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「じんと、今日も可愛い〜」
その声はいつものように柔らかく、甘く、軽やかにスタジオの空気を震わせた。
勇斗の声が放たれた瞬間、セット上部に吊られたライト群が白く瞬き、角度を変えながら無数の反射が天井近くの銀色のダクトを走る。砕けた光はかすかに揺れながら床へ零れ落ち、その粒が仁人の肩にかかる黒髪に反射して淡い銀色の筋を描いた。
スタジオの白い防音材にはスポットライトの光と影が重なり合い、灰色の縞模様がまだらに浮かんでいる。磨かれた床にはコードリールや機材バッグが散らばり、その隙間に落ちる光の中で、二人の影が揺れ、交わり、離れ、また静かに重なって形を変えていた。
モニター前で控えるスタッフが思わず笑い声を漏らし、マネージャーが小さく息を呑んでカメラ位置を直す仕草が視界の端に映る。
その瞬間だけ、時間が切り取られたようにスタジオが静まり返る。
すぐに照明機材のファンの微かな回転音と、誰かがペットボトルのキャップを外す「カチ」という音が重なり、小さく弾けるように場が動き出す。
カメラ前のモニター越しのコメント欄が、一気に流れ出していく。
『勇斗くんが仁人くんに可愛いって言った!!』
『はやとくんの声が甘すぎるんだけど!?』
『じんとくん照れてるの、可愛すぎる……。』
『これが無料で見られる世界線に生きてる奇跡。』
『さのじん供給ありがとうございます!!』
「はぁ〜?」
仁人が言った声には、いつもよりわずかな震えが混じっていた。白い照明が横顔を照らし、黒髪の影が頬を斜めに横切り、揺れる睫毛がその影の中でかすかに震えている。頬には淡い朱が差し、ライトに照らされた耳の先が白い光の中で赤みを帯びているのが分かった。
「だって、可愛いんだもん。」
勇斗は肩をすくめて笑い、目尻を少し下げる。ライトの光が瞳に映り込み柔らかく光り、その瞬きに合わせて仁人が息を呑み、視線を逸らした。その仕草だけで勇斗の胸の奥がくすぐったく熱くなる。
「はいはい、はやちゃんそれ何回目〜?」
「じんちゃん可愛いの分かる〜、分かるけどさ〜!」
柔太朗と舜太の笑い声が弾け、スタジオの空気が一瞬緩む。モニターのコメント欄がさらに速度を増し、光る文字列が画面を埋め尽くした。
仁人は小さく笑みを浮かべて俯き、揺れた前髪の隙間から睫毛が光を受けてきらりと光る。その下の頬がさらに赤くなるのを、勇斗は見逃さなかった。
『もっと、俺だけに見せろよ。その顔』
胸の奥で言えない言葉がくすぶる。収録中だと分かっているのに、仁人が俯いたときにできる睫毛の影、赤く染まる耳、そのすべてが胸の奥に小さな火を灯し続ける。
その熱が胸から喉、指先へと滲み出し、勇斗の指先が無意識に小さく動いた。
『ああ、可愛いな』
その想いだけが、勇斗を満たしていた。
収録後、モニターが落ちたスタジオは薄暗く、蛍光灯の青白い光が天井近くで孤立したように光っている。
スタッフがケーブルを巻く音、モップが床を擦る音が遠くで響き、楽屋へ続く廊下には機材の金属の匂いと柔軟剤の甘い香りが混じった冷房の風が漂っていた。
ガラス越しに聞こえる蝉の声が、遠くで夏の空気を揺らす。
楽屋のドアが閉じる音がして、その瞬間、外の世界が切り離されたように静かになる。天井のファンが回り、干された衣装が微かに揺れた。
「はやと、お前さ……」
ソファに座り込んだ仁人が額に手を当て、小さく息をつく。
頬の赤みは引いても、耳の先だけはまだ赤く、呼吸を整えるように胸が上下している。
「ファンの前で可愛いとか、マジでやめろって。」
「じんと、耳まで真っ赤だったよ?」
勇斗が笑うと、仁人は目を逸らし、テーブルの上のペットボトルを取る。
