序章:黒紅の法衣I. 破戒僧の業と歌
ワッハッハッハッッッ!!
飲めぇ!おい!こっちゃ来い!!
町から呼ばれた女衆が散らばる。
御損村から更に山の中腹にある、「大字 禍津」。
そこにある邸存寺で、年に一度のお坊様の倶会一処會が、開かれていた。
何て事は無い。
坊主が、飲んで女を抱く席である。
あぁ、そうなのか。
これが、酒池肉林……と。
――――
手に付いた血が、全てを印していた。
私は佛に使える身でありながら、人を殺めたのだ。
この澱み……改めて見る、血の色。この澱み……
臓の匂いと、そして、久しぶりの壮快感が、
私を包んでいた。
目の前の死体は、百を超えていた。
俺は、大僧正の首を蹴散らし、死骸を踏みつけ、辺りを見回す。
隅で、震えて生きている女を見つけた。
「ど、ど、どうか……命だけは……」
ビシュッッ
迷わず、首を刎ねる。
知ってか知らずか。
それすら。
どうでも良いのだ。
「さて、行こうではないか。極楽浄土へ」
――――
濃く染め上げられた黒紅の法衣を正しながら、私は感じた。
人は生きるべきなのか。
檀家から、金を貪り、肉を喰らい、女を抱く。
……天罰。
さて、羅城門を、潜ろう。
山の中腹にある寺は、既に私の手で炎上していた。
俗世の穢れを焼き払うためではない。
私が「天罰」を与えた衆生の、この世における痕跡を消すためだ。
背後の本堂が、けたたましい音を立てて崩れ落ちる。
その炎の光に照らされた石畳の上、
血を浴びた琵琶が転がっていた。
――――
ふむ……。
殺生坊は、一弦切れたその琵琶を拾い上げた。
血塗れの指が、残された弦に触れる。
べ、
低く、響きの悪い音が、炎と煙のざわめきを切り裂いた。
ベベーーーン
琵琶を掻き鳴らし、殺生坊は歌う。
その歌は、血と業の調べ。
人の往く世は 重ねて然り
ベン
逢瀬に纏わる その行方をば
ベベン
遥か彼方に 向かう一行は
ベン
煙の橋 渡る 月影に
彼の君の 瞳
仰ぎながら 筵の上の
針の石
ベベン ベンベン
歌い終わると同時に、殺生坊は琵琶を背中に回した。
――――
第二章:RPaz(再誕査定区域)
II. 羅城門、そして三途の川の合理化
「さて、極楽浄土の前に、まずは地獄の門か」
殺生坊は、裏山の岩盤に彫られた異様に滑らかな黒い長方形の前に立った。
掌を触れさせた瞬間、『ジュッ』と焼ける音とオゾン臭が弾け、黒い表面に緑色の光の線が走る。
『認証完了。業の総量:極度。裁定システムへ転送を開始します。』
殺生坊は羅城門を潜り抜ける。
空間がねじ曲がり、再び視界が開けた時、彼の眼前には濃密な液体が流れる三途の川が広がっていた。
「え……?なにこれ……?」
川の上空には、無色透明な樹脂製の橋が架かり、**『Shuttle Bus No.3』**と表示された箱型の乗り物が滑るように走っている。
川の対岸には、巨大な黒い結晶体、閻魔システムがそびえ立っていた。
――――
III. RPaz受付カウンター
殺生坊が橋を渡りきると、無機質な白を基調とした、広大な**RPaz(Reincarnation Process & Assessment Zone)**受付フロアにたどり着いた。
周囲の魂魄が発する冷気とは無関係に、フロアの照明だけが眩しいほど明るい。
カウンターに立った殺生坊に、白衣と赤いバッジを着けた女性が現れた。
その笑顔だけが、地獄の待合室には不自然に生きていた。
「次の方〜、8215-B番……あ、はい、殺生僧ですね~♪」
「ご職業:僧侶(仏門破戒型)。ご経歴:殺生127件、説法詐欺34件、自己懺悔なし。おつかれさまでしたー☆」
彼女は案内を終え、ウキウキと「次の方〜!」とコールベルを鳴らした。
――――
IV. シミュレーターとアンケート
殺生坊は**「業火シミュレーター体験版」**を選択し、カプセルに入った。
脳裏に流れるのは殺生行為の映像と感覚。彼はそれを冷徹にモニターする。
「これは修羅の往く末だ」
システムはエラーを検出した。
『エラー。自己分析ニ矛盾ヲ検出シマシタ。動機コード “自己犠牲” ト “壮快感” ガ同時ニ観測サレテイマス』
ウシ型ロボットは淡々と告げた。「アンケートノ設問ガ、一つ増エマシタ」
パネルに浮かんだ最重要の設問。
【特異点要因】問:貴殿の殺生行為において、「自己犠牲」と「壮快感」のコードが同時に観測されました。この矛盾する動機の優先順位と、業の最終的な帰属先を記述してください。
殺生坊は琵琶をパネルの前に横たえ、人差し指で文字を打ち始めた。
【回答】
私の自己犠牲は、人を殺めた事。
