テラーノベル
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「なによ、結局、日のべじゃない。締切を何だと思ってるのかしら」
一日の仕事を終えた美智子は下宿の自室でくつろいでいる。
青山は、何も書いていないと白状した。編集局で、すったもんだあり、一週間待つということになった。
「それで書けるわけないじゃない……青山先生は筆が遅いんだから」
はぁ、と美智子は息をつく。すると、くすりと笑われた。
いや、何か人の気配がする。
下宿の女将が来たのだろうか。今月の下宿代は支払い済みだ。
何か用事があるのかと、美智子は入り口の引き戸を開けたが、誰もいない。無人の廊下が伸びているだけだった。
「……気のせい?」
空耳だったかと美智子は思い、戸を締める。
すると、何かが光った。
文机にあの貰った手鏡が置かれてある。
まだ鞄からだしていなかったはずなのに。と美智子は不思議に思もいつつ、何気に手鏡を手に取った。
鏡は曇っていた。恐らく銀製だろう枠もくすんでいる。
「……少し磨いたほうが良いのかしら?」
美智子は、手ぬぐいで鏡を磨いた。
しかし、多少磨いたところで、鏡は変わらなかった。
「……そうよね。まあ、仕方ないわ」
本格的に研磨に出すほど高価なものでもない。曇りも、日常使いには困らない範囲だ。まあ、いいかと美智子は諦め鏡を仕舞うと床《とこ》につく。
──翌日も美智子はフルールにいた。
「いや、相澤君。ちゃんと書くから」
青山が、眉を下げて困り果てている。
「なら、今書いてください。コーヒーはその後で……」
青山の前に置かれているカップに視線を落とし美智子は言った。
園子マダムが、心配そうな顔をして二人のやり取りを見ている。
いつものこととはいえ、マダムの存在が鼻についた。
「コーヒーお願いします」
言い捨てて、美智子は青山の隣に座る。
「参ったなぁ……」
観念したのか、青山はいるカウンター席からテーブル席へ移動した。
「ちょっと考えるから」
美智子は別段何も言わない。園子マダムがだしてくれたコーヒーを見つめていた。
結局、その日、青山が原稿を仕上げることはなかった。
美智子は、下宿の部屋で一人ゴチていた。
「いつものこととはいえ、青山先生も困ったものね……」
そして、はあっと、鏡に息を吹きかける。
なぜか気になり、美智子はこうして鏡を磨いていた。磨けば少しは、鏡面の曇りが取れるかもしれないと思ってのことだった。
「やっぱり、無理なのかしらね」
とはいえ、昨日の今日。一二度磨いただけで曇りが取れるとも思っていない。
「続けた方がいいのかしら?」
気休めのような言葉を口にしたとき、鏡面に何かが映った。
美智子は、反射的に後ろを振り返った。だが、誰もいない。当然だ。部屋には美智子しかいないのだから。
「……気のせいかしら。曇りが何かに見えただけよね」
青山の事で気をもんでいる。気も立っているのだろう。つかれているのだと、美智子は自分に言い聞かせ、早めに床についた。
そして、夢を見る。
枕元に青年が佇み、美智子を覗き込んでいる。
「磨いて……きっと会えるから」
それだけ言って、青年の姿は消えた。正しくは夢から目が冷めた。
柱時計の音が一つ鳴った。
おかしな夢を見たものだ。何を磨けと言うのだろうかと思いつつ、再び目を閉じようとしたとき違和感を感じた。
枕元に、手鏡がある。
確か文机に置いたはずだ。……いや、自分で枕元へ持ってきたのだったか。
あやふやな記憶を美智子はたどるが、睡魔に襲われる。
気がつけば美智子は再び眠りに落ちていた。
コメント
1件
**第3話、読んだわ!** 青山先生の筆の遅さに翻弄される美智子、気の毒だけどなんかリアルな編集者あるあるって感じでちょっと笑った。そこに忍び込む鏡の怪異がじわじわ不気味でいいね。特に「磨いて……きっと会えるから」って夢の中の青年、それで枕元に鏡が移動してるとか、背筋がゾクッとした。次どうなるのか超気になる!🔥
井川奎
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