テラーノベル
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吹雪の記憶を語り終えた照さんは、そこで静かに口を閉じた。
森にはいつもの穏やかな風が戻ってくる。さっきまで過去の白い雪山にいたような感覚が、張り詰めていた肌の粟立ちとともに、ゆっくりと解けていくのを感じた。
「…迷子、だったんですね。」
僕は胸元にすっぽりと収まっている涼太さんの背と、足元で退屈そうに尾を振る翔太さんの頭を、愛おしさを込めて交互に撫でた。この二人が、そんなに幼い頃からお互いだけを支え合って生きてきたなんて。性格は真逆でも、言葉を交わさずともあんなに自然に息が合うのだ。そう僕は合点がいった。
「翔太さんも涼太さんも…照さんに出会えて、本当に良かったです。」
『ふん、照が拾わなくても、俺が自力で涼太を助けてたけどな!』
『あの状況じゃ絶対無理だったよ、翔太?』
『おい、涼太!お前どっちの味方だよ!?』
相変わらずの賑やかなやり取りに、思わずふふっと笑みが零れる。そんな中、僕の懐の中でゴロゴロと喉を鳴らす涼太さんを照さんはじっと見つめていた。
少しだけ冷たくなった風が、僕の頬を優しく撫でる。頭上の木々の隙間から差し込む光が、いつの間にか橙色に傾き始めていた。
「あ、…では、そろそろ帰りますね。」
「あぁ。じゃあ、」
立ち上がった僕の前で、照さんは慣れたように大きな銀狼の姿へと戻る。
『ん。』
伏せの姿勢をする照さんに、僕はその美しく逞しい背へと跨った。
「いつもいつもすみません…。今日も、お願いします。」
『しっかり掴まってろよ。』
銀色の身体が力強く地面を蹴る。冬色に染まる森を縫うように鮮やかに駆け抜けながら、僕達はさっきの話の続きをしていた。照さんの走る振動が、心地よく身体に響く。
「…蓮さんって、本当に凄いですね。精霊さんの危機を察知するなんて。」
『精霊だけじゃない。アイツの角は魔力を察知するんだ。異国の幻獣の魔力なんて、一番引っかかりやすかったんだろ。』
「だからお二人のことも?」
『…だろうな。』
「もし、…もしあの日、蓮さんが気付かなかったら、照さんが行かなかったら…。」
その先にある、二つの小さな命が雪に埋もれて消えていたかもしれない未来を口にすることが怖くて、僕は言葉を濁した。
照さんは何も言わなかった。 ただ、僕が振り落とされないようにする為か、ほんの少しだけ走る速度を緩めてくれる。
『…過ぎたことを考えても仕方ねぇよ。今、アイツらは俺達の目の前で笑ってる。…それで十分だ。』
「…そう、ですね。」
ブレることのない、あまりにも真っ直ぐで力強い言葉。目の前にある生身の現実だけを信じる彼らしさに、僕は胸を打たれながらその背中で静かに頷いた。
その後は互いに取り留めのない話をしていた。話が進んでいるうちに、いつの間にか道が拓け、見慣れた建物が見えてくる。
「あ、もう着いちゃいましたね。」
水瀬菜音
11,918
#岩本照
絶対辰哉
525
#BL
うさみみ
20
『あぁ。もうこの道も慣れたもんだな。』
「ふふっ、そうですね。本当に、いつもありがとうございます。」
照さんはいつものように、僕を降ろすために門の前まで歩き、そのまま一歩、また一歩と何の違和感もなく、滑らかに歩みを進めていた。
「…あれ、?」
思わず、声が漏れた。僕の動揺を察して、照さんもぴたりと足を止める。
『…どうした?』
「照さん…入ってます。」
『何が?』
「そこ、修道院の…敷地内です。」
背中から彼の大きな前足を指差す。照さんは少しだけ、不思議そうに辺りを見回した。
『え?…、あ…。』
そこで初めて自身の異変に気付いたように、銀狼の凛々しい眉が小さく跳ね上がる。
『本当、だな…。何の抵抗もなかった。』
僕は目を丸くしたまま、境界線である筈のアーチと、照さんの姿を何度も見比べた。その驚きは、やがて直ぐに胸を満たす圧倒的な喜びに変わった。
「…神様。」
『?』
「神様が、照さんを…照さんのお優しい心を認めて、受け入れてくださったのかもしれません。」
そう呟いて胸元のロザリオを手にすると、照さんは人間の姿へと戻りながら、少しだけ不服そうに、また釈然としない様子で息を吐いた。
「…神が、ね。」
その横顔に浮かぶ、微かな影に僕は気付けなかった。ただ結界を越えられたという奇跡が嬉しくて、隠しきれない笑みを浮かべて彼を見上げる。
「折角ですから…」
少しだけ照れくさそうに、けれど期待を込めて言った。
「お祈り、していきませんか?中を案内します。」
照さんは眉を寄せながら一番手前に佇む厳かな礼拝堂へと視線を向けた。半ば睨むようにしながら少し考えるような沈黙。何を考えているのか読めない中、彼は小さく肩を竦めた。
「俺は神に祈る気なんてねぇんだけど。」
冷ややかな拒絶に、僕は苦笑する。
(やっぱり、そうですよね。照さんらしいや。)
けれど、照さんは僕を置いて帰ろうとはせず、低く心地良い声で言葉を続けた。
「…ただ、お前が普段ここでどう過ごしてるのか、何を見てるのかには興味はある。」
その一言に、僕の視界はぱっと明るくなった。自分を形作る大切な場所を見てもらえる。その純粋な幸福感に、胸が弾んだ。
「はい!喜んで!」
嬉しそうに何度も頷く僕の隣を照さんは静かに歩いてくれる。誰にも、何ものにも拒まれることなく。
