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定時にあがって、湊と会う。
そう決めていた今日は、仕事をしながらずっと時間を気にしている気がする。
特に17時からは絶対に定時―――18時で仕事を終わるぞと、それだけに意識を集めていた。
そして今ちょうど時計の針は18時を指している。
今日の仕事もきちんと終わらせた。
誰よりも先にデスクチェアから立ち上がった瞬間、脇に置いていたスマホがメッセージを受信した。
「湊だ」と思って急いで画面を見れば、相手は原田くんで―――。
――――
さっき多田さんのおじさんところのお見舞いに行ったんだ。
それでちょっとそのことで話があって。すこし時間もらえないかな
――――
原田くんがお父さんのお見舞いに行きたいと言ってくれ、一度一緒に行って以来、 時々お父さんのお見舞いに行ってくれているのは知っていた。
(お父さんのことで話って……。なにかあったのかな)
定時で絶対あがると伝えていたし、今すぐ湊に連絡して合流したかったけど、お父さんになにかあったのかもしれないと思うと気にかかる。
カバンをさげて小走りにオフィスを出ると、会社からすこし離れたところで原田くんに電話をかけた。
「―――多田さん!ごめん今大丈夫?」
電話に出た原田くんの声はかなりうわずっていた。
「うん、すこしなら。お父さんのお見舞い行ってくれたんだよね?
ありがとう。それで……お父さんのことで話って?」
この声の様子じゃ、お父さんになにかあったのかもしれない。
どこか身構えながら尋ねると、電話の向こうで言い淀んだ気配がして、緊張が走る。
原田くんは短い間を挟んで言った。
「今日おじさんに、俺が多田さんのところのスポーツ店をを手伝いたいと思ってること、多田さんに話したって聞いて」
「あぁ、うん。お昼休みにお父さんから電話があったんだ」
どうやら原田くんの話はお父さんの病状のことじゃないとわかり、ほっとした。
お父さんから昼間電話があった時は、原田くんの実家はお父さんの経営するスポーツショップが取引先だし、仕事内容も業者も全部わかるから、お父さんを養生させるために、当面仕事を引き受けたいと申し出てくれたとのことだった。
それを聞いた時驚いたけど、そんなふうに考えてくれてありがたいな、と思っていたから、原田くんにはお礼を言わなきゃと思っていた。
「ありがとう、お父さんのこと色々気にかけてくれて」
「そっか……。やっぱり多田さん、おじさんから話聞いたんだ……」
原田くんは呆然と呟くように言った。
どうしたのかなと思っていると、彼は気を取り直したのか、声音を変えて私を呼んだ。
「多田さん」
「ん?」
「多田さんのおじさんから伝わることになってしまったのは不本意なんだけど、でも……。
俺、多田さんのおじさんのお店のことで、できることがあればしたいと思っている」
「原田くん……」
「俺……中学の時多田さんが好きで。
再会してからもやっぱ……好きなんだ」
……え?
突然の告白に頭が真っ白になる。
反応できずに呆然としていると、電話の向こうから「多田さん?」とさらに焦った声が聞こえてきた。
「ご、ごめん。言い訳みたいになるけど、俺……前から多田さんに告白しようと思ってたんだ。
だけどおじさんが事業で困ってるって聞いて、手伝えないか申し出したけど気を遣ってくれるから、そういうのなしで休んでほしくて、俺、多田さんが好きだって言っちゃって。
さっきお見舞いに行ったら、俺が手助けを申し出たことを多田さんに話をしたって言われて、俺焦って……」
それを聞いて、やっとなんとなく話が見えてきた。
原田くんはお父さんに私が好きだって話をして、お父さんがそのことも私に話したと思っているから焦っているんだ。
「おじさん経由で多田さん好きだって伝わったんだと思うと、俺……居てもたっても居られなくて。本当ごめん」
原田くんの話を聞きながら、鼓動がすごく大きくなっている。
息もあがっているようで、私はひとつ深呼吸して原田くんに言った。
「……聞いてなかったよ。お父さんには原田くんがお父さんの仕事助けたいって言ってくれていることしか」
「えっ」
「ほんとに……。それしか知らなかったんだ」
原田くんが息をつめたのがわかった。
それから数秒して、「えっ、あっ」とうろたえた声が聞こえて―――。
「ご、ごめん!!ほんとにごめん!!
