重い瞼を開けようとしても、何かに邪魔されてまともに開ける事が出来ない。冷たくて、今まで嗅いだ事の無い上品な香りのするものが覚醒を遮っている感じがする。今までも眠気と倦怠感で幾度となく起きる事を断念してきた私だが、これはいつもとは違う様な気がした。
(……あれ、そもそも私っていつ寝たんだろう?)
ロイさんがいきなり来て、『雪乃の人形を作れ』って五月蝿く騒いで、タオルケットです巻なんかにされて——そこら辺から記憶が無い。それ以前に、そもそもロイさんがウチに来たという事に現実味を感じられない。と言う事はだ、これって夢オチってやつじゃないだろうか。
(良かった……これでまた、退屈な毎日をやり過ごすだけで済むんだ)
安堵の息を軽く吐きながら体を無理矢理起こすと、自分の体にかかっていた薄手のタオルケットの上に何かがぽとりと落ちた。
「ん?何?これ」
四箇所に切り込みの入った白い楕円形の物が目に入り、私は正体も分からないままそれを手に取った。薄くて、シート同士がぺたりと簡単に張り付いてしまうそれを指で摘み広げると、なにやら人の顔のパーツに合わせて空けられたと思われる穴が開いている。
「……これって、美容パック?」
美容液のたっぷり染み込んであるシート状のパックだった。誰かに『それで正解』だと言われた訳ではないのだが、そうとしか思えなかったのでそうである事にしてみる。
だが自分の顔面を労るアイテムなんて物を買った記憶が私には無く、化粧品すら一つも購入していない。此処には存在するはずの無い物が何故自分の顔の上にあったのかが解らない。その事を不思議に思いながら私がゆっくり首を傾げると、不意に声が聞こえた。
「あ!気が付いたんだね」
その声のせいで体がビクッと跳ね、固まった。
「あ、そのパックもらうね。手袋が濡れちゃうから」
声の主が私の持っていたパックを手からサッと取り、それをいつの間にか空になって隅へと追いやられたゴミ箱へと捨てた。
(夢じゃ、なかったんだね……)
そう都合のいいオチではなかった事に落胆の息をこぼしながら膝を抱き、私は彼から顔を隠した。
「大丈夫?驚いたよ、急に気を失っちゃうんだもん」
「私……気絶なんかしたんですか?」
覚えてない、思い出せない。
「何か急に、ね」
ロイさんが苦笑し、言葉を続ける。
「『そのまま連行しちゃおうかなー』とも思ったけど、それは流石に秘書に止められたから、すぐ家の中に戻ったんだよ」
こんな格好で外に出なくて済んだ事に対して出た二度目の吐息は、安堵を含むものとなった。
「そうなんですか、よかった」
ほっとしてくると、今度は別の事が気になり始めた。
「……あれ?」
どこか懐かしさを感じる品のいい香りが部屋を満たし、大量にあったはずのモノが、冷静になって見渡して見ると部屋の中に無い。捨て損ねていた空の容器、大量の雑誌・本・DVD、脱ぎっぱなしだった服や、ロイさんに向かい投げつけたぬいぐるみ——などなど。それらの物がこの部屋から一掃されている気がする。いやいや、コレってもう『気がする』って程度のレベルじゃないのだが、突然の変化に頭の処理が追いついていかない。
「……あの、何かしたんですか?私が寝てる間に」
周囲を見渡すだけで当然の様に想像は出来るのだが、訊かずにはいられなかった。
「何って、片付けさせただけだよ?僕は綺麗好きだからね。大丈夫、誰がどう見ても明らかにゴミだと判る物しか捨てていないよ。判断不能だった物はダンボールに入れたか、あるべきだと推測出来る場所にしまってあるから」
「まさか、家中全部?」
「玄関、居間と思いたいスペース、台所だったはずの場所、風呂場かな?って所と——まぁ、全部と言えなくもないね。でも安心して、二階奥にある仕事部屋っぽい場所は開けてすぐに『絶対に触っちゃいけない』って分かったから即扉を閉めたよ。換気すらしていない」
よかった……微塵も良識の無い男なのかと思っていたが、『仕事』という言葉が絡むと少し違う様だ。親と共に大企業を背負って立つ人間なのだから当然と言えば当然か。
しかし、一々気に障る言い方をする人だ。『~思いたいスペース』だ『~だったはずの場所』だ何だと、完全に嫌味にしか聞えない。
(どうせこの家は、アンタの家のウン十分の一以下程度しかありませんよってんだ!)
「よく此処でずっと生活していても病気にならなかったね。どこもかしこもアレルゲンの巣窟でビックリしたよ。掃除が嫌いなのかい?嫌いならうちのメイドを一人貸そうか?」
「き、嫌いじゃないですよ、今はそんな気力もないだけ、で……。それに、ゴミ屋敷も徐々に出来上がっていけば残念な事に気にならないからメイドなんていりません。そんな者を雇う程のお金も、私にはないですから。あ、無償でとか言われてもいりませんからね、念の為」
ダメ人間発言をサラッとしてしまった。勝手に片付けられただけでも癇に障るのに、これ以上の無駄なお節介はよして欲しいものだ。人と関わるなんて私には苦痛でしかないのに何で『メイド』なんちゅう非日常的存在を家に置かなければならないのか。私はお前と違って無尽蔵に金を使える様な立場では無いという事を彼はもっときちんと知るべきだと思うが、どうせ聞いちゃくれないんだ、それを言うのも面倒臭い。
「……まさか、今、ウチにメイドなんか居たりはしませんよね?」
「掃除が終わったらすぐに帰ったよ、大丈夫。二人っきりの時間を邪魔されたくないしね」
居なかった事には安心したが、この一軒家に二人っきりだという現実を改めて突きつけられ、別の不安が浮上した。
(また、す巻にされたり腰に抱き付かれたりはカンベンして欲しいのだが、大丈夫だろうか……)
困惑した表情を浮かべたまま無言でロイさんの方から視線を逸らすと、彼が何かを思い付いた様に人差し指を軽く立てて「そうだ!」と一言。
(また何かとんでもない事でも思い付いたんじゃ!?)
その声に対して条件反射的に体をビクッと震わせていると、ニコニコと笑顔を浮かべるロイさんの顔がすぐ目の前に迫ってきた。
「お腹空いてないかい?ご飯を用意してあるんだ」
「ご飯、ですか」
至って普通の内容で、逆に驚いてしまった。
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