キャップを回す指先がわずかに震え、水滴がペットボトルの縁からこぼれ落ち、Tシャツの肩を濡らした。雫は肩から胸元へ小さな筋を描き、冷房の風に震えながら布に吸い込まれていく。
『その震えも、全部俺だけに見せてほしい』
立ち上がった勇斗の動きに合わせて、仁人の黒目が揺れる。わずかに不安そうなその瞳が、勇斗にはたまらなく愛おしかった。
「な、じんと。」
「ん……?」
勇斗は歩み寄り、仁人の前で膝をつき、視線を合わせる。額にかかる前髪が少し乱れているのを指先でそっと払うと、髪が揺れ、シャンプーの清潔な香りが微かに漂った。冷房の風が二人の間を通り過ぎ、睫毛が震える。
「さっきの顔、もう一回見せてよ。」
「は……?」
唇がわずかに開き、短く漏れる吐息が勇斗の指先にかかる。
勇斗の指が仁人の顎に触れ、そっと持ち上げると、その場所がかすかに熱を帯びた。黒い瞳が勇斗だけを映し、揺れて瞬く。
「もっと見せろよ、その可愛い顔。俺だけにさ。」
「……ここ楽屋だぞ、スタッフ来る……。」
縋るような声を出した仁人の腰へ、勇斗の腕がするりと回る。
薄いTシャツ越しの体温がはっきりと伝わり、腰骨をなぞる指先に合わせて仁人の身体が小さく震えた。
「声、出すなよ。」
低く囁くと、仁人の喉が小さく鳴る音が近くで響く。
首筋へそっと唇を落とすと、肌がわずかに跳ね、細く甘い吐息が勇斗の耳元をくすぐった。
「んっ……」
小さく漏れたその声が、部屋の空気を震わせる。
「じんと、可愛い。」
「やめろ……はやと……。」
赤く染まる頬、潤む瞳、薄く開いた唇、その端からこぼれる吐息。
それらすべてが自分だけのものだと思うと、胸の奥が焼けつくように熱くなる。
「俺だけに見せてくれるの、嬉しい。」
「……ほんとに、調子に乗るなよ。」
「乗らないわけないだろ。じんとだけだよ、俺がこんなになるの。」
もう一度、首筋へ口づけを落とすと、仁人が短く震える吐息を漏らした。
勇斗は仁人の肩へ額を預け、仁人が小さく笑って勇斗の髪を撫でる。
「……俺だって嫌なんだよ。」
「は?」
「舜太も柔太朗も、じんとのこと可愛いって言うじゃん。」
「……だから?」
勇斗は仁人の腰を抱えたまま、額を近づける。その距離で見える黒目がちな瞳が、勇斗だけを映していることを確かめるように。
「誰にも見せんなよ、その顔。」
「はやと……?」
「俺だけが、見ていい顔だろ。」
低く落ち着いた声の奥に、小さな嫉妬の色が滲んでいた。
舜太や柔太朗の前で笑う顔、照れる顔、声を上げて笑う声――
それらを思い出すだけで、胸の奥が少しざわつく。
仁人は目を瞬かせ、少しだけ笑った。
「……バカ。」
そう呟きながらも、その顔はどこか嬉しそうで。
勇斗はその表情を逃さず、胸の奥に小さく焼きつけた。
「なあ、じんと。」
「……なに。」
「今夜、うち来いよ。」
「……やだ。」
即答する仁人に、勇斗はむくれた顔をする。
「……考えとく。」
それだけで胸の奥が甘く痺れる。
勇斗は仁人を抱きしめる腕を緩めず、額を近づける。吐息が混じる距離。
「じんと、キスしていい?」
「……バカ。」
睫毛が震え、目を閉じる仁人が愛おしくて、勇斗はゆっくりと唇を重ねた。
触れるだけの軽いキスなのに、唇の端から心臓へ熱が走る。
『もっと……もっと見せろよ、その顔。』
そう思った瞬間――
「はーい、じんちゃん、はやちゃん!移動するよー!」
舜太の声がドア越しに明るく響き、冷房の風がわずかに流れた。
「……ちっ。」
勇斗は名残惜しそうに唇を離し、額を仁人の肩へ押し付ける。
「はいはい、今行くって。」
「……行くぞ、はやと。」
赤くなった顔で笑う仁人の横顔に、小さく舌打ちしながらも、勇斗は**「次にその顔を奪うタイミング」**をすでに探し始めていた。