翌日も会った。
私は朝からセミナーに参加していて、終わったのが十三時四十分。勇伸さんに連絡すると、近くのカフェにいるとのことだった。私はそのカフェに向かった。
無意識に歩幅が開き、走るまではいかなくても、急いでいるのは傍目からもわかると思う。
セミナー中も気になった。時間が中途半端なため、一度は断ったけれど、勇伸さんは適当に時間を潰せるからと言ってくれた。それでも、待たせていると思うと落ち着かなかった。会場を出ると粗品と資料が入った袋を差し出されたが、私はそれを奪うように受け取って出てきてしまった。感じが悪かった。けれど、そんなことにも気が回らないほど、急いでいた。
こうして、会うのを心待ちにしている自分に、驚いた。
勇伸さんと話をするのは、楽しい。
いつも敬語なのに、気が緩むとくだけた口調になる。私に気を許してくれていると思うと、嬉しかった。
まだ、会い始めて三日だと言うのに、一緒にいることに緊張しなくなっていた。
「すみません、遅くなって」
彼はカフェの前にいた。私からの電話を切って、外に出て来てくれたのだろう。
「お疲れ様です。ここで食べても良かったんだけど、ちょっと間が悪いようだから……」
「え?」
私は乱れる呼吸を整えた。
「ちょっとした揉め事? っていうか、告白の場に居合わせてしまって。ほら、あの奥の席の男が――」
そう言いながら、勇伸さんがチラッと視線を向けた先に、私も目を向ける。
「従業員の女性に告白されてて」
スーツを着た、背格好が似た男なんて、どこにでもいる。髪型が似ている男も、髪を掻き上げる仕草が似ている男も。なのに、わかってしまう。
間違いなく、龍也だ。
あの日、振りの龍也。
「――とりあえず、違う店に入ろう。この時間なら、待たないだろうし。何がいいかな?」
「え? あ、なんでも――」
慌てて、私は百八十度回転した。龍也が窓の外を見たから。
「エッグベネディクト、食べません?」
「え? エッグベ――?」
「行きましょう!」
私は半ば強引に、勇伸さんの腕を引いてその場から離れた。
今、龍也に会って、どんな顔をしたらいいかわからない。
友達? 他人?
毎晩、龍也の電話番号を眺めていた。
忘れていたわけじゃない。
忘れている振りをしていただけ。
着信の度、メッセージを受信する度、龍也からではと思った。けれど、今日まで、龍也から何の連絡もない。
龍也、モテるもんね……。
私のことなんて、面倒になったのかもしれない。
さっきのカフェの子は気に入らなくても、作ろうと思えばすぐに彼女が出来るはず。
「あきらさん、ここではないんですか?」
勇伸さんが足を止め、私は少しつんのめった。
すぐ脇には、全面に美味しそうなエッグベネディクトが印刷された旗が風になびいている。
「ここです」
「美味しそうですね。好きなんですか?」
「はい」
私は勇伸さんの腕を離した。が、今度は彼が私の手を握り、店のドアを開けた。
若い男性店員が大きな声で『いらっしゃいませ』と言い、好きな席に座るように促した。
勇伸さんは奥の丸テーブルの席を選び、私の手を引いて行く。テーブルの脇で、彼は少し名残惜しそうに私の手を離した。
手を繋いだ、だけ。
たったそれだけなのに、身体が熱い。
それはきっと、彼も同じで。
その証拠に、勇伸さんはそそくさとメニューを開いて、真っ赤な顔を隠した。
「迷いますね」
「そうですね」
いい年をして。
いい年だから。
いくつになっても。
どれを選ぶかは自分次第。
「さっきのカフェで、女性の店員が客……だと思うんですけど、彼に告白したんです」
照れ臭さを誤魔化すように、勇伸さんが少し早口で言った。
「けど、男には好きな女性がいたようで、女性は『待つ』って言ったんです。そしたら、俺が振られるのを待つのかって不機嫌になって」
その場に居合わせただけの勇伸さんがそう感じたのなら、龍也は相当不機嫌だったんだろう。普段、人前で感情的になることは滅多にない。
「それで……その女性はどうしたんですか?」
「泣き出してしまいました」
驚いた。
