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フィリナがぱちりと目を覚ますと、視界に入ってきたのはまだ見慣れない、けれども見た覚えは確かにある木製の天井だった。
彼女はゆっくりと体を起こし、寝ぼけまなこでベッド脇の窓の外を見やる。
庭に広がる白黒の芝生と、赤い花。
敷地を囲うような深緑の木々。
昨日フィリナが目にしたそれらは、確かに今日も存在していた。
「本当に、ここは異界なのね……」
フィリナはしみじみと呟く。
塔の階段から落ちたフィリナがどういうわけか異界に流れ着いてから、夜がひとつ明けていた。
出会いと少しのやり取りを経て、ギギスと同居することとなった彼女は、結局その後すぐに寝室へと案内され、半ば強引に寝かしつけられた。
あまり詳細な説明などは無かったけれど、恐らく彼なりの気遣いだったのだろう、とフィリナは考える。
明確な根拠があるわけではないが、彼女は既にギギスを善き人として認識しており、したがって彼の行動は概ね善意から来るものだと受け取っているのだ。
「起きたか」
ノックも無しに、寝室の扉が開く。
「おはようございます、ギギス様。気持ちの良い朝ですね」
「来い」
挨拶を返しもせずギギスは言う。
その顔に、笑みなど微塵も無い。
常人なら多少ムッとするところであろうが、今ひとつそういう感情と縁遠いフィリナは、「はい」と微笑み、大人しく彼についていく。
狭くて短い廊下を渡り、案内されたのは玄関から入ってすぐの部屋だった。
昨日も見た室内に、しかしフィリナはいくつかの変化を認める。
まずひとつ、花瓶に何らかの花らしき――ぐにゃぐにゃに曲がった針が束になったような――ものが入っている。
次にふたつ、擦り切れたテーブルクロスが、少々小綺麗になっている。
最後にみっつ。
綺麗になったテーブルクロスが敷かれた机の上に、料理が並んでいる。
フィリナが思わずギギスの方に視線を向ければ、彼は目を逸らした。
「異界人は……あまり鉱物を食さないと聞いている。柔らかいものと、味の薄いものを好むとも」
「用意してくださったのですか?」
やや迂遠な物言いに対し、フィリナは率直に問う。
一点の曇りも無い純粋な視線がギギスに突き刺さった。
「……上手くできているかはわからない」
「ありがとうございます! 味わっていただきます」
フィリナは満面の笑みで礼を言い、いそいそと椅子に座る。
が、そこでふと、机上の料理が1品につき1皿ずつ……つまりは1人分しか用意されていないことに気付いた。
しかもそれらは机の中央ではなく片側に寄せられており、同じ皿から2人で分けて食べることを想定されているわけでもなさそうだ。
ただ先ほどまでのギギスの口ぶりからして、フィリナに食べさせる気があるのは――ギギスがよほどの意地悪でない限り――確実である。
となると、考えにくくはあるが、一応考えらえることはひとつ。
「あの、ギギス様は食べないのですか?」
フィリナは眉を下げながら、自信なさげに問うた。
「俺は……食事をとらない」
彼女の向かいの椅子に座って、ギギスは答える。
椅子の足に沿い、尻尾がするりと動いた。
「まあ、そうだったのですね」
ギギスの言葉を鵜呑みにしたフィリナは、ややぎこちなく手を合わせ、カトラリーを持つ。
理由はあれど、家主を差し置いて自分だけ食事を摂るという状況に、負い目を感じていた。
さて、フィリナの前に置かれているのは、皿が2つとグラスが1つ。
1つの皿には、赤と黒の交じった色をした葉。
もう1つの皿には、分厚い木の皮を丸めたようなもの。
グラスには、水と思しき透明な液体。
フィリナは少し悩み、まず赤黒の葉を口に入れた。
「! この葉、甘い味がします。何と言う植物ですか?」
「ウォネル。糖を生成できる。それは茹でて甘味を9割ほど抜いてある」
低い声でぼそぼそと、しかし不思議と耳に馴染む調子で、ギギスは説明する。
