ライトを向ける手に力が入る。
だが城ヶ峰は振り向かずに言った。
「撃つな。照らし続けろ」
白衣の影は少しだけ肩をすくめた。
その仕草まで、技術者じみているのが気味が悪い。
「賢明ですね」
「ここを雑に切れば、輪の張力が偏りますから」
日下部の喉がひくりと鳴る。
「……偏る?」
影は答えない。
ただ、基盤塔の赤く変わったランプを一度見上げ、それからこちらを見た。
城ヶ峰は短く決めた。
「ここでは止めない」
「記録だけ持ち帰る。今は“止め方”の方が先だ」
隊員たちの顔に、一瞬だけ迷いが走る。
敵の拠点を前にして、壊さず引く判断。
だが、今はそれしかない。
日下部はノートパソコンに表示を保存しながら言った。
「……木崎の読みどおりなら、順番がある」
「ここの基盤塔を落とす前に、向こうの条件を揃えないと」
「分かってる」
城ヶ峰が短く返す。
「輪の杭を抜くのは、“今すぐ”じゃない。“できる形”にしてからだ」
白衣の影が、初めて少しだけ笑った。
「ええ」
「手順は大事です」
その言い方が、神経を逆撫でした。
城ヶ峰は即座に端末を取り、限定回線を開く。
「全現場へ。基盤塔は複数、同型の可能性高い」
「勝手に破壊するな。記録と固定を優先」
「別杭起動の可能性あり。行政区画北側を警戒しろ」
一拍置いて、さらに続ける。
「影は強光で退く。曇天時は照明を切らすな」
通話を切った瞬間、基盤塔の足元の円が、一拍だけ大きく明滅した。
部屋の白が、冷たい水みたいに揺れる。
「下がる」
128
海の紅月くらげさん
城ヶ峰が言った。
「順路を逆に戻る。――ライトは切るな」
誰も逆らわない。
この部屋はまだ“答え”の場所じゃない。
“手順”を知らなければ、飲まれる場所だ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・都内/路上】
木崎は走りながら、城ヶ峰から来た短い報を読んでいた。
――《基盤塔は複数。勝手に破壊するな。順番が要る》
その文面だけで、地下の白い施設がどういう顔をしているのか分かる気がした。
匠の言葉とも噛み合う。
輪。
主鍵。
副鍵。
補助層。
順番。
木崎は息を整えずに次の写真を開く。
一般人の静止画。
ドラレコ。
防犯カメラ。
それらを追ううちに、若い警官の動線だけが不自然に浮き上がる。
駅前。
商業ビル脇。
バス乗り場。
避難所前。
「……誘導してやがる」
呟いた直後、通りの向こうで信号待ちの車列が崩れた。
巨大な黒い四足が、ビルの影からぬっと首を出す。
馬とも牛とも言い切れない輪郭。
体表の端に、青白い文字列がちらつく。
誰かが悲鳴を上げる。
木崎は反射でシャッターを切った。
そのあと、今度は車列と歩道の位置を見た。
(人の流れを切る場所に出てきてる)
偶然じゃない。
影も、定着体も、警官の顔をした異物も。
全部が“人をどう流すか”を知っている動きだ。
木崎は端末を握り直した。
「ならこっちは、逆に流れを読んでやる」
走りながら、次の避難地点の写真を拾いに向かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・昼】
体育館の中では、“朝の手順”が少しずつ日常の形になり始めていた。
窓際は明るく保つ。
ライトは一か所に集めず、分ける。
床の冷たい円には近づかない。
先生の指示を挟んで、人を動かす。
それでも、不安は消えない。
不安が消えないまま動けるようになってきた、という方が近い。
サキのスマホには、まだ途切れ途切れの文字列が残っていた。
《P……RIM……》
《…KEY》
《…SECOND…》
《…LAYER》
《…ANCHOR…》
さっきよりは少し薄い。
だが、消えてはいない。
ハレルは胸元の主鍵を握りながら、教頭と向き合っていた。
教頭の顔色は悪い。
だが、逃げる目ではない。
「雲賀くん」
教頭が低く言う。
「今の話をまとめると――ここを助けるには、学園だけ守っても足りないんだな」
ハレルは一拍だけ黙った。
それから、頷く。
「……はい」
「ここだけ閉じても駄目です。輪の外側で増えたら、また引っ張られる」
教頭が目を閉じる。
きつい現実だ。
だが、否定しても消えない。
ダミエが、床の縫い目を見たまま短く言った。
「……穴は保ってる」