龍也が女性を泣かせるなんて、まずない。
「関係のない俺までいたたまれなくなってしまって、店を出たんです」
「それは……確かに居づらいですね」
勇伸さんが出てきてくれて、良かった。龍也がいることに気づかずに店に入っていたら、鉢合わせていた。気まずいなんてもんじゃない。
「どれにします?」
「え?」
「え?」
「あ! 私はほうれん草とベーコンの……じゃなくて、BLTにします」
「じゃあ……俺はこの野菜のにソーセージをトッピングします」と言って、勇伸さんはメニューをテーブルに広げて、指さした。
「美味しそうですね」
「これ、二つずつくるんですよね? 一つ交換しませんか?」
「いいですよ」
「デザートにパンケーキを注文しますか?」
「え? あ、どうしようかな。食べられるかな」
この店のパンケーキは、とにかくふわっふわ。そのパンケーキ三枚の上に、丼をひっくり返したようなボリュームの生クリームがのっている。美味しいし、好きだが、それを食べるならエッグベネディクトはやめておくのが賢明だ。
「一緒に食べませんか?」
「え?」
見ると、勇伸さんが目を輝かせている。
「甘いもの、好きなんですか?」
「すごく好きというわけではありませんが、このパンケーキは興味をそそられます」
本当に、この写真と同じものが出されるのか、という好奇心だろうか? とにかく、勇伸さんがパンケーキを食べたいことは確かなようだ。
勇伸さんは私の返事を待たずに、どれにしようかと眺めている。
龍也を忘れられるかもしれない。
本気でそう思った。
「勇伸さん」
「はい」
「イチゴかブルーベリーのがいいです」
勇伸さんが嬉しそうに目を細めた。子供のようだ。
勇伸さんなら、龍也を忘れさせてくれるかもしれない。
「じゃあ、イチゴのにブルーベリーをトッピングしましょう」
「欲張りですね」
「ここで妥協したら、帰ってから後悔しそうなので」
私は、クスッと笑った。
「また来たらいいじゃないですか」
「そう言って、なかなか来れなかったりするんですよ」
確かに。
次に来たら、と思っていて行けていない場所はたくさんある。
「一人じゃ来なくても、二人でなら来ますよ」
「え――?」
メニューから顔を上げた勇伸さんは、私の言葉を聞き取れなかったのか、言葉の意味がわからなかったのか、不思議そうな表情。
「また、来ましょう。二人で」
「はい」と、勇伸さんは頷いた。
私の言葉を、そのまま受け取ったらしい。
どこまでも、素直な人だ。
「勇伸さん」
「はい」
「私の好きな人を、忘れさせてくれますか?」
意外なことに、勇伸さんは眉間に皺をよせ、ギュッと口を結んだ。
言い方が、悪かったろうか。
『私の好きな人』なんて、勇伸さんを好きじゃないと言っているのと同じか。
「あの――」
「忘れる必要はありません」
「え?」
「好きな人を忘れるのは、現実的には不可能だと思います」
勇伸さんは真剣そのもの。
「はあ……」と、私は気の抜けた返事をした。
結婚を視野に入れた恋人になる前提で友達付き合いをしたいと言ってきたのは勇伸さんなのに、好きな人を忘れるのは不可能だなんて言われるのは、わけがわからない。
「なので、あきらさんが好きだと言う男性よりも、俺のことを好きになってもらえるよう、努力は惜しみません」
就職のための面接のような台詞に、私は思わずフフッと声を出して笑ってしまった。
「なので、あきらさんも努力してもらえませんか?」
「え?」
「俺のことを好きになる、努力を」
なんて、色気のない口説き文句。けれど、今の私にはちょうどいいのかもしれない。
龍也といると、どうしても子供を持てないことが悲しくなる。そして、申し訳ないと思う。
けれど、勇伸さんといれば、子供を持てない悲しさを理解し、慰め合える。一方的に慰められるのではなく、慰め合える。
対等な関係。
「はい。努力します」
勇伸さんを、好きになりたいと思った気持に、嘘はない――。
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