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友達、とは言っても、所詮は大人の男と女。
「早速ですが、明日も会えませんか? あきらさんの都合のいい時間と場所で構いませんから」
そう聞かれた時に、ほろ酔い気分でホテルに直行コースかと思った。
が、その予想はすぐさま外れた。
「一般的に、昼休みは十二時からですか? 俺は講義がなければ、時間に縛りはないので合わせられます」
「ランチ……ですか?」
「はい。あ、ビジネスランチとか? そういうことでしたら――」
「いえ、そんなのありません」
私の職場を知らないのだろうか。
よく考えれば、私と戸松さんは勇太を介した情報しか持っていない。
「そうですか?」
「ただ、外出が多いので、時間も場所も不規則なことが多いんです」
「市内であれば、問題ありません」
その言葉通り、戸松さんはどこにでも来てくれた。
「研究や執筆に没頭すると、時間を忘れてしまうんです。こうして、昼の十二時に昼ご飯を食べるなんて健康的な生活は、久し振りです」
戸松さんはアラビアータを食べながら、言った。
「一緒に食べてくれる人がいるのは、ありがたいです」
一緒に梅酒を飲んだ翌日。
私と戸松さんは、市役所近くで一緒にパスタを食べた。
彼は自分の日常を話してくれた。
大学に泊まり込むこともあるから、生活リズムはかなり不規則で、明け方まで仕事をして、一眠りしたら十二時を過ぎていることなんてしょっちゅうらしい。
「こうしてあなたとランチの約束があれば、規則正しい生活が送れるような気がします」
なんとも健全な発想だ。
それから戸松さんは、私の日常を聞いた。
起床時間に出勤時間、勤務時間に退社時間。それから、食べ物の好み。もちろん、自分の好みも話してくれた。
昨夜同様、長くて脱線してしまいがちな話を、時々私が軌道修正した。
「あきらさんは、本当に聞き上手ですね」と、戸松さんが笑った。
その翌日は、出先の小学校近くの定食屋。
私は豚丼、戸松さんは親子丼を食べた。
昨日、彼は卵料理が好きだと話していたから、親子丼とカツ丼で迷っていたのを見て、納得した。
「昨日の夜、勇太から電話がありました。自分が帰った後、あなたはどんな様子だったかと。正直に話しました。交際を申し込んで、友人関係を築くところから始めることになった、と」
勇太が聞きたかったのは、そんなことではなかったろう。
「本当に、正直ですね。勇太はなんて言ってました?」
「……」
戸松さんは急に黙ると、じっと私の顔を見て唇をへの字に曲げた。
おかしなこと、言った?
「戸松さん?」
「正直すぎるのは長所ではないけどね。勇太には、罵倒されたよ」と、戸松さんがため息をつく。
「俺があきらさんを狙っていたから、勇太の邪魔をしたと思ったらしい。『弟の元カノを口説くなんて、趣味が悪すぎる』『節操がない』『もうヤッたんだろう』などなど、聞くに忍びない言葉を吐き捨てていた」
「それで、戸松さんはなんて?」
「事実を。『お前と好みが同じなのは不本意だが、好意を持った女性を口説くことを悪趣味だとは思わない』『妻子がありながら元カノを口説くお前に節操云々を言う資格はない』『残念ながら、まだヤッてはいない』と」
確かに、事実だ。
そして、正論だ。
勇太はぐうの音もなかったろう。
「いくら正論を突きつけられて悔しくても、自分からかけてきた電話を自ら途中で切るなんて、よく教育者が勤まるものだ。いくら両親に甘やかされて育ったとはいえ、常識を知らなすぎる」
「そうですね。でも、きっともう、かけてきませんよ。私にもちょっかいかけてこないんじゃないかな」
「そう願いたい」
ムスッとしかめっ面をした戸松さんは、勇太の兄と言うよりも父親のような表情だ。年が離れていれば、そういう感情なのかもしれない。
両親に甘やかされる姿を見ていたのなら、尚更かもしれない。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「はい」
「私、勇太からは、両親は兄ばかりに期待して、自分はいつも兄と比較されている、と聞いていました。けど、戸松さんは、勇太は両親に可愛がられて甘やかされた、と言っていました。本当のところはどうなんでしょう?」