「でも、外で薄い場所が増えると、ここもまた脆くなる」
先生たちの間に、静かな緊張が広がる。
そこへ、ノノの声がイヤーカフ越しに届いた。
『学園、聞こえる?』
『現実側、条件の断片がまた拾えた』
『“順番がいる”の、ほぼ確定』
ハレルがすぐ聞く。
「順番って、何から?」
『まだ全部は分からない』
ノノは早口になりすぎないように、言葉を選んでいる感じだった。
『でも、杭を一つだけ先に落とすのはまずい。たぶん輪の張り方が偏る』
『主鍵と副鍵、それから補助層が揃ってないと、“道”が裂ける』
サキがスマホを握る手に力を入れる。
「補助層って……お父さんたちの」
『その可能性が高い』
ノノが返す。
『まだ断定はしないけど、かなり近いと思う』
ハレルの中で、父の背中がまた強くなる。
見つけること。
戻ること。
止めること。
全部が、ばらばらじゃなくなっていく。
教頭が小さく息を吐いた。
「……なら、君たちは“ここを守る”だけじゃないんだな」
その言葉に、ハレルはすぐ返事ができなかった。
違う。
でも、守らないわけでもない。
アデルやリオが駅に出ている今、ここを崩せば全部が崩れる。
だから、学園は基盤だ。
そのうえで、外の輪も止めなければいけない。
ハレルはようやく言った。
「……ここを保ったまま、外を止めます」
「そのための順番を、今探してる最中です」
教頭は短く頷いた。
それ以上の言葉は要らなかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・昼】
昼前までは、まだ光が通っていた。
市場通りに薄く広がるイデールの光。
細い路地の入口に立てられた結界杭。
住民たちは、その“明るい筋”を頼りに動いていた。
だが、空が変わる。
最初は風だった。
屋根の旗が一斉に鳴り、通りの端の紙くずが舞う。
次の瞬間、雲が太陽を完全に隠した。
街の色が、一段落ちる。
「……あらあ」
イデールが空を見上げた。
その言葉が終わる前に、雨粒が落ちてきた。
一滴。二滴。
すぐに、通り全体を叩く雨音になる。
白い光の筋が、雨の幕の向こうでぼやける。
屋根の下や路地の暗がりが、さっきより深くなる。
その瞬間だった。
石畳の隙間、荷車の陰、閉じた店の軒下。
そこから黒い影が一斉に動いた。
猫影が三匹、四匹。
さらに人の形をした煤の塊が、雨の幕の中で立ち上がる。
朝よりも、明らかに輪郭が濃い。
住民の悲鳴が重なる。
「増えた!」
「こっちにも!」
イデールの班が即座に散る。
「北通り、灯りを切らさないでえ!」
「屋根の下、まとめて照らしてえ!」
のんびりした声のまま、指示だけが速い。
術師たちが詠唱する。
「〈光癒・第二級〉――『灯れ、祓いの光』!」
「〈光癒・第二級〉――『灯れ』!」
だが、雨が光を薄く散らす。
朝なら縮んでいた猫影が、今はすぐには引かない。
人型の影が、普通の声で言った。
「本日もよろしくお願いします」
次の瞬間、露店の木台を蹴り飛ばす。
果物が石畳に散り、住民たちが後ろへ雪崩れる。
イデールの顔から笑みが消えた。
「……だめねえ。押し返すだけじゃ足りないわあ」
両手を前へ出す。
今度の光は広くではなく、もっと濃く、もっと近い。
「〈光癒・第四級〉――『ほどいて、返して』」
白い槍みたいな光が、人型の影の胸を射抜く。
煤が一瞬だけほどけ、中に“人の形”が見えかける。
だが、完全には戻らない。
雨が続く。
影は増える。
イルダの街は、昼なのに夜の続きを始めていた。
【異世界・転移した駅周辺/ホーム・昼】
駅のガラス屋根に、雨粒が激しく叩きつけられていた。
さっきまでホームに落ちていた朝日の帯は消え、
光は鈍い灰色に変わっている。
それだけで、空気が一段悪くなる。
黒眼のサラリーマンの輪郭が濃くなる。
車両の中の黒眼の学生も、ハンマーを握る手にまた力を戻していた。
駅員の顔が青くなる。
「……まずい」
誰かが、誰にともなくそう漏らした。
リオはホームの端を見た。
ガラス越しの森。
その向こうにいた巨大影たちが、もう“待っている”距離ではない。
雨の中、黒い四足の影が前へ出る。
狼とも熊ともつかない巨体。
さらにその横を、猪に近い塊、馬や牛に近い影がぬるりと並ぶ。
駅の外周に張られていた簡易結界が、青く一瞬光る。
次の瞬間――
ドン!!
