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#BL
#ヒューマンドラマ
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縫季の声は、自分の耳に冷たく聞こえた。清朗を言葉で切る音だ。
帝辛は、静かに頷いた。
「止める方法は」
縫季は息を吸う。ここから先は、決断へ繋がる。決断を口に出すことは、刃を握ることと同じだ。
(任務だ)
言い訳が、胸の黒さを薄く隠す。それでも隠しきれないのを、自分が一番知っている。
「……清朗殿を、前線から外す必要があります」
帝辛の視線が、縫季に刺さる。痛いほどまっすぐで、逃げ道がない。
「私の側から外す、と言うのか」
縫季は頷いた。頷くしかない。
帝辛はすぐに否定しなかった。その沈黙が、王太子の重さだった。
「理由は」
縫季は、準備していた建前を口にした。建前は、真実の顔をしている。それが一番怖い。
「過労です。……医官府の記録にも、疲労の兆しは残せます。地方での静養――名目はそれで通ります」
帝辛のまなざしが揺れる。一瞬だけ、痛みが見える。
「清朗は、拒むだろう」
「拒みます」
縫季は即答してしまい、舌の裏が苦くなる。拒むのを知っている。愛があるからだ。止まれない善意があるからだ。
帝辛は、低く息を吐いた。
「……なら、私が言うべきか」
縫季の胸がきゅっと縮む。帝辛が『自分で』切るのは、最小の修正ではない。殿下の心に傷が残る。その傷が、別の歪を生む。
縫季は、すぐに首を振った。
「殿下が言えば、清朗殿は……壊れます」
言ってしまってから、喉が乾いた。壊す、という言葉が、部屋の空気を少し冷やす。
帝辛は、ゆっくり縫季を見る。
「お前が言うのか」
縫季は頷く。頷きながら、胸の奥の黒さが熱くなるのを感じた。
(俺が、奪う)
奪うのは任務のため。そう言い聞かせる。言い聞かせながら、別の声が囁く。
――お前が、殿下の隣に立てる。
縫季は、その声を踏み潰すように、卓の端を指で強く押した。
「……俺がやります」
帝辛は、少しだけ目を伏せた。それは許可にも、諦めにも見えた。
「縫季」
「はい」
「清朗を外すのは、私のためか」
縫季は息を止めた。
この問いに、真実で答えたら終わる。自分の黒さが露出する。露出した黒さは、帝辛の笑顔を壊す。
縫季は、喉の奥で言葉を折った。折って、線の言葉だけを残す。
「……殿下が背負うものを、これ以上増やさないためです」
帝辛は、すぐには頷かなかった。その間が怖い。見抜かれている気がした。
だが帝辛は、最後に短く言った。
「分かった」
そして、少しだけ声を柔らかくする。
「なら、確かめろ。ただし」「……今日のように、無茶はするな」
縫季は頷いた。
帝辛は戸口へ向かい、扉に手をかける。開ける前に、ふと振り返らずに言う。
「お前が、線を引いてくれるなら」
縫季の胸が鳴る。
「私は、進める」
その瞬間。
縫季の掌が、燃えるように熱くなった。
幾筋もの線が重なり、やがて一本に収束していく。正史にない線。あるべきでない線。
直後、脳の奥を、冷たい圧が走った。
『縫香官』
管理官だ。言葉ではない。圧だけが来る。
意味は一つだった。
――お前が、新しい歪になっている。
縫季は動けなかった。
清朗の善意が歪の入口になったように、縫季自身もまた、別の入口になりかけている。
(……俺も)
形が違うだけで、本質は同じだ。
縫季は唇を噛んだ。
管理官の圧が、まだ薄く残っている。
帝辛はそれ以上言わず、扉を閉めた。音が消える。夜が戻る。
縫季は、しばらく動けなかった。
胸の奥が熱い。熱いのに、言葉にしない。言葉にした瞬間、線が歪む。
縫季は筆を取った。墨を落とす。線をつなぐ。
――医官府へ照会の準備。――清朗の勤務状況、疲労の記録。――地方静養の名目を固める。
書きながら、胸の奥で別の言葉が息をする。
「殿下のために」
香が残した言葉と、帝辛が残した言葉が、同じ形をして重なる。その重なりが、いちばん危険だと分かっている。
(清朗も、こうして始まったのか)
縫季は筆を止めた。
善意が止まれなくなった清朗。任務と感情が重なって見分けがつかなくなった、今の自分。
形が違う。だが、入口は同じかもしれない。
縫季は、最後に一行だけ書いた。
「――壊すのは、最小限。」
書いて、筆を置く。指先が、まだ少し震えている。
管理官の圧の残滓が、掌の奥でまだ冷たい。
縫季は灯りを落とした。暗闇が部屋を満たす。
その暗闇の中で、縫季は自分の胸に手を当てた。心臓が、痛いほど打っている。
名前は、つけない。つけたら、線が歪む。
それでも、胸の奥の熱は消えない。
夜はまだ深い。だが、決断だけは、もう戻らなかった。
コメント
1件
第29話、読み終えました。縫季が清朗を外す決断を「自分の手で」するところ、すごく重かったです。帝辛の「お前が言うのか」という問いかけも、一言一言が刺さる。それに管理官の圧が来て「お前が新しい歪になっている」と警告されるラスト…これはたまらないですね。清朗と同じ入口に立った縫季が、どこへ向かうのか。掌の熱と冷たい圧の対比が、読んでいても焼けるように感じられました。