戸松さんは、少し驚いた表情を見せた。
「勇太がそんな風に思っていたのなら、意外です」
さっきまでくだけた口調だったのに、また敬語に戻ってしまった。
「期待、は確かにされていました。先日もお話した通り、ろくに遊びもせずに勉強ばかりしていたので、成績は良かったですから。けれど、可愛がられた、のは勇太ですね。家族で何をしようにも、勇太の希望が第一でした。休日に出かけるのも、食事に行くのも。まぁ、勇太がまともに食べたいものを言葉に出来た頃には、俺は中学、高校生ですから、当然我慢を強いられました。いくらもしないうちに、俺は家族の団欒から抜けていましたし。ただ、俺が学生の頃はテストで百点は当たり前で、勇太だと九十点でも許されるのはなぜかと思ったことがあります。それを、俺と比較されて期待されていない、と捉えたのであれば、あながち間違いではないかもしれませんが」
「勇太のひがみもあったんでしょうね」
「ひがみ?」
「多分。兄は百点を求められ、自分は求められないのは、自分は兄ほど優秀ではないと思われているから、とか思っていたのかもしれませんね」
「なるほど。立場が違えば、そういう考えもあるということですね」と、戸松さんは頷いた。
「過程はどうであれ、今では両親の期待に副うことが出来たのだから、勇太は満足でしょう」
戸松さんはそう言って、少し寂しそうに微笑んだ。
その表情を、私は知っている。
正確には、その表情の意味を、知っている。
「当たり前に手に入ってしまうと、有難みを忘れがちですよね」
「……そう、ですね。だから、妻子がありながらあなたを口説いたりできるんでしょう」
「どうでしょうね?」と、私はクスッと笑った。
「勇太のことだから、例えば妊娠させる可能性がないとわかれば、さらに遊びたい放題かもしれませんよ? 実際、私と付き合っていた時にも浮気疑惑はありましたし」
「それなのに、あんなに長く付き合っていたんですか?」
戸松さんは、眉間に皺を寄せる。
「本人は否定していましたけど、私は許せなくて別れたんです。すぐに勇太に新しい彼女が出来たと人づてに聞いて、私も他の男性に目を向けようとしたこともありました。けど、一から知り合って、好意を持って、お互いを知って、という過程が面倒になってしまって。そうしている間に、勇太からやり直したいと言われ、楽な方に逃げてしまったんです」
こうして言葉にしてみると、私も馬鹿だった。もっと早く、あんな嫌な別れ方をする前に、別れていれば良かったのかもしれない。そうすれば、少し苦い思い出で終われたはず。
そんな風に物思いに耽っていると、テーブルの上でグラスを持つ手がじんわりと温かくなった。
戸松さんに手を握られ、思わずグラスを手放した。途端に、彼の手が私の手をギュッと握る。
「俺は、浮気はしません」
「え?」
「絶対に、しません」
そう言い切った彼の力強さに、心臓が跳ねた。要するに、ドキッとした。
「そう……ですね。戸松さんは――」
「名前で――呼んでもらえませんか?」
「え?」
「すみません。年甲斐もなく、くだらないことにこだわってしまって」
「戸松さん?」
「呼び方ひとつで、何が変わるというわけではないんですが――」と言って、戸松さんが少し困った顔で笑う。
「距離を……感じると言うか」
あ……、だから?
さっき、不機嫌そうに見えたのは、私が『勇太』と呼んだからだろうか。そういえば、一緒に飲んだ時も私が『お兄さん』と呼ぶのを嫌がった。
「すみません……」
なぜか、謝罪の言葉が出てしまった。
「いえっ! あきらさんが悪いわけでは――。子供染みてますよね。ただ、この年になると名前で呼ばれることがないので、呼んで欲しくなったと言うか……」
少し慌てたように早口で言うと、戸松さんは肩を落とした。
「すみません。面倒臭いですよね」
なんだか、可愛いなと思った。
「そんなことないです、勇伸さん」
ヤバい、と思った。
名前を呼んだだけで、嬉しそうに、恥ずかしそうにはにかんだ彼を見て、鼓動が速度を上げた。私まで恥ずかしくなる。
気の抜けた勇伸さんの笑顔につられて、私も微笑んだ。