冬の足音が近付く冷えた空気の中、僕達は静まり返った礼拝堂へと足を踏み入れた。
ステンドグラスを透過した、冬の月明かりが照らす淡い光。冷え切った礼拝堂の床に、まるで境界線のように色硝子の影を落としている。
鼻を突くのは、微かに漂う蝋燭の匂いと凍てつく石の冷気。人間の造った建物特有のどこか息苦しい静謐さが満ちていた。
ガタ、と小さく木を擦り合わせる音を立てて、俺達は長椅子に並んで腰掛けた。
「………。」
隣に座る佐久間は、いつものように胸の前で両手をきつく組み、静かに目を閉じて祈りを捧げている。その姿を俺は同様に祈るわけでもなく、ただじっと見つめていた。
冬の冷気で少し白くなった息。細い首元。神聖な場所で、ただひたすらに神へと意識を向けている横顔。その姿を見ていると、燻る熱が迫り上がってくる。
佐久間が薄く目を開け、その視線を正面の石像へと移した、その瞬間だった。…積み上げられた気持ちが、抑えられなくて。
「佐久間。」
気付けば、名前を呼んでいた。
「はい?」
振り返った佐久間の後頭部を引き寄せ、視界を俺の身体で遮るように影を落とす。その唇を強引に、これ以上ない程静かに俺の唇で塞いだ。
一瞬の、触れるだけの口付け。重ねた場所から伝わる佐久間の体温は熱かった。
「、ぇ…っえ…?」
数秒、絡み合う視線。呆然と目を見開く佐久間の肩を引き寄せ、俺はもう一度、その熱を確かめるように顔を近付ける。
だが──。
「っ、照さん、ダメです!」
佐久間は必死に首を振ると、俺の胸をその小さな両手で思い切り突き飛ばした。 ドン、と静かな空間に衣擦れの音が響く。突き放された姿勢のまま俺は僅かに目を見開いた。
「神様が、見ていらっしゃいます…!」
俺を拒む佐久間の両手は、自分でも制御できていないのかガタガタと酷く震えている。
その怯えたような目を見た瞬間、胸の奥が冷たい刃で抉られたように鋭く痛んだ。
「ただの石像だろ…?」
低く、押し殺した声が口をついて出る。
「違います…っ!それに、僕は神様に身を捧げた修道士です。規律に反します!」
ロザリオをきつく押さえ、自分に言い聞かせるように必死に捲し立てる佐久間。その頑なな態度が、俺の心に暗い火を灯した。
「………そんなに、神が大事か?」
「…照さん、?」
見下ろすように静かに立ち上がると、俺は抑えきれない感情を吐き捨てるように言葉を重ねた。
「お前は誰にでも手を差し伸べる。困ってる奴を見たら、自分のことなんか後回しで助ける。…それは、フェンリルである俺にもそうだった。俺を拒まず、一人の人間としてその手で受け入れた。」
「………。」
徐々に震える声。佐久間はきつく唇を噛み締め、何も言わずに俯く。
「なのに、いざお前を求めたら…お前は神を理由に俺を断る。それは規律でも何でもない。」
胸が潰れそうな程深く、重い息と共に言葉を吐き出した。
「…ただの拒絶だ。」
「それはっ、違、」
小さな反論が、佐久間の喉の奥で消えた。違わない。お前は修道士という盾を使って必死に逃げようとしている。
「お前は、他人の感情よりも…自分の信仰心を優先するのか?」
自分でも驚く程、傷付いた子供のような声が出た。佐久間の瞳が動揺に大きく揺れる。言葉を失った彼に俺は尚も逃がさないよう、更に声を落として核心を突き刺した。
「……それに、お前自身はどうなんだ?」
一言。それだけを突きつける。
「え、?」
「神がどう思うかじゃねぇ。修道士だからでもねぇ。お前は…この先、どうしたいんだ?」
絞り出した俺の声は、失意に塗れていた。
──頼むから、俺をこれ以上期待させるな。
主語を彼自身に突き返した瞬間、佐久間の表情が今にも泣き出しそうなほどに歪んだ。開けてはならない檻の鍵を無理やり抉じ開けられたかのように。
暫くの沈黙の後、佐久間は耐えかねたように視線を床へと落とし、消え入りそうな声で小さく零した。
「…分かりません。」
それが、彼の精一杯の答えだった。 俺を拒みきれず、けれど選ぶこともできない。その中途半端な拒絶が、俺の胸をどうしようもない絶望で満たしていく。
「………そうか。」
その声に佐久間は弾かれたように、俺を目で追った。
「だから、神は嫌いなんだ。」
眉を顰め、吐き捨てるように呟いた。かつて聖職者たちをはじめとした人々が俺を迫害したからじゃない。今、目の前で俺の大切な人間の心を縛り付け、俺の元へ来させないようにしているその『概念』が、心底反吐が出るほど嫌いだった。
これ以上ここにいたら、彼を無理やりにでも奪ってしまいそうだった。俺は踵を返すと、佐久間に背を向けて扉へと歩き出す。
「照さん!…待ってください、照さん!!」
背後から縋るような佐久間の叫びが響く。けれど、俺は一度も振り返らなかった。振り返れば、彼の表情に絆されてしまうのが分かっていたから。
コツン、コツンと、冷たい石床に自分の足音だけが虚しく響く。そのまま、扉の外へと一歩を踏み出した。
「照さん!!」
彼の呼びかけを最後に、重い木の扉がバタンと背後で静かに音を立てて閉まった。
後に残ったのは、冷たい冬の空気と、俺の胸に深く刻まれた消えない傷の痛みだけだった。
コメント
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ツラい…です(´;ω;`)ブワッ