テラーノベル
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「レイラ様、失礼いたします。」
扉の外から、使用人の声が響いた。
「街から画材が届きました。」
その言葉を聞くと、レイラはぱっと顔を上げた。
「本当ですか?ありがとうございます!」
使用人は微笑みながら部屋の中へ入り、木箱を静かに机の上へ置いた。箱の蓋を開けると、まだ新しい木の香りとともに、色鮮やかな絵の具と筆、紙束が整然と並んでいる。
「すごい……。」
思わず感嘆の声が漏れる。指先で筆そっと触れると、懐かしい記憶が蘇った。幼い頃、父と一緒に描いた夕暮れの風景。肩越しに差し込む光と、父の穏やかな横顔。あのときの匂いまで、鮮やかに思い出せる。
「ありがとうございます。大切に使いますね。」
レイラが頭を下げると、使用人は軽く会釈をして部屋を後にした。
レイラは窓の外を見る。湖面が、太陽のように煌めいている。まるで描いてと誘うように。彼女は机を窓際へ引き寄せ、キャンバスを置く。筆に水を含ませ、最初の色を選ぶ。淡い青。湖の色。
最初の線を引いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。世界が動き出したような感覚。
「……こんなに嬉しい気持ち、久しぶり。」
レイラは筆を滑らせながら、息を整えた。絵の具の匂いがほんのりと部屋に広がり、心が落ち着く。
筆先が紙の上を踊るたび、記憶の断片が蘇った。家の庭で描いた小さな白い花。温かくて、絵の具だらけな父の手。
「お父様……。」
レイラは目を細めた。筆先が少し震える。しばらく筆を止め、絵の中の青を見つめた。湖の色は、本物より少し淡い。けれど、その優しさが自分らしい気がする。
ふと、扉の方からノックの音がした。
「レイラ嬢、入っていいか。」
落ち着いた低い声。ハーロルトだった。レイラは少し慌て、キャンバスを隠す。
「どうぞ。」
ハーロルトは部屋に入り、窓際にいるレイラの元まで歩み寄る。机の上の絵の具、筆、紙。そのどれもが、彼にとっては久しく見なかった穏やかな光景だった。
「随分と集中していたようだな。」
「はい。……描いていると、時間を忘れてしまうんです。」
レイラは少し笑った。頬に絵の具がついていることにも気づかずに。
ハーロルトの心に、かつて戦場で見た空がよぎる。勝利の夜の炎。失われた村。あのときの空は、美しかったのか、それとも醜かったのか。答えは、まだ見つからない。彼は窓の外を見た。湖面がきらきらと光り、風が穏やかに吹き抜けていく。
「……いつか完成したら、私にも見せてくれ。」
レイラは驚いたように目を瞬かせる。
「もちろんです。」
その返事を聞くと、ハーロルトは軽く頷き、部屋を出た。レイラは胸の奥が少し熱くなるのを感じながら、筆を握り直す。
窓の外では、風に乗って一枚の花びらが舞い込んできた。白い花弁が紙の上に落ち、淡い青の上で静かに揺れている。
コメント
2件
ハーロルトさんの過去が気になるな… もう恋だろこれ!