重い衝撃。
外壁が鳴る。
ガラスが震える。
「結界が……!」
同行の術師が叫ぶ。
「持ちません!」
二撃目。
三撃目。
狼型の巨大影が、正面から結界へ体当たりしていた。
雨に濡れた黒い体表の端々に、青白い文字列が走る。
ただの獣ではない。
影が獣の形を取った何かだ。
ヴェルニが舌打ちし、掌を前へ出した。
「〈爆風・第三級〉――『吹き飛べ』!」
風と炎が混ざった爆圧が、外の結界越しに叩きつけられる。
巨大影の体が一瞬だけ揺れる。
だが止まらない。
雨が火を削ぎ、爆裂の輪郭を薄くしていく。
「くそ……!」
ヴェルニの顔が歪む。
「雨の日に相性悪すぎだろ」
アデルの声が通信で飛ぶ。
『駅班、外壁から離れて! ホーム中央へ人を寄せる!』
『車両ごとに切る! 全部守ろうとするな!』
駅員たちが叫ぶ。
「ホーム中央へ! 走らないで!」
「車両のドア、開けるな! 勝手に動かないで!」
その時、外周結界がついにひび割れた。
青い膜に亀裂。
雨の向こうで、黒い巨大狼が牙を剥く。
四足の影たちが、今度は同時に踏み込んできた。
「来るぞ!」
ヴェルニが前へ出る。
その横にアデルの白い外套が並ぶ。
「〈大結界・第一級〉――光よ、駅前に“壁”を重ねて」
アデルの剣先から、淡い光の膜が何枚も立ち上がる。
だが、雨で輪郭がぼやける。
朝より脆い。
しかも外の巨大影だけじゃない。
売店の陰。
柱の裏。
停車中の車両の窓の向こう。
人型の影まで、雨で暗くなった構内にまた増えていた。
リオの背中が冷える。
外の獣。中の定着体。
同時だ。
「……最悪だな」
ヴェルニが低く言った。
その直後、ホームの外――森と駅舎の境目のさらに奥で、
一瞬だけ青白い文字列が縦に走った。
誰もまだ、その意味を知らない。
だが、雨の向こうで“別のもの”が近づいている気配だけが、はっきりあった。
【現実世界・都内/路上】
現実側でも、空が落ちてきていた。
昼だというのに、雲が厚い。
ビルの谷間が早くも夕方みたいな色になる。
そこへ、雨。
最初は細い。
だがすぐに舗道を濡らし、道路を黒くし、街の輪郭を曖昧にする。
木崎は足を止めずに走っていた。
カメラを胸に抱え、濡れた路面を蹴る。
レンズに雨粒がつく。袖で拭う。
拭ってもすぐにまた濡れる。
通りの向こうで、巨大な四足影が車列の間を横切った。
黒い輪郭。
馬とも牛ともつかない巨体。
雨で体表が滲み、かえって輪郭が掴めない。
「……増えてる」
木崎が吐き捨てる。
しかも人型の定着体まで、雨に紛れて動きやすくなっていた。
交差点の黒眼の男が、さっきよりも明らかに活発に動く。
OL風の定着体が、ビルの庇の下を伝って避難導線へ近づく。
サイレン。
怒号。
雨音。
その全部の中で、木崎のスマホが震えた。
城ヶ峰からだ。
『木崎、現場の明るさが落ちた。影の動きが強い』
「こっちも同じだ」
木崎は即答する。
「人型も四足も、雨で勢いが増してる」
『湾岸の基盤塔も一拍強く動いた』
城ヶ峰の声は低い。
『別杭起動の可能性が高い』
木崎は雨の中で目を細めた。
現実側も、異世界側も、同時に空が落ちてきた。
それが偶然とは思えない。
「……天候ごと動かしてるのか」
木崎が言うと、通話の向こうで城ヶ峰が短く返した。
『あり得る。少なくとも、影に都合のいい条件が揃いすぎてる』
通話が切れる。
木崎は交差点の脇にあるコンビニの軒下へ飛び込み、
そこで一度だけカメラのモニターを確認した。
若い警官。
銀髪の男。
黒眼の定着体。
雨の中の巨大影。
全部が一枚の街に同居している。
「……ふざけんなよ」
そう言って、また走り出す。
記録しないと、現実の方が先に負ける。
【異世界・転移した学園/体育館・昼】
体育館の窓に、雨粒が当たり始めた。
最初は誰も気づかなかった。
だが、窓ガラスを打つ細かい音が少しずつ大きくなる。
外が暗くなる。
体育館の中の明るさが、一段落ちる。
子どもたちが不安そうに顔を上げる。
「雨……?」
「え、昼なのに……」
ハレルは窓の外を見た。
森が黒く沈んでいく。
嫌な予感しかしない。
ダミエが床の縫い目を見て、短く言った。
「……よくない」
縫い目そのものはまだ保っている。
だが、体育館全体の明るさが落ちたことで、穴の周囲の冷気が少しだけ濃くなる。
サキがスマホを握り直す。
画面の点が、雨と一緒にざわつくみたいに揺れる。
「……お兄ちゃん」
声が小さくなる。
「外、やばい感じがする」
ハレルは頷いた。
「うん。……たぶん駅も、イルダも」
ノノの声が飛ぶ。
『学園、聞こえる?』
『駅、雨で一気に悪くなった。結界が破られた。外の獣が入ってきてる』
『イルダも影が増えた。イデール先輩の班が押し返してるけど、かなりきつい』
教頭の顔が強張る。
体育館の中の先生たちも、雨音だけで何かを察した顔になる。
ハレルは胸元の主鍵を強く握った。
ただ守るだけでは、もう遅い。
それがまた一段はっきりした。
外では雨。
中では穴。
輪はまだ増えている。
そして駅の方では、次の“何か”が来る気配が濃くなっていた。