焦って勘違いして先走って本当にごめん!!」
その場にいれば土下座しそうな勢いで、原田くんは私に謝った。
直立して深々と頭を下げる原田くんが頭に思い浮かぶ。
「えっ、その。そんな……謝らないで」
原田くんが勘違いしていたのはわかったし、私もどう答えていいかわからなくてオロオロしながら言うと、「ごめん……ごめん……」と原田くんは弱々しい声で言った。
電話をしながら、今自分がすごく真っ赤な自覚がある。
なんともいえない気まずい間の後、私はそれをとりなそうと明るく言った。
「えっと……原田くんが連絡してきてくれた理由はわかった。
でも私……」
言葉の続きを言おうと思うと、このまま明るい調子では言えない。
私はスマホを持っていないほうの手を胸に押し当てた。
「私……好きな人がいるんだ。だから原田くんとは付き合えない。
……ごめんなさい」
そう言った時、スマホが別の着信をキャッチした。
咄嗟に耳からスマホを離して画面を見ると、端に着信の表示と、相手の名前―――「清水湊」とある。
(……湊)
湊から電話がかかってきていると思うと、今までとは違う動悸が激しくなる。
湊を待たせている、と思うとそちらの電話に出たい。
原田くんには悪いけど、私の気持ちはもう決まっているんだ。
(今日湊に会ったら……)
この間私の誕生日に祝ってくれたのに、途中でダメになったことを謝りたい。
それでその埋め合わせと、あの時湊が話をしてくれていたこと―――20歳の時にした約束の話を、私のほうからしようと思っていた。
原田くんには申し訳ないと思うけど、「ごめんなさい」と伝えてもう電話を終わらせよう。
そう思って画面から目を離し、スマホを耳に当てた時、原田くんの沈んだ声が聞こえた。
「多田さんの好きな人って……もしかして清水?」
言い当てられ、一瞬声が出ない。
「違う?」
さらに尋ねられ、私は息をつめた。
―――違わない。
過去の恋愛を振り返ると、私はい
つも振られてばかりだった。
これまでいろんな人と付き合ってきたし、その人を好きになろうとしたけど、うまくいかなくて。
その理由は……本当は落ち込む度にわかっていた。
私の心の奥には―――一番大切な場所には湊がいるから。
なにかあれば、頭に浮かぶのが湊だから。
湊が私を理解してくれているって、心から思っているから。
だから―――。
私の沈黙を、原田くんがどう捉えたのかわからない。
でも私が原田くんの立場なら、この沈黙が意味するものはわかる。
そしてその沈黙を破ったのは彼のほうだった。
「……俺、再会してから清水に聞いたんだ。
多田さん彼氏いないみたいだけど、清水は多田さんのこと「いいな」とか……そういうふうに思ってるって?」
はっとした。
続く言葉に神経を傾けていると、原田くんは続ける。
「俺、清水とライバルになったら負けるって思ったから、先に聞いたんだ。
でも清水……今さら多田さんを「いいな」なんて思うわけないって、言って」
耳に届いた瞬間、胸の奥をナイフで刺されたような痛みが走った。
湊が……原田くんにそう言っていたって……。
「あの時の口ぶりで、清水が多田さんを家族みたいに思ってるんだって思った。
家もとなりでずっと一緒だった「幼なじみ」って、清水には恋愛対象じゃないんだなって、その時思ったんだ」
“幼なじみ”
“恋愛対象じゃない”
その言葉を聞いた時、ふと過去のことが―――中学の時、湊に最初の彼女ができた時のことが思い出された。
体の中心が一気に冷えていく。
湊に最初の彼女ができた時……私は初めて湊のことがわからなくなった。
ずっとふたりきりの世界ではなかったし、大きくなるにつれて交友範囲は広がって、私も湊も友達だってそれぞれ増えた。
でも、どれだけ私たちの世界が広がっても、私たちの仲はほかの人とは違うと思っていた。
当然のように、いつだって湊のとなりに並ぶ女の子は私だと思っていた。
それなのに……あの時、湊は私に言ったんだ。
すこし照れた顔で、ぶっきらぼうな声で、「俺、彼女ができた」って。
中学時代のことが急に思い出され、当時のショックと今のショックが重なり、声が出ない。
私と湊は幼なじみだから。
家族みたいな付き合いだから。
それを私たちも、まわりの友人もみんな知っているから。
だから―――私には湊しかいないと思っているのに、今の関係以上のことを……「幼なじみ」以上の感情をふくらませちゃいけないんじゃないかって思うようになったんだ。
お互いが異性だと認識するよりも前から、ずっと一緒だったから。
湊に彼女ができた時初めて、私は湊が好きだたんだと気がついたけど、でも……。
私たちは充分に近い存在だから、湊の恋愛対象にはならじゃないんじゃないかとどこかで悟ってしまった。
その不安が―――中学時代のかさぶたがはがれて、痛みが今、鮮明に蘇る。