うーんと戸棚の前で岩崎は考え込むが、積み重ねてある何かを一枚取り出した。
「レコードだ。チャイコフスキーで構わんか?」
「……え?」
また、耳慣れない言葉を聞いて月子は戸惑った。
レコードは知っている。
音楽を楽しむもの。蓄音機で音を出すものと認識はあった。だが、実物はじっくりと見たこともなく、もちろん、音を楽しんだ事もない。
岩崎は、テーブルに置かれてある小箱の前に立つとその蓋を開けた。
「ああ、これは箱形の蓄音機だよ。あのラッパ型の部品が付いてないから、珍しいかもしれないな。この箱の中から音が出るんだ」
言うと、レコードを設置し、箱の側面についているハンドルを回して蓄音機を動かすネジを巻き、レコードへそっと針を落とした。
たちまち、荘厳な音が流れ始める。
「チャイコフスキーくるみ割り人形より、花のワルツだ。せっかくだから選んでみた」
岩崎は、気恥ずかしそうに月子へ言うと、つかつかと歩みより、やおら跪く。
「……月子嬢、私と踊ってくださいませんか?」
そして、月子の手を取りその甲に口付けた。
何が起こっているのかと月子は面食らう。
「あー、つまり、その、西洋では、こうして、男女が踊るのだよ」
それだけ言うと、岩崎はそっぽを向いた。
照れ隠しなのだろうと、月子にも察しはついたが、岩崎と同じく、いや、それ以上に月子も恥ずかしかった。
踊ると言われても、どうすれば良いのかまるっきり分からない。
「あ、あの、私は、分かりませんので……」
正直に月子は、答えるが、岩崎の気分を害してしまったのではないかと小さくなった。
「あぁ、そ、そうだな、いきなりもなんだ。というか、まあ、その、そう気負わずに、せっかくだから、どうだろう?」
オロオロしつつも、岩崎は月子を、チラチラと見ている。
蓄音機から軽やかで華やかな音が流れていた。
「曲が終わってしまう……」
岩崎は、月子の手をぐっと引っ張り、体を引き寄せる。
「私も上手な方ではないから、気にすることはない。月子は私の動きに合わせればそれでいい」
そのまま、岩崎は月子の腰に手を回し曲に合わせて動き出した。
月子は、自然引きずられる形になったが、それでも踊っているかのような錯覚を覚える。
頭の中では、昔見た少女雑誌の挿し絵が思い起こされていた。
確か、王子様はお姫様と、シャンデリアの光に照らされ踊っていた。
見つめあって……。
まるで蕾が大きく花開いたかのような軽やかな音が響き渡っている。
花のワルツだと岩崎は言っていた。
美しく花が咲きほこっているような旋律に、岩崎の動きに身を任せている月子は、物語の主人公になった気分になっていた。
岩崎は大きく踏み出し、くるりと回る。同時に月子の体も大きく揺れた。
はずみでドレスがふわりと広がる。
本当に、花のようだ。
花のワルツだ。
ああ……。自分は、王子様と踊っている……に違いない。
間近に見える岩崎の顔か、月子には輝いて見えた。
髭を剃って、すこし若く見えるからか?それもあるかもしれないが……、きっと、きっと……それは、前にいるのが、王子様だから……。
そんな世迷い言の様なことを思いつつ、流れている荘厳で華やかな曲に合わせ踊っているという、信じられない出来事に、月子はただ、ぼっとなっていた。
そして、岩崎に身も心も預けきり、沸き起こる甘い魅惑のような物に浸りきった。