膝の上で白い指を絡め、椅子の下では尻尾をちらちらと動かし、何やら落ち着かない様子だった。
「なるほど……ウォネルをお庭に植えたら、一生甘味に困らないでしょうね」
「わざわざ植えなくてもそこらに生えている」
「まあ、素敵!」
9割減でこの甘味ならば、そのままのウォネル1枚から採れる糖はどれほどの量だろうか。
常なら貴重な甘いお菓子が、王様から平民まで皆の手に渡り、彼らを笑顔にする……そんな光景を思い浮かべ、フィリナは頬を緩ませた。
「こちらは? 何かのお肉でしょうか?」
茹でウォネルを食べきったフィリナは、次いでもう1つの料理を食べる。
丸めた木の皮のようなそれが正常に咀嚼、嚥下されたのを見届け、ギギスはどこかホッとしたように小さく息を吐く。
それからまたぼそぼそと説明を始めた。
「ウキノの実。汁に少し塩分を含んでいる。加減がわからないから、汁気を全て飛ばした。……さすがに味がしないか」
「いいえ、ちょうど良いお味です」
実はゴワゴワとした舌ざわりであったが、喉につかえるほどではなく、1つまた1つとフィリナの腹に納められていく。
やがて盛られた分のウキノの実を平らげた彼女は、皿の隅に置かれた紫色の花に目を向けた。
フィリナの常識と経験からすれば、明らかに食用ではない。
しかしここは見知らぬものばかりの異界だ。
仮にこれも料理の一部なら残すわけにはいかない、と考えた彼女は、ギギスに尋ねてみることにした。
「このお花も食べられますか?」
「たぶん。無味無毒だから、少なくとも悪いようにはならない」
ギギスは若干曖昧な返事をする。
正の可能性の方が高いと認識しつつも、一抹の負の可能性を危惧するような、そんな声色だった。
そこで、フィリナはふと思い至る。
ギギスがずっとそわそわしているのは、自分が用意した食事がフィリナにとってちゃんと「食事」になっているか、不安がっているからなのだと。
言い換えれば、ギギスはフィリナのことを心配しているのである。
それに気付いたフィリナは、胸の内に温かいものを感じながら、紫色の花をそっと食んだ。
「どうだ」
「少しすっぱくて、お口の中がさっぱりします」
「酸いのか」
覚えておく、とギギスは付け加えた。
また少し、安堵が滲む声で。
「水は異界でも同じなのですね」
フィリナは最後に、すらりと長いグラスを持ち上げ、注がれた液体をまじまじと見る。
先の2品とは異なり、それはどこからどう見ても、彼女の知る「水」だ。
けれどもギギスは、小さく首を横に振った。
「いや……それは白水だ。赤水の方がよく飲まれる」
「赤い水があるのですか?」
目を丸くして、フィリナは言う。
何かの果汁や絵の具を溶いた水でもなく、元から赤い水が存在するのかと。
「ある。川の水はほとんど赤だ」
「そうなのですね」
さらさらと川を流れる赤い水を想像し、フィリナは好奇心を掻き立てられる。
どんな味がするのか、甘いのか酸っぱいのか辛いのか……いくらでも想像が膨らんだ。
「機会があれば飲んでみたいです」
「やめろ。異界人の内臓には刺激が強いと聞いている」
「あら、それは残念……」
フィリナはしゅんと肩を落とす。
だがそれと同時に、またあることに気付いてパッと視線を上げた。
「私たちのこと、たくさん調べてくださったのですね」
「古い本を少し捲った程度だ」
大したことではないとでも言いたげに、ギギスは顔を少し背ける。
彼の後ろ、木製の棚の上には、分厚い本が何冊か積み上げられていた。
「異界人の来訪は、稀有なことだが古来より確認されている。こんなふうに、記録も少なくない。だがこの『魔獣の森』に現れたのはお前が初めてだ」
確認されている限りでは、とギギスは念入りに言う。
その口ぶりからして、あくまですべての情報は伝聞であり、彼自身は異界人と直接会ったことは無いらしかった。
「では、他の皆様はどちらに?」
「様々だ。しかし『魔獣の森』以外ではある」
「なるほど……ここにだけ現れない、ということなのですね。何か理由があるのでしょうか?」