そして、壮快感は──全てを一掃出来た事である。
――――
第三章:双子の罪と極楽への誓約
V. 魂の清算と真実の暴露
バサッッッッ
閻魔と対峙した瞬間、法衣は破れた。
黒紅の裂け目から溢れ出たのは、血ではなく、煙だった。
それは、肌に刻まれた罪の記憶。
纏っていた“僧侶”という皮が剥がれ落ちたとき、
殺生坊は初めて、ただの一人の「人」として、
裁きの前に立たされたのだった。
「ふっ」
閻魔は息を吐くように笑った。
「何故に、俺の身姿を背中に入れた?」
殺生坊の背には、一面の大きな閻魔が彫られていた。
「仏生創滅」
ふむ……で、あるか。
パネルへの回答を終えた殺生坊は、閻魔システムの最深部、裁きの間へと転送された。
漆黒の闇に、無数の魂のざわめきが響く中、黒紅の法衣を纏ったまま、彼は膝を折り、地に這いつくばっていた。
激しい痛みと共に「命の代償」の入れ墨が皮膚を破り、黒い煙となって散っていく。
喉から絞り出す声は、悲痛な祈りだった。
閻魔は、大きく息を吸って、威厳をもって告げる。
「もう一度、やり直せ」
その瞬間、殺生坊はすべてを思い出す。
俺は、双子だった。
母の体内から出て行く時に、俺が先に取り出された。
俺は逆子で出るまでに時が掛かった。でも、後に取り出された弟は、もう、亡くなっていた。
入れ墨が完全に消えた空間の先で、亡くなったはずの双子の弟、夢斗が幻影として現れる。
「おにいちゃん…… 俺だよ、夢斗だよ!」
夢斗は光の中で無邪気に笑う。
「へへっ! おにいちゃんは元気に生きてるか? 俺は、おかあさんと極楽浄土で暮らしてるんだ!! 早く、みんなで会いたいからさ!! 待ってるよ!! おにいちゃん!!」
救済と死の予告に、殺生坊は怒りに震える。
「閻魔!!!!てめぇ!!!!
俺に何を見せやがる!!!!」
閻魔は、その巨大な瞳で殺生坊を見据える。
「何を、ではない。お前自身が、それを見たのだ……」
閻魔は、一呼吸置いた。
「壮快感とは何だ? 一瞬の悦か、終わりなき解放か?」
殺生坊は、わずかに口元を歪めて応えた。
「……知るかよ。そんなもん、やったあとにしかわからねぇだろ」
閻魔の瞳が、わずかに光を強める。
「では、知ってからでは遅いと、誰が決めた?」
「知る? アハハハハ!! 決めて殺生するかよ!! 今、ある事が全てなんだよ!!!」
閻魔は、ふむ……と短く吐息をつき、目を細めた。
「貴様は、どうにも、分かっておらんようだな。」
その言葉に、殺生坊は答えなかった。
「お前は、この瞬間から、**『待ち人』**となった。弟に請われた生を、お前はどう全うする? その答えが、お前の極楽浄土の席を決めるだろう。その入れ墨が消えた意味を、お前自身で見つけろ」
――――
VI. 送り出の唄と最後の慈悲
殺生坊は、全てを受け入れた。
その時──
ふと、微かな残像が脳裏に揺らめいた。
小さな手。
擦り切れた布の袖口。
そして、あの、夕焼けの匂い。
父無し子として育ち、
女手ひとつで、朝から晩まで働いてくれた、あの人の背中。
殺生坊の唇が、何も言わず、そっと動いた。
おかあさん……
それでも、あの人はいつも笑顔だった。
ずいぶん、痩せていって──
それでも笑って、弁当を持たせてくれた。
そして……
神も仏も、何もしてくれなかった。
最後は、亡骸を抱いて、
ただ哀しみに暮れるしかなかった。
「分かって……分かっていたんだよ……全てな。畜生め……」
彼は琵琶を抱えて立ち上がる。
閻魔に近づき、送り出の唄を奏でた。
その調べは、罪と覚悟の境目。
べ、ベベーーーン
道に転がる 地蔵菩薩
ベン
光
広がる 光
それは 照らすものなのか
照らされるものか
ベン
……それ、以上の言葉が出て……
閻魔は静かに、慈悲深く語りかける。
「ふむ……致し方ないが、全ての過去を戻す事は出来ない」
その言葉と共に、閻魔は静かに右手をかざした。
瞬間、僧の両腕は、影の中へと吸われるように消えていった。
続いて、音が遠のき、香りが消えた。
声帯、嗅覚──ひとつずつ、僧としての感覚が封じられていく。
肉体という器はそのまま残るが、その意味が次々と剥奪されていく。
これは痛みではない。裁きだ。
「生きるために殺す者もいる。
信ずるがゆえに破戒する者もいる」
閻魔は続ける。
「だが、お前は自らを知って、なお愚かだった」
俺にしてやれる事……
せめて極楽浄土で、親子共々……
「幸せにあれ」
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