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#ワンナイトラブ
エレベーターに乗り込む前にメモ帳とボールペンがポケットにあるか確認していると「眼鏡取れば?」と、何故か常葉くんは私の顔を覗く。
「え、どうして?」
「…………何となく」
「眼鏡取ったら見えなくなるじゃん」
「俺の顔は見えるだろ」
「……そうだけど、失礼でしょ?」
「失礼じゃない」
「なんでいつ……」と、名前を呼ぼうとして人前だと言う事に気付き、慌てて「常葉くんがそんなことを言えるの」と言い直す。
だけど、それには「別に」と、彼は口を濁してしまったし、真相を聞こうにもエレベーターが音を鳴らすので、質問は喉の奥に消える。
「こちらです」
「ここからは、二人で」
「かしこまりました」
その女性は綺麗に微笑んで会釈をくれるので、同じように小さく会釈をした。
一歩降りれば廊下は驚くほど静かに沈む床で、うちもこんな床だったらパンプス疲れないのにな、と、羨ましい気持ちになってしまう。
円を描くような廊下で社員と思しき人物とすれ違う度に常葉くんは声を掛けられていたし、隣の私も必然的に視線を浴びた。
一体いつこんな人脈が出来たのだろう。
営業に居た時に出張でこの会社に出入りしていたのかな。
目当ての会議室なのだろうか、最奥の大きな扉の前に辿り着くと、常葉くんは深呼吸をひとつ落として扉に備えられたロックを簡単に解除した。
勝手に良いのかな。と、感じていれば常葉くんの手は私の不安を他所に容易くその扉を開けた。
そこは広々とした部屋だけど、脳裏に思い描いていた場所ではないことは明らかだった。
たった一人のためにある様な厳かなそこは、街並みを背負う様に一望できるガラス張りの部屋。
大きな机に座るその人は、私たちを確認すると腰を持ち上げた。
社長なのだろうか、先程の専務といい、それにしても若いなぁ。
同時に確認出来るそのスラリとした華奢な体躯は、どうしてか、何処と無く見覚えがあった。
戸惑う私とは裏腹に、彼は一歩を踏み出す。
「お時間を取らせてしまって、申し訳ありません」
「お前が俺に気を遣うな、気持ち悪い」
……あれ、この声。
その人は私に視線を移すと、タレ目がちな甘い目元が優しく弧を描く。きっと若い頃はさぞ持て囃されていただろう、その端正な顔立ちに、どきりと胸が弾む。
「お嬢さん、お名前は?」
その人は常葉くんを差し置いて、何故か私を尋ねるので、慌てて名刺入れを探し当てる。
「穂波依愛と、申します、えっと」
「父さん」
私の声を遮る、その一言。
え?父さ……?
ピタリ、行動さえも制御されたみたいに固まって隣を見上げたその時だった。
「俺はこの人との結婚を考えています」