ぴく、とギギスの尻尾の先が震える。
ギギスは眉間に皺を寄せ、真っ黒な瞳を隠すように瞼を閉じた。
「……さあな」
***
「ギギス様は普段、何をして過ごしているんですか?」
食事を終えて食器をみな片付けた後、窓の外を眺めていたフィリナは、ふと思い付いたように尋ねた。
「……『何を』……」
ギギスは本をぱらぱらとめくる手を止め、視線を上げる。
「森の中を歩いたり……している」
絞り出されたのは、何とも曖昧な返事だった。
尻尾のヒレが椅子の足に当たり、かちかちと微かな音が鳴る。
彼の態度は見るからに不審であった。
が、それは大多数の者にとっての話。
フィリナは不審感など微塵も持たず、パッと微笑んだ。
「お散歩ですね! 私も好きですよ」
純朴に言う彼女の頭の中には、様々な光景が広がっていた。
鮮やかな花が咲く屋敷の庭。
柔らかい風の吹く街はずれの草原。
そして、不思議な未知に満ちた『魔獣の森』。
そこを気ままに歩く心地を思い出し、あるいは思い描き、フィリナは素敵な気分になる。
動物も植物も好きで、好奇心も旺盛な彼女にとって、外を歩き回るという行為はとても楽しいものだった。
例え待ち構えていた義妹にいじわるをされても、彼女が曇り顔で散歩から帰ったことなど、一度として無かったほどだ。
しかし、反してギギスはというと。
「別に、好きでは……」
特に散歩を好んでいるわけでもないようで、微妙に勘違いを招いてしまった落ち着かなさに、尻尾をくるくるとこね動かしていた。
かと思えば、ぴたりと尻尾の動きを止め、すっくと立ち上がった。
前置きの無い行動に、フィリナは純粋に小さく驚き、彼の方を見る。
「ギギス様?」
「用があるから、少し出かける。俺が帰るまでは外に出るな」
早口気味にそう言って、ギギスはあっという間に玄関扉を開けて外へと出て行った。
「わかりました。お気を付けて」
全く唐突な外出と言わざるを得ないが、それでもフィリナは、既に閉まった扉に向かって穏やかに手を振る。
と、数秒あって、かちゃりと扉が開いた。
そして少し空いた隙間から、ギギスが顔を覗かせた。
「家にあるものは好きに使え」
やはり早口気味に言い残し、今度こそ扉は閉まりギギスは出て行く。
壁越しに聞こえる微かな風の音とふたりきりになったフィリナは、しばらくぽつねんと立ち尽くしていたが、やがて食卓の椅子に座った。
先ほどまで皿の乗っていた机の上には、今は本が1冊置かれている。
ギギスが片付けることなく残していったものだ。
フィリナは本をそっと手元に引き寄せ、表紙を開く。
「あら……読めないわ」
残念ながら、本の中に詰まっていたのは彼女の知らない言語だった。
異界の者であるギギスと言葉が通じたのだから、文字も同様にと考えていたフィリナだが、現実はそうではなかったらしい。
口に出す言葉は同じ、けれども読み書きする文字は違う。
どうにも摩訶不思議なことだ。
もしかすると、文字「だけ」が違い、対応する音や、単語、文章の構造は同じなのかもしれない。
彼が帰ってきたら読み方を教えてもらおう――と思考を締めくくり、フィリナは本を閉じる。
「もっと知りたいわ。彼のことも、この異界のことも……」
窓から差し込む光は、暗い森の雰囲気に反して案外、柔らかだ。
フィリナは肌に触れるささやかな温もりを感じながら、静かに目を閉じた。
***
「――い、おい」
朧げなフィリナの意識に、声が届いた。
それが自分を呼ぶ声だと気付くや否や、彼女はハッと体を起こす。
「いけない、私……」
どうやら目を閉じて、そのまま眠りに落ちていたらしい。
フィリナは周囲を見回す。
部屋には依然、誰も居ない。
となると声は外からのものか。
そう彼女が玄関扉の方へと目を向けると同時に、また声がした。
「こちらへ来い」
姿は見えない。
が、それはギギスの声だと、フィリナは認識する。
「はい、ただいま」
彼が帰るまで外に出るなとの言い付けだったが、彼本人から呼ばれるのであれば、外に出ても良いだろう。
むしろ、出なくてはならないとまで言える。
フィリナは少し駆け足で、扉を開けて庭へと出た。
しかしどうしたことだろうか。
さわさわと草木の揺れる庭に、ギギスは居なかった。
「ギギス様……?」
あの白い髪、黒い服、長い尻尾。
フィリナはギギスの姿を探すが、さっぱりどこにも見当たらない。
「ギギス様、どちらに居るのですか?」
「こちらだ」
やや大きな声でフィリナが呼びかければ、声は応える。
小道の方からだった。
「早く、こちらへ」
声はひたすらにフィリナを急かす。
まるで何かを警戒しているかのように。
「あの、ギギス様――」
フィリナは小道に向かって足を踏み出す。
と、その時。
「おい」
彼女の肩を、白い手が掴んだ。
反射的にフィリナが振り向けば、眉間に皺を寄せたギギスが立っていた。
「何をしている」
「ああ、こちらにいらしたのですね。私ったら注意が足りなくて、申し訳ありません」
フィリナはホッと息を吐く。
それはギギスの顔を直接、ちゃんと見ることができたからに他ならなかった。
だが彼女とは対照的に、ギギスはますます眉間の皺を深くする。
「……俺の声がしたのか」
「? はい」
フィリナが頷けば、ギギスは苦虫を嚙み潰したような顔をした後、改めて口を開いた。
「先ほどまでの声は俺ではない」
「えっ」
驚くフィリナに彼は続ける。
「この森には、危険で狡賢い生物ばかりが棲みついている。俺たちはそれらを魔獣と呼ぶ。だから『魔獣の森』だ。……あれもその一種で、人の声を真似て誘い出し、悪さをする」
「まあ! そういうことだったのですね。ごめんなさい、私、あの声が偽物だと見抜けなくて」
「いや……先に言っておかなかった俺に非がある」
ざざ、と風が庭を吹き抜けていく。
フィリナを呼んだ声の主は、既に小道の向こうへと消えて行ったのか、気配すら無かった。
「ここにはああいうのが、嫌というほど居る。怖くなったなら、今からでも別の……もっと安全な場所に連れて行く」
「いいえ」
フィリナはきっぱりと首を横に振る。
穏やかな瞳の中に、揺るがないものを湛えて。
「私にとっては、優しいあなたの居る場所が一番安全で、安心です」
「……そうか」
彼女の言葉を聞き、ようやくギギスの眉間から皺が取れる。
平時通りの無表情で、彼はフィリナを控えめに見つめた。
「それはそうと、今度からは気を付けますね! 付いていくのは、ちゃんとお顔を見てからにします!」
「姿かたちまで真似る奴も居るぞ」
「まあ! では何か……そう、秘密の合言葉を決めるのはどうでしょうか?」
「例えば」
「『いちご』など」
「いちご……異界の物体名か」
「はい。甘酸っぱくて美味しい果実を付ける植物です」
「……悪くない」
気の抜けた会話をしながら、2人は家の中へと戻っていく。
庭の赤い花が、ちらりと震えた。
***
その日の夜。
フィリナが安らかな眠りについた後、ギギスは独りで家を抜け出した。
向かった先は『魔獣の森』のとある場所。
そこで彼は、目が1つで翼が4枚ある、烏に似た生き物を――片手でギリギリと締め上げていた。
「……お前たちは悪戯を好むところがある。生来の気質だ。だから今までは放っておいてやった。だが今回の件は目に余る。不愉快だ。ここまでのことをしでかした度胸は認めるが、赦しはしない」
生き物は昼間、フィリナを誘き出そうとした魔獣だった。
魔獣はギギスの手から逃れようともがくが、全く無駄な抵抗に終わる。
万力のごとき力で捕らえられ、息をするのもやっとであるようだった。
「タ、たすけて! たすけ――ギャウッ!」
振り絞った命乞いも虚しく、ついに魔獣は握り潰される。
断末魔の悲鳴の後、その体はくにゃりとして動かなくなった。
「身の程を弁えろ」
ギギスはただの肉塊と化した魔獣を、ぽとりと地面に落とす。
それから、家で寝ているフィリナの顔を思い浮かべ、静かに踵を返した。